初夏になると空調が効いたドームでも暑く感じられる様になる。つまり、太陽が偉大だと言う証拠だ。
ジェリー・パーカーは中央研究所を出て、一人で庭園に入って行った。監視役のアキ・サルバトーレ・ドーマーは彼が研究室に居ると思っているらしく、控え室から出てこなかった。ジェリーはこっそり外出したのだが、後でアキが上司から叱られては気の毒だと思い、庭園に足を踏み入れた時点で監視役の端末にメッセージを送信しておいた。
ーー1時間ばかり外で休憩。遅くなる時は連絡する。
端末の位置情報でアキにはジェリーの居場所がわかるはずだ。ドームの中に居るのだから、それで監視は十分だと思うが、とジェリーは思った。ただアキが話し相手になってくれるので、文句を言わないだけだ。
ジェリーは庭園を横切り、壁に近づいて行った。ドーマー達は滅多に壁に近づかない。子供時代から「近づいてはいけない場所」と確たる理由もなく躾けられているからだ。
危険でもなんでもないのだが、ダリル・セイヤーズ・ドーマーの言葉を借りれば、「壁の存在を感じると、自分達は囚われの身なのだなと実感する」ので、コロニー人はドーマーを壁に近づかせたがらないのだそうだ。
ジェリーが壁まで行ったのは、囚われの実感を体験する為ではない。初夏になると壁の向こうに広大な花畑が出現すると聞いたので、見に行ったのだ。ドームがある場所は異変が起きる前は広大な農地だったと言われている。コロニー人は汚染された土壌を撤去し、消毒された土を入れてドームを建設した。ドーム建設の為に接収された土地の半分は外界との境界として残された。広大な野原のままで。
ドームの壁は外から見ると虹色に変化する巨大な塊に見える。内部は全く見えない。しかし、内側からは透明なガラス壁に見えた。だから、ジェリーにはどこまで歩けば良いのかわからなかった。
ゆっくりと進んで行くと、前方に不思議な光景が現れた。
一人のスーツ姿の男が斜めに空中に浮かんで寝ていたのだ。真っ白な髪と端正な顔は見覚えがあった。
ローガン・ハイネだ!
背景の色とりどりの花畑をバックに遺伝子管理局の局長が宙に浮いている・・・?
ジェリーは暫くその不思議な光景に見とれていた。それから、局長はどんな仕掛けで宙に浮いているのだろうと気になってきた。まさか天に召されようとして止まっているのではあるまい。
彼が静かに近づいて行くと、ハイネ局長が目を閉じたまま呟いた。
「昼寝の邪魔をしないでくれないか。」
ジェリーは足を止めた。
「すみません。ただ、貴方がどんな仕掛けで宙に浮いているのか知りたくて・・・」
局長が目を開いて、首を動かした。ジェリーを見つけて、君か、と呟いた。
彼は上体を起こし、次の瞬間、滑り台を滑り降りるかの様に地上にすっと降り立った。
「どんな仕掛けか知りたいだと?」
「はい・・・」
「手を伸ばしてみたまえ。」
言われてジェリーは花畑の方角へ手を伸ばした。彼の手は透明な硬い壁に阻まれた。
「それが壁だ。硬いだろう?」
「ガラスの様です。」
「宇宙船の外壁用素材だ。特殊超合金で、ダイアモンドより硬い。しかし・・・」
局長は2,3メートル内側に移動し、いきなり花畑に向かってジャンプした。ジェリーが呆気にとられる目の前で、彼は空中で斜めに体を傾けた状態で停止した。そして何か柔らかい物の中でもがく様に手足を動かし、胴を捻って体を反転させ、顔を上に向けた。ジェリーを振り返って微笑んだが、それは悪戯に成功した子供の様に無邪気な笑みだった。
「やってみたまえ。」
ジェリーは先刻手に触れた硬い感触を思い出し、あんな硬度の壁に突進したら怪我をするんじゃないか、と思ったが、現に目の前でハイネが空中に浮かんでいるので、覚悟を決めた。真似をして2,3メートル後退してから、勢いをつけてジャンプした。
彼の体はフワフワした柔らかい物に受け止められ、宙に浮いた形で止まった。あまりにフワフワしているので、顔が真綿で包まれた様になって呼吸が出来ない。彼は慌てて体を捻り、上を向いた。大きく息をつくと、ハイネが笑った。
