2016年12月12日月曜日

囮捜査 20

 ドームには、ドーマーやコロニー人達の息抜きの為の施設がいくつかある。収容されている妊産婦と共用出来ないのは残念だが、女性達と同じ施設の小規模のものだ。(勿論、女性ドーマーやコロニー人の女性は大きな施設を使用出来る。)
 チーフ会議が開かれている時間、ダリル・セイヤーズ・ドーマーはジムの隣のサウナへ行った。しかし思いの外混雑していたので、諦めてジャグジーへ行った。温めのお湯に浸かり気泡に包まれていると気持ちが良くなって、ぼんやりと座っていた。そこへ珍しくケンウッド長官が現れた。普通なら、その他大勢のドーマーの一員として挨拶程度でやり過ごすのだが、随分長い間長官と顔を合わせていなかったので、ダリルは思い切って声を掛けてみた。

「新しいプロジェクトは進んでいますか?」

 ケンウッドは振り返り、彼を認めると微笑した。

「ああ、なんとか進行しているよ。出来れば君の孫の世代には間に合わせたいがね。」
「孫の世代ですか・・・」

 もう年頃の息子がいるのにと言おうとして、ダリルは長官が思っているのは今試験管の中で生まれたばかりの子供達のことだと気が付いた。彼は出しかけた言葉を呑み込み、別の台詞を搾り出した。

「間に合うと良いですね。」

 少し間を置いて、長官が呟いた。

「本当は次の春に引退するつもりだったのだよ。」
「えっ?」
「しかし、プロジェクトを開始する役目を掴んでしまったからね、今更逃げる訳にはいかない。」
「地球の重力はお体に負担ですか?」
「歳を取ったからなぁ。5年若ければ、まだやれると思うのだろうが、少々弱気になってきた。」

 ケンウッドは自嘲した。

「君がここへ連れ戻された時のことを覚えているかね? 君がベッドの上で目覚めた時、私に言った言葉だ。」
「ええ・・・『18年以上も地球上に残るコロニー人を初めて見ました』と言いました。」
「私は地球に来て今年で23年目だ。当初は6年で帰るつもりだった。残ったのは他でもない、君が逃げたからだ。」
「何故です? あれはリン長官の責任と言うことになったのでしょう?」
「ドーム統率者の責任問題と言う次元の話ではないのだ。私はあの時、ドーマー達が動揺するのを見てしまった。ドームに逆らうことを知らなかった人々が、1人の脱走者の出現で自分達が置かれている立場に疑問を持ち始めたのだよ。それまでにもドームから去るドーマー達はいたが、彼等は静かに平和的に外でドームの為に働くことを条件に出て行ったのだ。しかし、君は違った。」
「私は身勝手な男ですから・・・」
「そんなことを言っているんじゃないよ。君はドーマーにも生き方の選択権があると言う当たり前のことをみんなに気づかせたんだ。だが、ドームは決して君を諦めない。君を見つけたら必ず次は逃げられないように閉じ込めてしまうはずだ。
 私は、そんなことになってはいけないと思ったのだ。君には進化型1級遺伝子があるから本当の自由は与えられないが、他のドーマーと同じに扱ってやりたいと思った。だから、君が帰ってくるのを待っていた。君がせめてドームの中では自由に動き回れる安全な人間だと証明してから、宇宙に帰るつもりだったのさ。」
「私は安全な人間ですか?」
「当然だろう!」

 ケンウッドは微笑んだ。

「君は誰かに脱走を勧めたり、叛乱を起こそうと呼びかけたりしたことがあるかね? 君が帰って来てからしたことは、人類の為に塩基配列を見ることが出来る少女を連れて来てくれたことと、人類のオリジナルの遺伝子を持つ男を我々に委ねてくれたことだ。大いに役立ってくれているよ。」

 ダリルも微笑んだ。

「貴方がここに居て下さるだけで、私は安心出来るのですが・・・これからもずっと居て下さいと言えば、貴方には酷でしょうか?」
「流石に、この年齢になってくるときついなぁ。 嬉しいがね。」

 ケンウッドは湯気の向こうに見えるドーム越しの空を見上げた。

「私の唯一の心残りと言えば、ローガン・ハイネに外の世界を体験させてやれなかったことだ。」
「局長はまだ若いでしょう?」
「そう見えるだけだよ。」

 ケンウッドはダリルの顔を見た。

「ハイネは私より年上なんだよ、知らなかったのかね? あの男の進化型1級遺伝子は君のとはタイプが違うんだ。君の遺伝子は宇宙船の操縦士の為に開発されたものだが、ハイネのものは、宇宙船乗りを待つ家族の為に開発された特殊なものだ。」
「家族の為ですって? それは一体・・・?」
「宇宙船乗りは1回航宙の旅に出ると数10年は帰って来られない。コロニーや惑星で待つ家族はその間に歳を取ってしまうが、宇宙船乗りはゆっくりとしか歳を取らない。ああ、その辺の説明は省くが、兎に角、帰還した時に家族が歳を取っていなくなってしまう場合もあると言うことだ。だから、歳を取る速度を落とす遺伝子が開発された訳だが、これは失敗だった。」
「失敗?」
「人間はね、セイヤーズ、どんなに科学が進歩しても、せいぜい150年生きられれば良いところなんだ。それ以上はどんなに研究を重ねても無理なんだ。ハイネは今100歳に近いが肉体はまだ50代だ。しかし、間もなく老化が速度を速めて襲ってくるはずだ。
本人もそれを知っているから、彼はとうの昔に子孫を残すことを諦めている。ある日突然体が老い始めるかも知れない恐怖を子孫に味わせたくないのだそうだ。」
「恐怖・・・局長は毎日そんな思いで・・・」
「彼は強いだろう、全く君達には気取られずに生きている。」
「ええ!」
「だが、体はもう抗原注射には耐えられない。彼は今ドームから出れば忽ち肺炎にでも罹って命を落としてしまうだろう。私はもっと早い時に彼を外に出してやれば良かったと後悔している。」

 ケンウッドはまた空を見上げ、ダリルも見上げた。2人とも白髪の美しい年を経たドーマーを想っていた。彼の先祖は遠い宇宙の旅に出た身内を待っていた。彼は今ドームの外の危険に満ちた世界に仕事で出て行く部下を毎日待っているのだ。

 待つためだけに開発された遺伝子なんて・・・

 ダリルは人間とはなんて身勝手な生き物なのだろうと思った。子孫がどんな思いをして生きるのか考えもしないで科学を推し進めていく、それは今も変わらない。