2016年12月17日土曜日

誘拐 6

 チーフ・レインは部下達の夜の休息も考えてやらねばならなかった。出張所の休憩室では1度に5人までしか寝る場所がない。遺伝子管理局の人員は抗原注射の効力がある48時間しか外にいられないので、徹夜も平気でこなすが、翌日のハードな仕事に備えて部下達に十分な休息を取らせたい、と彼は考えた。すると、思いがけずリュック・ニュカネンが3人だけなら自宅に泊めても良いと申し出た。

「息子が高校の課外授業で昨日から1週間の予定でニューヨークに出かけている。息子の寝室と客間、それに居間のソファで1人ずつ寝られる。」

 200年以上昔まで大都会だったニューヨークは、今でも現役の都市だが、人口の激減でかっての半分の面積しか利用されていない。残りの摩天楼がある地区は広大な遺跡になっていた。広すぎて歩き回るのは危険なので、指定された道路を認可された観光業者のバスで通過する見学コースが人気だ。
 ポールはニュカネンの申し出を快く受けることにした。

「では、ヒギンズ君を預かってもらおう。彼はまだセイヤーズを演じるから護衛が必要だ。ジョン・ケリー、君は今日プラカードの連中に追い回されたらしいから、ヒギンズの護衛で付いていってくれ。もう1人、誰か行かないか?」

 残りの3人が互いの顔を見やった。彼等は堅物ニュカネンが苦手なのだ。しかし、ここでニュカネンの顔を潰す訳にもいかないし、早く決めてしまって部下達に休息を取らせたい。ポールが指名する相手を探して見回した時、ニュカネンがまた言った。

「さっき妻に連絡したら、キドニーパイと茸のクリームスープを作って待っていると言っていた。」
「ああ、君の奥方は料理名人だったなぁ。」

 するとクロエルが、「僕ちゃんが行く!」と手を揚げた。ポールが速攻で却下した。

「幹部は駄目だ。」
「いや〜ん、キドニーパイ、食べた〜い!」

 部下達が笑った。パトリック・タンの誘拐が発覚して以来、初めて緊張がほぐれたのだ。
 1人が手を揚げた。

「行きます。護衛ですよね? 飯に釣られて行くんじゃないです。」
「素直じゃないねぇ!」

 また笑いが起こった。
 ポールが許可を与え、ヒギンズ、ケリー、それに3人目のマコーリー・ドーマーに注意事項を告げている間に、ニュカネンがクラウスに囁いた。

「レインとクロエルはやっぱり指導者の器だなぁ・・・私はかなわないよ。」
「そんなことないですよ。ここを立派に運営されてるじゃないですか。」

 妻帯しているクラウスは、いつか子供を持つことがあればドームを去らねばならないと思っている。そんな時、先輩のニュカネンは頼りになってくれるはずだ。
 てきぱきと翌日の段取りを決めると、ニュカネンはヒギンズ、ケリー、マコーリーを車に乗せて帰宅して行った。
 出張所の夜勤職員が配置に就くのを待って、ポールは残った部下2人とクロエル、クラウスを連れて近所の店に食事に出た。ケイジャン料理の店ではなく、普通のカフェだったので、クロエルはがっかりしたが、表情には出さなかった。帰り道、彼はコンビニに立ち寄って派手なシャツを買った。それをクラウスに渡した。クラウスが怪訝な顔をしてシャツを眺めた。

「何ですか、これ?」
「明日の小道具。」

 クラウスはポールを見た。ポールも意味がわからないので、肩をすくめただけだった。
彼等が出張所に戻ると、上空から機械音が響いて来た。それは静音ヘリのローターの音だった。聴力の良いクロエルが最初に気づいて空を見上げた。

「出張所の屋上って、ヘリを置けましたっけ?」
「置けるはずだ。」

 ポールも見上げて、着陸態勢に入ったヘリを見守った。

「俺はあれを見ると、まだゾッとするよ。」

 彼等は出張所のビルに入り、屋上へ上がった。丁度ヘリが着陸してエンジンを止めたところだった。そして、風に金髪を遊ばせながらダリル・セイヤーズ・ドーマーが降り立った。