「上手く出来たじゃないか。」
「なんなんです、これ?」
「特殊超合金の性質を利用した私の昼寝場所だよ。」
「その特殊超合金の性質とは?」
「宇宙船は光速で移動する。宇宙空間にはたくさんのゴミが漂っていて、宇宙船に衝突することが頻繁にある。そんな時に外壁が硬いままでは船体に受けるダメージが大きくなるだろ?だから平素は硬いが、動体が衝突すると緩衝材の様になって衝撃を和らげるのだ。
ドームの内部から見ると壁が無いように見える。ドーマー達が知らずにぶつかると怪我をする。だからコロニー人達は人がぶつかると緩衝材に変化する特殊超合金で壁を造った。」
「ドーマーはこの壁の性質を知っているんですか?」
「コロニー人はドーマーにそんなことは教えない。地球上で必要のない技術は教えないのだ。」
「すると、この昼寝場所は、貴方が発見されたのですね?」
「恐らく、私だけが知っている場所だな。」
局長は片眼を瞑って見せた。
「誰にも口外するなよ。昼寝は一人で楽しみたいのでね。」
「俺も昼寝させてくれたら、喋りませんよ。」
それから20分ばかり2人は黙って目を閉じていた。
ジェリーは、育った中西部の平原を想った。春になると一面の花畑になった。幼かった彼は、やはり幼かったシェイと2人で隠れ家を抜け出して野原で遊び回った。やがてラムゼイ博士と用心棒が探しに来て、2人を捕まえて家に連れ帰った。お花の首飾りを壊されてシェイが泣いた。博士にあげようと思ったのにと。
次の日、博士が自ら2人の手を引いて野原に出かけた。ヘビや毒虫がいないことを確認してから、2人は遊ぶことを許され、用心棒付きでピクニックをした。
ジェリーの数少ない幸せな子供時代の記憶だ。
「休憩時間終了!」
ハイネ局長の声で、ジェリーは現実に引き戻された。局長が両腕を伸ばして伸びをすると、壁が硬くなって、彼は滑り降りた。ジェリーも真似て、するりと地面に降りた。
ジェリー・パーカーは中央研究所を出て、一人で庭園に入って行った。監視役のアキ・サルバトーレ・ドーマーは彼が研究室に居ると思っているらしく、控え室から出てこなかった。ジェリーはこっそり外出したのだが、後でアキが上司から叱られては気の毒だと思い、庭園に足を踏み入れた時点で監視役の端末にメッセージを送信しておいた。
ーー1時間ばかり外で休憩。遅くなる時は連絡する。
端末の位置情報でアキにはジェリーの居場所がわかるはずだ。ドームの中に居るのだから、それで監視は十分だと思うが、とジェリーは思った。ただアキが話し相手になってくれるので、文句を言わないだけだ。
ジェリーは庭園を横切り、壁に近づいて行った。ドーマー達は滅多に壁に近づかない。子供時代から「近づいてはいけない場所」と確たる理由もなく躾けられているからだ。
危険でもなんでもないのだが、ダリル・セイヤーズ・ドーマーの言葉を借りれば、「壁の存在を感じると、自分達は囚われの身なのだなと実感する」ので、コロニー人はドーマーを壁に近づかせたがらないのだそうだ。
ジェリーが壁まで行ったのは、囚われの実感を体験する為ではない。初夏になると壁の向こうに広大な花畑が出現すると聞いたので、見に行ったのだ。ドームがある場所は異変が起きる前は広大な農地だったと言われている。コロニー人は汚染された土壌を撤去し、消毒された土を入れてドームを建設した。ドーム建設の為に接収された土地の半分は外界との境界として残された。広大な野原のままで。
ドームの壁は外から見ると虹色に変化する巨大な塊に見える。内部は全く見えない。しかし、内側からは透明なガラス壁に見えた。だから、ジェリーにはどこまで歩けば良いのかわからなかった。
ゆっくりと進んで行くと、前方に不思議な光景が現れた。
一人のスーツ姿の男が斜めに空中に浮かんで寝ていたのだ。真っ白な髪と端正な顔は見覚えがあった。
ローガン・ハイネだ!
