2017年3月14日火曜日

オリジン 25

 翌朝、ライサンダーは再び地下の娘に会いに行った。前日とほとんど変化がないのだから観察しても発見することはないのだが、彼は娘に母親の思い出を語りたかった。彼女の前に座って半時間ほど、前日の続きを語り、ちょっと涙が出て口を閉じた。娘が言葉を理解する程大きくなったら、母親の思い出をもう一度語ってやらなければと思う。その時は泣かずに語ることが出来るだろう。
 感情の波が収まって、彼が立ち上がった時、足音が近づいて来た。振り返ると、薄暗い通路を大柄な男がやって来るところだった。防護服を着用しているので互いの顔がよく見えないのだが、相手はライサンダーを認めた。

「よう、ライサンダー!」

 マイクを通して聞こえた声はジェリー・パーカーだった。ライサンダーはちょっと驚いた。ジェリーがこの地球で最も重要な場所に立ち入る許可を得ているとは知らなかったからだ。

「おはよう、ジェリー。ここで仕事?」
「見回りの当番だ。ま、ぐるりと歩くだけだがな。」

 ジェリーがそばまで来た。ライサンダーは昨夜のパーティーに彼を招待したのだが、ジェリーは来なかった。もう少し内輪の集まりだったら来たのかも知れないが、彼の気持ちを考えてメールすべきだったとちょっぴり後悔したのだ。ジェリーは大勢でわいわい騒ぐのは苦手な男だ。
 ジェリーが人工子宮の中の子供を見た。

「娘ちゃんはご機嫌かい?」
「うん、気持ちよさそうに浮かんでるよ。」
「なんて名前だっけ?」
「ルシア・ポーレット。」
「じゃ、ルーシーだな。」

 ジェリーは子供に向かって「おはよう、ルーシー」と声を掛けた。それが自然だったので、彼はラムゼイ博士の研究所でクローン達に毎日そうやって声を掛けていたのだろう、とライサンダーは想像した。恐らく俺にも・・・。
 ジェリーがライサンダーに向き直った。

「明日は外へ帰るんだろ?」
「うん。自分の食い扶持を稼がないといけないからね。」
「親は金持っているのにな。」
「父さん達のお金は宛にしてないさ。ドーム・バンクのお金は外でも引き出せるらしいけど、専用のカードが必要なんだ。俺がレインからもらったカードはドームの中だけでしか使えない。」
「俺がもらったカードと同じだな。おかしいだろうが、俺はドームに来て初めて給料と言うものをもらったぜ。博士の農場では金は博士の口座から自由に使えるものと思っていたからな。」
「おぼっちゃんだったんだ?」
「そんなものじゃない。秘書として全部任されていたんだ。」

 ジェリーは周囲をさりげなく見廻した。そしてライサンダーに顔を寄せてきた。

「ライサンダー、ちょっと頼まれてくれないか?」
「何を?」
「ネット上で人捜しをして欲しい。」
「自分でやれないのか?」
「外のネットを使えるのは図書館のコンピュータだけなんだ。それもフィルター付きでな。有害サイトは見られないようになっている。」
「有害サイトで人捜しするのか?」
「ドームからアクセス出来るジャンルは全部チェックしたが、見つからない。残るは執政官達がドーマーに見せたくない類のサイトだ。図書館からはアクセス出来ない。」
「どんな有害サイトなんだ?」
「成人が見るサイトさ。」

 ああ、とライサンダーは合点した。人口の8割を男性が占める時代だ。欲求不満の男達が眺めて楽しむエロチックなサイトが沢山あって、当局が取り締まるほどだ。ライサンダーも男だから、たまに友人達と覗いて楽しむこともある。

「その手のサイトの掲示板などに、『へそまがりJP』と言うネット名で挨拶程度の書き込みをしてくれないか? 俺が昔から使っているハンドルだ。」
「挨拶だけ?」
「他に書くことがあるのか?」
「人捜しだろ?」
「こっちから呼びかけて名乗り出るヤツじゃないのさ。よろしく程度の挨拶だけ書いて、それに反応する希有なヤツを待つんだ。挨拶レベルの返信は無視して良いからな。もし反応があったら、次にここへ来た時に教えてくれれば良い。こっちは急がないし、慎重にやりたいからな。」
「相手のハンドルは?」
「昔はマツウラと名乗っていたが、今はどうかな。」
「本名は使わないよな?」
「エロサイトで本名はないだろ?」
「そいつが反応しない可能性もあるんだな?」
「しない可能性の方が大きいが・・・ドームから出られない俺が人捜しをするとしたら、ネットか外の人間の協力しか方法がない。だが、外の人間で俺の知り合いは、当局から追われる身ばかりだからな。」

 ジェリーは苦笑した。

「ドーマーに依頼するのは気が引ける。なにしろエロサイトだ。純粋培養されたドーマーには毒なのさ。」
「俺は野に生える雑草だからな。」
「雑草じゃないだろ? おまえ程血統がしっかりしているクローンはいないぜ。」

 と言ってから、彼は訂正した。

「否、今のおまえはもう立派な市民だったな。」