2016年12月29日木曜日

誘拐 16

 ダリルはオフィスに入ると、いつもの仕事をした。時々気分転換に外へ電話を掛けた。セント・アイブス出張所だ。相手は所長のニュカネンではなく、セイヤーズを名乗って取り敢えず「効力切れ休暇」に入っているロイ・ヒギンズだ。次のローズタウン支局巡りの遺伝子管理局の局員が来る迄出張所で大人しくしている予定だが、本物が抗原注射が不要の型破りな男なので、ヒギンズも1人歩きするつもりでいる。彼は連邦捜査局が許す範囲で捜査の進展状況をダリルに教えてくれた。
 先ず、FOKとトーラス野生動物保護団体の両方に繋がりを持つ、セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウンは、まだ取り調べ中だ。彼女は一貫してライサンダー・セイヤーズを名乗る若者に騙され、セイヤーズ誘拐計画に荷担させられたと主張している。
 トーラス野生動物保護団体は、パトリック・タン・ドーマー誘拐に関与したことを認めようとしない。遺伝子管理局がタン救出の際に撮影した画像を提示されても、知らぬ存ぜぬを貫いている。
 もっとも、この件に関しては、遺伝子管理局がタンの体に残された人間の体液や皮膚に残った指紋を提出したので、これから容疑者の特定に入るところだ。遺伝子管理局は当事者になるので、DNA鑑定が出来ない。ドーム内では既にしてしまったのだが、裁判には使えないのだ。だから、タンを暴行した犯人も判明しているのに、警察にも連邦捜査局にもその名前を教えることが出来ないし、捜査当局も尋ねることが出来ない。
 トーラス・野生動物保護団体ビルに侵入して、遺伝子管理局の3人に銃撃したジョン・モアとガブリエル・モア兄弟は黙秘している。ガラス壁に残った銃弾とジョンが所持していた銃は照合され、その銃から発射された弾丸だと鑑定された。銃にはジョンの指紋が残っている。
 献体保管室にあった2少年の遺体は遺伝子管理局によって保護されたクローンで、FOKに誘拐され行方不明となっていた子供達だと判明した。死因は窒息死だが、扼殺ではなく、酸素供給を絶たれたからだろう。彼等を運び込んだ人物や日時は不明だが、大学の記録では、3日前は献体は一体もなかったことになっている。
 警察ではビルの警備システム室の映像を押収して調べているところだ。

「僕は思うのだけど・・・」

とヒギンズが言った。

「遺伝子管理局自体が閉鎖的だよね? ドームも何だか神秘的で、僕等一般の人間にはよくわからない。女性を保護して安全に出産させる為だけの施設じゃなさそうな気がする。君達は一体、何者なんだい?」
「君達と同じ地球人、公務員だよ。」
「だけど・・・」

 ヒギンズはダリルをドキリとさせることを言った。

「僕は君に化けるに当たって、君のことを調べてみたんだ。気を悪くするかも知れないが、敵を信用させるには、化ける人間のことをよく知っておく必要があるからね。だけど、何もデータがないんだ。君のことは何もわからなかった。まるで突然この世に出現したみたいに・・・。」
「ヒギンズ」

 ダリルは相手を遮った。

「君は、私が何故狙われているか、理由を聞かされたか?」
「それは、特殊な遺伝子を持っていて・・・」
「私の身元が簡単にわかってしまえば、私の親族にも害が及ぶんだ。同じ遺伝子を持っているから。だから、当局は私の過去の痕跡を消した。」
「保護プログラムか!」

 ヒギンズは合点がいった、と声を上げた。

「悪かった。もう詮索しないよ。」
「ドームはちょっと特殊な人間を集めているんだ。遺伝子を扱う仕事は、ある特定の一族を保護したり絶滅させたりする危惧があるから、公平に行われなければならない。だから、世間から姿を消しても怪しまれない様な人間が採用されるんだ。変わり者だらけだったろう?」
「まあね・・・」

 電話を切ったところに、ポールがやって来た。彼が私服でオフィスに入るのは滅多にないことだ。
 彼は部屋に入ると真っ直ぐ休憩スペースに向かった。そこにストックしてあるお茶の中から鎮静効果がある日本茶を選び、お湯を沸かして淹れた。彼の一連の作業をダリルは仕事をしながらチラ見していたが、やがて休憩スペースに呼ばれた。取っ手のない陶器の湯飲みに入ったお茶を差し出された。

「苦いなぁ・・・」
「そう言う味なんだ。慣れると病み付きになるぞ。気分を落ち着かせたい時は、東洋のお茶が良い。」
「嫌いじゃないさ。初めてなので、未経験の味に驚いた。」
「先祖の記憶にはないのか?」
「飲食物の味の記憶はストックされていない。」

 そしてダリルはポールを見て笑った。

「君の気分は治まったのか?」
「君のその笑顔を見たら治まった。」

 ポールは大きな溜息をついた。

「パットの体の傷は1,2週間もすれば良くなる。注射された麻薬も抜ける。だが、心の傷は時間がかかる。」
「汚い手段で拷問されたんだな?」
「うん・・・最初、彼は俺が触れるのも嫌がった。心を読まれるのを拒んだんじゃない、他人の手を恐れたんだ。彼が恐怖心を克服する迄待った。俺が尊敬するお茶の先生だ。だから俺はお茶の話をして、彼がリラックスするのを待ったんだ。彼が『弟子に諭されるなんて』と冗談を言える迄待ったんだ。」
「パットは気骨がある人だ。救出される時迄縛られていたのは、彼が拷問に屈していなかった証拠だろ? もし屈していたら、生きていなかったかも知れない。」
「ああ、その通りだ。」

 ポールは、タンの言葉とテレパスで得た情報を整理して説明した。
 パトリック・タン・ドーマーはクローンの権利を主張するプラカードを持った学生達に追い回された。この騒動がFOKが起こしたものかトーラス側が起こしたものか、それは警察の捜査を待たねばならないが、兎に角、その騒動でタンは相棒のケリーと引き離され、ひとまず避難するつもりで目に付いた学舎の入り口に駆け込んだ。そこが献体搬入口だったのだが、その近くの部屋からモア兄弟が出て来るのが見えた。タンはガブリエル・モアの手配書を見ていたので、弟の方をすぐ見分けた。モア兄弟は彼に気づかず、チャペルの方へ抜ける地下道に降りて行った。タンはモア兄弟が出て来た部屋を覗き、台の上の死体を発見して驚いた。直ぐに上司で指揮官であるクロエル・ドーマーに電話をしたのだが、通話を終えた直後に背後から襲われた。頭から袋の様な物を被せられ、スタンガンで気絶させられた。
 次に目覚めると、どこかの部屋の中だった。目隠しをされたまま、椅子に縛られ、質問された。ドームコンピュータのアクセスコードを訊かれたのだ。タンは自分は幹部ではないので知らないと応えたが、信じてもらえず、拷問を受けた。

「ドームコンピュータのアクセスコードだって?」

 ダリルは驚いた。そんなものを外の人間が知ってどうするのだ。全人類の遺伝子情報を手に入れて地球征服でもするつもりなのか?
 ポールが言った。

「外の人間の中には、コロニー人に地球が支配されていると感じている連中がいるってことさ。だから、ドームの存在が気に入らない。女を人質に取られていると思っているんだ。」
「馬鹿な・・・」

 ダリルは呟いた。

「トーラスは政財界の大物の集まりだぞ。その中にドームに反感を抱く敵がいるって言うのか?」