2016年12月8日木曜日

囮捜査 17

 ポール・レイン・ドーマーは接触テレパスによって他人の情事を感じ取ることが出来るが、職務上必要とされる場合でなければ、絶対にやらなかった。彼に能力があることは母親の代で既にドームに知られていたので、彼は物心が付く頃には養育係からしっかりテレパスのマナーを叩き込まれていた。倫理上してはいけないことは、他人のプライバシーを興味本位で覗くことだ。
 だから、「お勤め」から帰って来たダリルがまたもや落ち込んでいるのを見て、言葉で説明を求めた。つまり、「研究所で何かあったのか?」と尋ねたのだ。
 ダリルは暫く黙り込んでいたが、やがてキッチンに入り、何かごそごそやりながら、ラナ・ゴーン副長官をまたもや射止め損なったことを告白した。彼が正確に2人の会話を再現して聞かせると、ポールは我慢出来なくて大笑いした。

「つまり、君は苦労してなびかせた牝馬にやっとの思いで跨がったら、反対に馬はおまえの方だと言われた訳だな?」
「そんなに笑うなよ。私は自分が情けないんだ。あの時に止めずに進めば良かった。」
「馬鹿、そんなことをしたら懲罰房行きだぞ。立派な犯罪だ。」
「どの口が言う?」

 ダリルは山の家でポールに強引に奪われたことをちょっと思い出して不機嫌になった。
勢い野菜を刻む手に力が入った。ナイフの音を聞いて、ポールが不安げに尋ねた。

「さっきから何をやっているんだ?」
「料理。」
「君が?」
「見ればわかるだろ? 18年間、ずっと自分の食べる物は自分で作ってきたんだ。」

 ドーマーの食事は食堂の厨房班が作る。それがドームの常識だ。アパートにあるキッチンは簡単な調理済み食品を温めたり、テイクアウトの食べ物で汚れた食器を洗ったりする程度の利用しかされない。誰もが仕事を持っているので、アパートで調理に専念する時間はないし、第1十分な食材が手に入る訳でもない。
 ポールは思わず席を立ってキッチンのカウンターまで足を運んだ。

「そんな植物をどこから調達してきたんだ?」
「厨房班に分けてもらったんだ。これはオクラ。園芸班が栽培しているだろ?」
「植物の名前なんか知るものか。」
「これは缶詰のトマト。」
「それくらい知っている。」
「これはチキン。それからスパイスは・・・」

 ダリルが読み上げたスパイスの名前をポールは右から左へ聞き流した。

「それで、何を作っているんだ?」
「ガンボ。」
「ガンボ? ケイジャン料理の?」
「それは知っているんだな。」
「仕事でルイジアナ辺りへ行く時に時々食うから。」
「材料を見るのは初めてなんだ?」
「厨房の中なんか見ないからな。」

 ポールはダリルが手際よく調理を進めていくのを眺めた。

「そんなことを毎日やっていたのか?」
「他に誰もいなかったからね。ライサンダーの食事の世話も全部1人でしていたんだ。」

 ダリルはふと手を止めて顔を上げた。

「君さえ良ければ、これから時々ここで料理をしたいのだが?」

 ポールはダリルの「病気」を思い出した。子供の頃から興味を抱いた物事に熱中する男だ。始めると止まらない。

「時間があって他にやることがない時だけなら、許す。」
「そう言われると辛いな・・・結構毎日忙しいから。」

 ダリルは鍋に肉を入れて炒め始めた。キッチンには換気装置が設置されていて自動で作動する。ポールは脂やスパイスの匂いが室内に籠もるのは嫌な人間だ。匂いのきつい料理は許可が出ないだろう。
 ダリルはガンボを作りながら、山の家の、彼が手造りしたキッチンを思い出していた。
ライサンダーがお腹を空かせて、期待を込めて食事の支度が出来るのを待っていた。
息子にまた手料理を食べさせてやれる日は来るのだろうか。