2016年8月23日火曜日

4X’s 20

 東海岸は3時間の時差で既に夜が更けていた。ケンウッド長官はまだ書類仕事を片付けられないでいた。彼は仕事熱心で真面目でドーマーたちからも同僚の執政官たちからも信頼されていたので、既に長官職を2期勤め、3期目は流石に肉体的にやばいかなぁと思い始めていた。しかし、彼は在任期間中にどうしても解決しておきたい仕事をいくつも抱え込んでいた。
 彼の机の向こうにポール・レイン・ドーマーが立った。仕事では最も優秀だが、情け容赦のないやり方をするので、「氷の刃」と渾名される男だ。いつも身綺麗にしており、今も夜遅いと言うのに、今出勤してきたみたいに、折り目をパリッとつけたシャツとスーツをきちんと着込んで、冷たい水色の目で長官を見下ろした。

「お呼びですか?」

 命令されれば雑巾がけでも靴磨きでも何でもする男だ。仕事に関する意見は言うが、命令には逆らわない。典型的なドーマーだ。
 ケンウッドは期日が迫っている予算委員会への提出書類を作成していたが、ポールには手伝わせない。ポールにはポールの適性があり、ケンウッドは部下の適性を正確に判断出来る人間だった。ポールに声を掛けられて、彼は手を止めた。

「4Xの捜索は何処まで進んでいる? セイヤーズは本当に協力してくれているのか?」

 ポールが逃亡したダリル・セイヤーズを発見したことは、まだケンウッドと遺伝子管理局局長のローガン・ハイネ・ドーマーしか知らない。4Xの捜索にダリルを起用することを提案したのは、ハイネ局長だ。
 ダリルはポールの為なら働くだろう。ドームの外で長時間自由に動けて、危険任務を厭わないドーマーはダリルしかいない。
 ポールは、ダリルがGPS機能内蔵の端末を家に置きっ放しにしているのを察していたが、それを長官に告げるつもりはなかった。

「あの男は、やると言えばやります。絶対に約束は違えません。」

 ケンウッドにとって、ダリルは昔の教え子の1人でしかなく、特によく知っている訳ではなかった。ただ印象は残っていた。授業中に悪戯をするやんちゃ坊主だったのだ。

「君が彼を信じるのなら、私も信じよう。」

 夜遅く、そんな話でわざわざ呼び出したのか、とポールが思った時、ケンウッドは本題に入った。

「収容したメーカーたちの遺体の中にラムゼイはいなかったそうだね。」

 渋々ポールは認めた。

「ベーリングが襲った時、彼は研究所を留守にしていた様です。逃げられました。」
「しかし、施設は破壊された。当分はあくどい商売は出来ないだろう。」
「そう願いたいですが、あの爺様は、方々に同じ様な施設を持っていました。」

 ケンウッドがやっと顔を上げてポールを見た。

「君は、ラムゼイが一番大切にしているものを別の場所に隠していると思うかね?」

 メーカーの一番大切なもの、と言えば、遺伝子組み換えの方程式や、貴重な遺伝子サンプルだろう。そして、細胞を分裂させる己の技術。
だが、遺伝子管理局から見れば、そんなものは抹消すべき邪道の研究だ。
ポールは、今回の作戦を始める前から、ラムゼイやベーリングの支部を片っ端から潰していった。外堀を埋めて、メーカーたちが本丸に逃げ込んだ所を、攻撃する。
ポールは、ベーリングは壊滅させた自信があったが、ラムゼイの用意周到さには呆れかえった。潰しても潰しても、ラムゼイには逃げる場所が用意されていたからだ。

「私には、ラムゼイには誰か強力なバックが付いていると思えます。」

ケンウッドは驚いた。メーカーに黒幕がいると言う考えに、虚をつかれた思いだった。

「そのバックが博士を匿っていると思うのか?」
「恐らく、何らかの手を貸しているでしょう。」

ポールは、ケンウッドが深刻な顔で悩むのを見物した。
大きな組織のメーカーを取り逃がしたことには違いないが、長官は何を懸念しているのだろう。

「レイン、メーカーの遺体のDNA照合はしたのだろうね?」
「全員、しました。死亡者リストに登録済みです。」
「その中に、ドーム内出生未登録者はいたか?」

地球人は、メーカーが作ったクローンでない限り、ほぼ全員がどこかのドームで生まれている。ドームには地球人全員の遺伝子登録があるのだ。死亡した場合は、そのリストと照合して死亡事実を確認、登録する。

「メーカーたちは全員、ドームで生まれていましたよ。」

皮肉な事実にポールが少しばかり愉快そうに言った。ケンウッドは笑えなかったが、憂慮は少し和らいだ。
彼は、ポールに部屋に戻って休むようにと言った。
ポールは素直に退出したが、長官が何に安堵したのか、微かな疑問を抱いた。