2017年6月17日土曜日

侵略者 1 - 2

 ケンウッドは中央研究所に足を踏み入れた。受付のデスクの向こうにいるドーマーが彼に気づいて挨拶してくれた。

「お帰りなさい、ケンウッド博士。休暇はいかがでしたか? 」
「うん、のんびり出来たから、良かったよ。」

とケンウッドは答えた。
 実際のんびりは出来た。コロニーの実家は既に身内は誰もいなくて、空き家同然だったので、彼は今回の休暇の内に引き払って来たのだ。宇宙コロニーはスペースが限られているから、どこの家もアパートなどの集合住宅で、戸建てに住めるのは惑星コロニーの住人だけだ。それでも空気があるドーム都市と言う制限がある。だから、戸建てのケンウッドの実家は手直しの余地があっても良い値で売却出来た。
 もし地球勤務が何らかの理由で終止符を打つことになっても、最早帰る場所はない。どこかのコロニーに居住許可をもらって移住するか、地球永住許可を得るしかないだろう。コロニー人で地球に永住する人間は少ない。大異変の大気汚染がまだ完全に除去されていないからだし、重力の問題もあった。宇宙空間に住むコロニー人には母星の重力が肉体的な負担なのだ。ケンウッドは体力が許す限り地球に住む覚悟だった。
 サンテシマ・ルイス・リン長官に帰還の挨拶をして研究室に入った。リン長官は遺伝子学者としては優秀だ。特に呼吸器系の病気に関する遺伝の研究に優れた成果を上げ、コロニーでは彼の研究を下に治療法が確立して救われた子供達も多い。しかしケンウッドはこの男が嫌いだった。リンは地球人を「原始人」と見なしていると思われる言動が多いのだ。助手のドーマーの意見には殆ど耳を貸さず家来扱い、研究所の外のドーマーは野生生物を見る様な態度で接した。地球人を愛せないのなら、何故地球人を救うプロジェクトに参加しているのだ? 
 研究室で同僚や助手達と仕事の引き継ぎ、留守の間の出来事などの情報など、必要な用事を済ませて、やっと人心地ついた。
 自分の席に着いて留守中の伝言メッセージをチェックしていると、同僚のヘンリー・パーシバルが声を掛けてきた。

「リンに挨拶したか?」
「ああ、真っ先にやっておいたよ。後回しにすると後々五月蠅いからな。」
「度量の狭い男なんだよ。ハイネも手を焼いているようだ。」

 サンテシマ・ルイス・リン長官は着任してまだ1年経っていない。ケンウッドにとっては2人目の上司になる訳だが、先任者と比べて「小さい」としか思えない長官だ。専門分野で功績を挙げたからと言って、良い指導者になれるとは限らない。ドームの長官は優秀な科学者であると同時に、ドーム社会の行政長官でもあるし、外の世界、即ち地球の各政府と対等に付き合う国家元首の様な者でもあるのだ。そしてドーマー達にとっては、ある意味「父親」なのだ。しかし我が子を原始人扱いする親がいるだろうか?
 ハイネと言うのは、ドーマー達が働く遺伝子管理局の局長ローガン・ハイネ・ドーマーのことだ。まだ局長に就任して5年目と言うことだが、既に79歳だ。しかし、誰の目から見ても70代に見えない。30代半ばと言うところか?
 ハイネは進化型1級遺伝子と呼ばれる特殊遺伝子を持って生まれた地球人だ。クローンの母親のオリジナルたるコロニー人女性が、その遺伝子を持っていた訳だが、これは宇宙開拓時代、長い年月宇宙の旅に出ている宇宙飛行士を待つ家族の為に開発された遺伝子だ。宇宙飛行士が歳を取らずに帰還した時、家族が既に老齢になっていたら困るだろう、と言う考えの基に改良された人工的な遺伝子で、細胞の老化速度を極力落としてしまう。
ハイネは10代後半の頃から歳を取るのが遅くなり、勿論実際ゆっくり老化しているのだが、常人と比べると何時までも若いままに見えた。
 遺伝子管理局はドームの中のエリートが集められ、外の世界で遺伝子管理法が守られるよう監視する組織だ。ドーマー達の憧れの職場であり、局員はドーマー達のスターだ。ハイネも実年齢が信じられない美しい容姿を保っており、ドーム内ではドーマーもコロニー人も彼を敬愛し、憧れている。名実共にドーム内の地球人のトップにいるのが局長だ。
 リン長官は研究所での幹部会議にドーマーの代表として遺伝子管理局長を必ず参加させると言う地球人類復活委員会の規則を度々無視して、ハイネ抜きで会議を開くことがあった。当然遺伝子管理局から苦情が出る。

「リンは、ハイネにふられただろう、だから故意に無視しているんだ。」

 パーシバルがリン長官着任間もない頃に起きた出来事を思い出して言った。執政官は長官も含めて地球に着任すると自ら遺伝子管理局に出向いて着任の挨拶をする。これはどの大陸のドームでも同じ決まりだった。地球の主は地球人なのだから、当たり前だと考えられていた。しかし、リンはいきなりこの「お約束」を破った。ハイネを長官室に呼び寄せたのだ。 ローガン・ハイネ・ドーマーはこの頃既に宇宙では有名だった。ドームの中で行われる行事が度々宇宙に動画配信されることがある。これは地球人類復活委員会が寄付金集めの目的でテレビ局に取材させるのだ。当然、カメラは美しい地球人達を撮影して宇宙に流す。若さを保つ遺伝子を持つ真っ白な髪の美しい遺伝子管理局のドーマーは、多くのコロニーで大勢のファンを持っていた。本人が知らないだけで・・・。
 リンは、そのスターを自室へ呼びつけた。呼んでみたかったのだ。長官の権威がいかほどのものか、知りたかったのだ。
 ハイネは素直に出頭した。長官に敬意を表したからではない。全てのドーマーは幼少期から執政官に逆らうなと教え込まれて育ったからだ。相手がどんなに愚かなコロニー人でも、ドーマーは取り敢えず反抗しない。コロニー人は大概10年も地球上にいないからだ。重力に苦痛を感じて宇宙へ逃げて行く。だから、ドーマー達は多少理不尽な扱いを受けても、無理に反抗して罰を受けようとは思わない。
 リンは自室に現れたハイネに取り敢えず着任の挨拶をして、握手しようとした。するとハイネは彼に手袋の着用を要求したのだ。ドームの規則では、研究の際にドーマーに触れる時は手袋着用が義務づけられていた。だが、挨拶の時や自由時間にそんな決まりはない。ハイネは、しかし、リン長官が素手で彼に触れるのを拒否したのだ。宇宙から地球に下りて来た余所者が遺伝子管理局長を呼びつけるとは何事か、と態度で抗議した訳だ。リン長官は気分を害したが、なんとか感情を抑制した。それ以来、2人の間には確執が生まれた。
 ケンウッドは、アメリカ・ドームの2人の実力者が近いうちに衝突するのではないかと不安を覚えた。