2016年12月22日木曜日

誘拐 9

 ガラス扉の中は部屋と言うよりロビーの様な空間で、左右にまた廊下が続いていた。扉の反対側はガラスの壁で外が見える。採光空間かも知れない。廊下の片側にはまた扉がいくつか並んでおり、部屋の名前が書かれている。イヌ科、ネコ科、等、動物の分類で部屋があるので、それぞれ専門の遺伝子研究室なのだろう。
 ダリルとクラウスがタンが囚われている部屋を目指して歩き出して間もなく、行く手に先客がいた。研究者の様な白衣を着ているが、夜勤明けの学者には見えない。男は順番に扉の小窓から中を覗いていたが、近づいて来る2人の男に気が付くと、覗くのを止めてこちらへ体を向け、歩き始めた。出口へ向かおうとしたのだ。ダリルとクラウスは出来るだけ相手と目を合わさない様に、「おはよう」とだけ声を掛けてすれ違った。その直後に、男が「あっ」と立ち止まった。

「まさか、昨日の・・・」

 瞬間、ダリルは振り返りざま彼を殴りつけた。男は完璧にノックアウトされて倒れかけ、ダリルは素早く彼の体を掴んで男の頭部が床に打ち付けられるのを防いだ。気絶した男をそっと床に横たえると、クラウスが囁いた。

「ガブリエル・モアですよ、ローズタウンの空港で僕のアタッシュケースからレイ・ハリスのIDを盗んだ・・・」
「『昨日の』と言いかけたな・・・私を見て、ヒギンズと混同したらしい。」
「トーラスのビルにFOKが入り込んでいるんですね?」
「こいつも何かを探していた様だ。まさか、パトリックを狙って来たのか?」

 その時、彼等が入って来た入り口から、もう1人の男が現れた。

「ガブリエル、見つけたか・・・」

 彼は低い声で尋ねたが、すぐにガブリエルが床に昏倒しているのを発見した。男が背中に手を回したのを見て、ダリルは麻痺光線で威嚇した。男が柱の陰に隠れた隙に、2人は走り、タンの発信器の電波が出ている部屋の扉の前にたどり着いた。クラウスがパネルを叩きながらぼやいた。

「兄さん、射撃は相変わらず下手なんですね。」
「乱射は上手かっただろ?」
「狙って撃ったのは当たらないんだ・・・」
「狙ってないさ、ただの威嚇だ。」

 開錠に成功したクラウスが扉の中に駆け込み、ダリルも続いた。彼が扉を閉めた途端、銃弾の衝撃が扉に響いた。 扉は銃弾を通さなかったが、気持ちの良い音ではない。
ダリルは施錠した。
 室内には、パトリック・タン・ドーマーが1人、椅子に縛り付けられていた。身につけているのは下着だけで、顔には殴られてできた痣があった。体にも痣があるところを見ると、原始的な拷問を受けたらしい。ぐったりとしており、クラウスが声を掛けても反応がなかった。気を失っている。夜通し放置されていたので、体が冷え切っていた。
 クラウスは彼の手を縛っているシリコン手錠を外し、自身の上着を脱いでタンの身を覆った。そして端末を出すと、簡単なバイタルチェックを行った。
 ダリルはポールに電話を掛けた。

「レイン、タンを確保した。但し、FOKが潜り込んでいて、部屋の外で銃を構えている。早く応援に来てくれ。」
「待ってろ、警察が来て、ちょっと話がややこしくなっているんだ。」

 ポールは横にいる人間に話しかけた。

「クロエル、中で応援を求めている。廊下にFOKがいるそうだ。」
「んじゃ、ちょっと行ってくる。」

 ダリルは外の気配を伺った。防音壁なので、敵がまだそこにいるのかどうか、把握出来ないでいると、ふと壁の造りに気が付いた。二重ガラスの壁で、中に縦型のブラインドが入っているのだ。ブラインドの開閉は内側からのみ出来る。彼はスイッチを探して、「開」を押した。ブラインドが動き、外の廊下が見えた。そして、男も見えた。
 ブラインドが開いたので、男は驚いて銃を数発撃ってきたが、ガラスが厚いので外側に傷が入っただけだ。しかし、同じ箇所を連続して攻撃されると崩される。
 ダリルは、こちらの武器が光線銃であることを忘れなかった。外の人間に向かって、一発撃つと、光線はガラスを突き抜けた。これは外したが、目的は果たせた。彼は、ガラスの屈折率を瞬時に割り出し、角度を変えて2発目を撃った。
 クラウスが呆れたような声を出した。

「やっぱり下手じゃないですか、胴を狙ったんでしょ?」
「見なかったことにしてくれ。」

 外の男の右手に光線が命中した。気絶はしていないが、右肩から先が全部麻痺して銃を床に落とした。本人は腕が無くなった様な感覚だろう。驚愕の目で自身の右腕を見つめ、左手で支えた。
 ダリルは彼が右腕を支えるのを諦めて左手で銃を拾い上げるのを見た。もう1発必要か? と銃を構えた時、外の男は何かに驚いて背後を振り返った。光の弾が彼の胴体にぶつかった。男は後ろ向けに倒れ、ひくひくと体を震わせた。
 ダリルはクラウスに声を掛けた。

「応援が来たぞ、クラウス。外に出よう。」

 ガラスの壁の向こうにクロエル・ドーマーが現れ、倒れている2人の男の所持品を調べ始めた。
 クラウスがタンを抱え上げた。ダリルが手を貸そうかと訊くと、結構と断られた。

「この前はもっと大きな人を運びましたからね。」

 クラウスは意味深に彼を見て微笑した。
 彼等が部屋の外に出ると、クロエルが倒れている男達からIDを取り上げたところだった。

「この男は薬剤師のジョン・モアで、あっちが弟のガブリエル・モアだ。」
「モア兄弟は何をしにここへ来たのだろう?」
「パットを探していた様に見えましたね。」

 3人はクラウスが抱えている中国人を見た。可愛らしい顔に今は殴打された痕が痛々しく晴れ上がっている。クロエルがポケットからアイシェードを出してタンの顔に掛けてやった。

「病院とドーム、どっちに運ぶ?」
「ドームだ。パットも目覚めた時、知っている場所にいる方が安心するだろう。」