2019年3月31日日曜日

誘拐 2 2 - 1

 翌朝、ハイネはアパートの自室から出ていつものジョギングに出かけた。平素の生活を見せておかないと執政官達に怪しまれる。軽い頭痛がするのは、ヤマザキに睡眠薬を飲まされたからだ。ヤマザキは何が起きているのか知らぬまま、ハイネの部下に何か重大な問題が生じてハイネが悩んでいることを察していた。だから、眠れるように睡眠薬を処方したのだ。

「君が頭痛を嫌うことは知っているが、眠っておかないと部下達を迎える前に君がダウンするぞ。第一寝不足の顔で人前に出たら、何か問題発生だとケンさんにバレバレだ。」

 説得されて嫌々ながらも睡眠薬を飲んだのだ。お陰で眠れたが、頭痛はやはり彼を苦しめた。お昼までは我慢しなければならない。彼の体質上、その時間迄は薬が抜けないのだ。
 朝食の席でケンウッドに出会わないよう祈りながら食堂に行くと、ダルフーム博士と出会った。一般食堂に滅多に現れない人だったので、ハイネは驚いた。ダルフームは彼を見つけると近づいて来た。

「おはよう、ハイネ局長。」

 コロニー人の中でも年長の博士はハイネと年齢が2つしか離れていない。ハイネとの付き合いは、親しくはないものの、このドームの中で一番長い。

「おはようございます。こちらでお見かけするのは珍しいですね。」

 ハイネはこの学者には敬意を払って接した。ダルフームが近々退職すると言う情報を聞いた時は残念に思ったのだ。出来れば女子誕生を見届けてから辞めて欲しかった。しかしダルフームは女子誕生の鍵発見のチャンスをケンウッドに譲り、ケンウッドがその偉業を成し遂げると満足して退職を決意したのだ。
 ダルフームはハイネに微笑みかけた。

「今夜、出発することにしたのだよ、局長。」

 え? とハイネは驚いた。

「離任式は?」

 執政官は執政官会議で離任することを長官から承認される仕来りだ。しかしその日執政官会議の予定はなかった。
 ダルフーム博士は首を振った。

「必要ない。私は静かに退職する。ケンウッド長官にもそう言ってある。若い執政官達は明日の会議で私が去ったことを知るだろう。だが、君には一言挨拶をしておきたかった。友人とは言えなかったが、長い付き合いだったからね。薬剤関係では世話になった。有り難う。」

 ハイネはこの誠実な学者を見つめ、やがて彼の方から手を差し出した。

「地球の為に貴方の貴重なお時間を捧げて頂き、有り難うございました。」

 ダルフームはハッとした様にドーマーの手を見つめ、そして握った。

「遺伝子管理局長自ら握手を求めて下さるとは、光栄です。」

と老科学者は言った。その目に光るものがあった。