ケンウッドがククベンコ医師から教えられた治療法は、大異変の前から地球で行われていた方法だった。ケンウッドも知っていたが、それを宇宙の果てから来た黴の除去に効果があるとは思えなかったので、今まで考えもしなかったのだ。それは、サム・コートニー医療区長やヤマザキ・ケンタロウ医師も同じだった。
「肺洗浄だって?」
「ええ、生理食塩水で肺の中を洗浄するのだそうです。」
「それだけで、γカディナ黴を除去出来ると、そのククベンコ医師は言ったのかね?」
「それだけと言っても、左肺全体を洗うので、患者にはかなりの負担になります。」
ヤマザキが腕組みして顔をしかめた。
「ローガン・ハイネはもう1年以上眠り続けている。体力が落ちているので、実際、これは博打だな。」
正確には1年4ヶ月と14日だ、とケンウッドは思った。アッと言う間にそれだけの歳月が経ってしまった。そんなに時間をかけて、まだ救う方法を見いだせない自分達は愚か者なのだろうか。
サンテシマ・ルイス・リン長官は最早「ハイネを救え」とは言わなくなった。「死なせるな」はお題目の様に言うが、患者の容態について尋ねることはしなくなった。死なれると困るが、恢復されても困る訳だ。アメリカ・ドームは今や彼の趣味の場になってしまった。
リン長官の専門は呼吸器系の遺伝ではなかったか。ケンウッドは彼がハイネの治療に一言も意見を言わないのを訝しく感じた。細菌のことは専門外だとしても、何か方法を考えることは出来るだろうに。
リン長官は一月に1回の割合で医療区のハイネの治療室に様子を見にやって来る。そしてガラス壁越しにジェルカプセルの中に浸かっているドーマーを10分ばかり眺め、何やら意味不明の微笑を浮かべて中央研究所に戻って行くのだった。
「あの男は、ドーマー達をペットだと考えているに違いない。」
とヘンリー・パーシバルが吐き捨てる様に言った。彼のお気に入りのドーマー、ポール・レイン・ドーマーがリン長官の「お手つき」になってしまったのが悔しくて仕方が無いのだ。しかも、レインはそれを訴えるつもりはない。彼は母親から遺伝した接触テレパスの能力でリンの考えを読んだのだろう、長官の相手をする見返りに巧みに職場での地位を上げてもらった。彼の若さでは異例の出世スピードだ。恐らく、ハイネが元気だったら決して許さなかったであろう人事だ。一つ救いがあるとすれば、それはレインが決して喜んでいる訳ではないと言うことだった。出世は彼にとって報酬であり、長官のベッドでの相手をするのは仕事に過ぎないのだ。望まない仕事だが、する以上はもらえるものはもらっておこう、と言う打算だ。
ケンウッドはレインの恋人であるダリル・セイヤーズ・ドーマーが可哀想に思えた。セイヤーズにはレインの様な打算的なところがない。彼は相棒が長官の部屋に何をしに行くのか知っていて、毎回引き留めようとする。戻って来たレインをセイヤーズが叱っている場合もあった。
セイヤーズも可愛らしい顔をした若者だ。だが彼に手を出す人間はドームの中にはいなかった。この若者には奇妙な特技があった。不意打ちを食らうと電光石火の早業で相手の顔に鉄拳を叩き込んでしまうのだ。標的は無差別で、レインでさえ餌食になりかけたことがある。リン長官も1度彼に手を出そうとして危うくノックアウトされかけた。
危険な美少年
しかも、ポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーにぞっこんだった。セイヤーズに誰かが親しげに話しかけると割り込んで睨み付ける。暇な時は、彼等はいつも2人一緒に行動していた。リン長官にとっては、セイヤーズはレインを独占するのに邪魔な存在だったのだ。
「リン長官は、ハイネを活かさず殺さずで飼っているつもりなのだろうよ。」
パーシバルが呟くと、ヤマザキが考えを述べた。
「リンはハイネの子種が欲しいのだろう。進化型1級遺伝子の精子は高額で取引される。辺境開拓を行う企業には、開拓団の子孫の遺伝子組み換えに使えるからね。」
「ククベンコが、ハイネの遺伝子はベータ星人のメトセラ型遺伝子の原型だと言っていたよ。」
