2016年12月15日木曜日

誘拐 1

 クロエル・ドーマーはセント・アイブス・メディカル・カレッジの東端にあるチャペル前に車を乗り入れた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーに扮した連邦捜査官ロイ・ヒギンズはそこへ入ったと先に潜入させていたパトリック・タン・ドーマーから連絡があったからだ。ヒギンズは、職務の合間に行方不明の息子を捜索していたのがドームにばれて、懲罰から逃れる為に逃走した、と言う筋書きになっている。ヒギンズがミナ・アン・ダウン教授から落ち合う場所として指定されたのは別の学舎だったが、そこで出遭った人物からチャペルへ行けと指示されたのだ。クロエルは芝居の上で逃げたヒギンズを追わなければならないので、関わるなと言われても、それなりの行動を取らなければ辻褄が合わない。
 彼が車から出てチャペルの方へ歩きかけると、横から近づいて来た男がいた。

「そこのスーツの人、もしかして、遺伝子管理局の人?」

 クロエルは足を止めた。振り返ると、学生が数名、その若い男の後ろに控えており、手に手にプラカードを持っていた。そこに書かれている文を見て、クロエルは眉をひそめた。

ーークローンに人権を!
ーークローン逮捕反対!

 無責任に体制批判をして代替案を出せない学生運動家が大学にいると聞いたことがあるが、彼等がそうなのか?

「遺伝子管理局に用ですか?」

 クロエルは丁寧に応対してみた。学生達は彼にじりじりと近づいて来た。

「クローン収容所が襲われて子供達が攫われているでしょう? 管理局は自分達の責任をどう考えているんです?」
「責任?」

 クロエルは厄介な連中を相手にしなければならないと悟った。ヒギンズの守備を見届けたいが、学生達を無視すれば騒ぎ出すだろう。

「君達が言う責任とは、何に対してですか?」
「何って・・・収容者に対する安全責任ですよ。」
「テロリストのふりをした人身売買組織が収容所を襲うなんて想定外でしたよ。多くの収容者が寝入りばなを襲撃されて逃げることが出来なかった。彼等はクローン特有の虚弱体質を改善する治療を受けて、親が服役を終えたら、再び親の元に返されるのです。所内では自由だし、クローン収容所は決して牢獄ではありません。普通の人権を認められて登録を終えたら、貴方達と同じ権利と持った市民になるのです。
 収容所は牢獄ではないので、セキュリティが厳重とは言えなかったことは確かです。職員も武装していませんからね。それに対して非難なさるのでしたら、裁判所に訴えると良いです。これは行政の問題ですから。」

 喋りながら、クロエルは視野の隅で1人の男がチャペルに入って行く姿を捉えていた。男の体の動きを見ていると、銃ホルダーを上着の下に装着している様だ。潜伏捜査官か、それともFOKか?
 学生の代表がクロエルの言葉に反論しようとした時、チャペルの方角から銃声が聞こえた。 学生達がびっくりしてそちらを見た。クロエルはチャペルに向かって走り出した。彼は武装していない。麻痺光線銃を携行しているだけだ。しかし、ヒギンズの保護は出来るかも知れない。
 彼と同時に学生の群れの中から、或いは歩道や植え込みから数人の男達が走り出してきた。連邦捜査官達だ。遺伝子管理局の局員も1人いた。 誰かがクロエルにチェペルに近づくなと怒鳴っていた。クロエルだけでなく遺伝子管理局の人間に向かって言っているのだ。危険だから近づくなと。 遺伝子管理局が危険な任務に就いたことがないとでも思っているのか? メーカー達は結構危険な連中なんだ。
 チャペルの扉を開いた途端、中から銃撃された。クロエルは間一髪扉の陰に隠れて難を逃れた。扉のすぐ内側に1人倒れていた。先ほど中に入っていった男だ。
 後ろから走ってくる男達にクロエルは手で合図した。近づくなと。数名が建物の裏手に向かって走って行った。
 ヒギンズは無事だろうか。クロエルは声を掛けた。

「セイヤーズ、そこにいるのか?」

 囮捜査官は返事をしなかった。いないのか、それとも・・・?
 中で声がした。

「囲まれたんじゃない?」
「裏口も抑えられたのか?」
「人質がいるから大丈夫・・・」
「そいつを連れて逃げるのは無理だ。置いて行こう。」

 クロエルはそっと中を覗いた。中は暗いのでよく見えないが、人間が2人、奥の扉を開けて出て行く気配がした。彼は中に入った。倒れている男の首筋に手を当てた。まだ脈がある。彼は外に居る人影に合図を送り、倒れている人を託した。
 クロエルは麻痺光線銃を抜いて、用心深くチェペルの中を歩いて祭壇に向かった。
祭壇のすぐ下でも1人倒れていた。ブロンドの髪のスーツ姿の男だ。ヒギンズだった。