背景の色とりどりの花畑をバックに遺伝子管理局の局長が宙に浮いている・・・?
ジェリーは暫くその不思議な光景に見とれていた。それから、局長はどんな仕掛けで宙に浮いているのだろうと気になってきた。まさか天に召されようとして止まっているのではあるまい。
彼が静かに近づいて行くと、ハイネ局長が目を閉じたまま呟いた。
「昼寝の邪魔をしないでくれないか。」
ジェリーは足を止めた。
「すみません。ただ、貴方がどんな仕掛けで宙に浮いているのか知りたくて・・・」
局長が目を開いて、首を動かした。ジェリーを見つけて、君か、と呟いた。
彼は上体を起こし、次の瞬間、滑り台を滑り降りるかの様に地上にすっと降り立った。
「どんな仕掛けか知りたいだと?」
「はい・・・」
「手を伸ばしてみたまえ。」
言われてジェリーは花畑の方角へ手を伸ばした。彼の手は透明な硬い壁に阻まれた。
「それが壁だ。硬いだろう?」
「ガラスの様です。」
「宇宙船の外壁用素材だ。特殊超合金で、ダイアモンドより硬い。しかし・・・」
局長は2,3メートル内側に移動し、いきなり花畑に向かってジャンプした。ジェリーが呆気にとられる目の前で、彼は空中で斜めに体を傾けた状態で停止した。そして何か柔らかい物の中でもがく様に手足を動かし、胴を捻って体を反転させ、顔を上に向けた。ジェリーを振り返って微笑んだが、それは悪戯に成功した子供の様に無邪気な笑みだった。
「やってみたまえ。」
ジェリーは先刻手に触れた硬い感触を思い出し、あんな硬度の壁に突進したら怪我をするんじゃないか、と思ったが、現に目の前でハイネが空中に浮かんでいるので、覚悟を決めた。真似をして2,3メートル後退してから、勢いをつけてジャンプした。
彼の体はフワフワした柔らかい物に受け止められ、宙に浮いた形で止まった。あまりにフワフワしているので、顔が真綿で包まれた様になって呼吸が出来ない。彼は慌てて体を捻り、上を向いた。大きく息をつくと、ハイネが笑った。
「上手く出来たじゃないか。」
「なんなんです、これ?」
「特殊超合金の性質を利用した私の昼寝場所だよ。」
「その特殊超合金の性質とは?」
「宇宙船は光速で移動する。宇宙空間にはたくさんのゴミが漂っていて、宇宙船に衝突することが頻繁にある。そんな時に外壁が硬いままでは船体に受けるダメージが大きくなるだろ?だから平素は硬いが、動体が衝突すると緩衝材の様になって衝撃を和らげるのだ。
ドームの内部から見ると壁が無いように見える。ドーマー達が知らずにぶつかると怪我をする。だからコロニー人達は人がぶつかると緩衝材に変化する特殊超合金で壁を造った。」
「ドーマーはこの壁の性質を知っているんですか?」
「コロニー人はドーマーにそんなことは教えない。地球上で必要のない技術は教えないのだ。」
「すると、この昼寝場所は、貴方が発見されたのですね?」
「恐らく、私だけが知っている場所だな。」
局長は片眼を瞑って見せた。
「誰にも口外するなよ。昼寝は一人で楽しみたいのでね。」
「俺も昼寝させてくれたら、喋りませんよ。」
それから20分ばかり2人は黙って目を閉じていた。
ジェリーは、育った中西部の平原を想った。春になると一面の花畑になった。幼かった彼は、やはり幼かったシェイと2人で隠れ家を抜け出して野原で遊び回った。やがてラムゼイ博士と用心棒が探しに来て、2人を捕まえて家に連れ帰った。お花の首飾りを壊されてシェイが泣いた。博士にあげようと思ったのにと。
次の日、博士が自ら2人の手を引いて野原に出かけた。ヘビや毒虫がいないことを確認してから、2人は遊ぶことを許され、用心棒付きでピクニックをした。
ジェリーの数少ない幸せな子供時代の記憶だ。
「休憩時間終了!」
ハイネ局長の声で、ジェリーは現実に引き戻された。局長が両腕を伸ばして伸びをすると、壁が硬くなって、彼は滑り降りた。ジェリーも真似て、するりと地面に降りた。