「メトセラ型はもう完成されているから、いじる余地がないんだよ。組み替えに組み替えを繰り返すと人類じゃなくなってしまうから。しかし、進化型は、まだいくらでも組み替えられる。変化出来る遺伝子だ。だから、進化型と言う。ベータ星とは異なる自然条件の惑星が発見されれば、そこの開拓団の遺伝子に組み込んで開拓地の気候風土に合わせて行けるんだ。」
「そう言えば・・・」
パーシバルが記憶を探る表情になった。
「リンはことある毎に、ハイネを『当ドームの財産』と呼んでいるなぁ。」
コートニーが不愉快そうに言った。
「進化型遺伝子保有者が生きていれば、ドーム事業への出資者が逃げていかないからだ。しかし、ドーム全体を養うほどの精子をハイネ1人が提供出来るはずがない。」
ヤマザキが上司を見た。
「博士、そんなきれい事をリンが考えるはずはありませんよ。あの男は、ただハイネを抱きたいだけなんです。」
ケンウッドはギョッとして彼を見た。パーシバルも呆けた表情で医師を見ていた。
コートニーが頬を赤らめた。彼もその懸念は持っていたのだ。ただ口に出すのを憚っただけだ。
パーシバルが口ごもりながら言った。
「しかし・・・リンは既に・・・ポールを手中に収めて・・・」
「若いドーマーを意のままにするのとは意味が違うんだよ、ヘンリー。」
ヤマザキはケンウッドを見た。あんたはわかるだろう、とその目が言っていた。ケンウッドは自分の考えを言葉に出してみた。
「ドームの中の地球人のトップを服従させたいのだね。」
「その通り。」
コートニーが表情を引き締めた。
「私はこれから地球上の各ドームの医療区長と映像会議を開く。肺洗浄効果の可能性に関する意見を聞いてくる。」
「反対されたら?」
「反対されても、私はやる。それしか方法がないのであれば・・・」
彼はヤマザキを見た。
「君に無理強いはしない。ここで降りても良いんだ。ハイネは死ぬかも知れない。その時、責任を取らされるのは私独りで充分だ。」
ヤマザキが笑った。
「1年4ヶ月面倒を見てきたドーマーをここで見捨てろと、私に仰るのですか、博士? 私もやりますよ。」
ケンウッドも声をかけた。
「私も医療の知識はありますよ、医療区長。外科医ではないが、機器の使用は出来る。」
「僕は・・・」
パーシバルはためらった。彼は外科医でなく、医療機器もあまり扱ったことがない。顕微鏡専門だった。
「透視機器の監視程度なら力になれると思う。」
おいおい、とコートニーが苦笑した。
「君達3人と心中しろって言うのか?」
「肺洗浄だって?」
「ええ、生理食塩水で肺の中を洗浄するのだそうです。」
「それだけで、γカディナ黴を除去出来ると、そのククベンコ医師は言ったのかね?」
「それだけと言っても、左肺全体を洗うので、患者にはかなりの負担になります。」
ヤマザキが腕組みして顔をしかめた。
「ローガン・ハイネはもう1年以上眠り続けている。体力が落ちているので、実際、これは博打だな。」
正確には1年4ヶ月と14日だ、とケンウッドは思った。アッと言う間にそれだけの歳月が経ってしまった。そんなに時間をかけて、まだ救う方法を見いだせない自分達は愚か者なのだろうか。
サンテシマ・ルイス・リン長官は最早「ハイネを救え」とは言わなくなった。「死なせるな」はお題目の様に言うが、患者の容態について尋ねることはしなくなった。死なれると困るが、恢復されても困る訳だ。アメリカ・ドームは今や彼の趣味の場になってしまった。
リン長官の専門は呼吸器系の遺伝ではなかったか。ケンウッドは彼がハイネの治療に一言も意見を言わないのを訝しく感じた。細菌のことは専門外だとしても、何か方法を考えることは出来るだろうに。
リン長官は一月に1回の割合で医療区のハイネの治療室に様子を見にやって来る。そしてガラス壁越しにジェルカプセルの中に浸かっているドーマーを10分ばかり眺め、何やら意味不明の微笑を浮かべて中央研究所に戻って行くのだった。
「あの男は、ドーマー達をペットだと考えているに違いない。」
とヘンリー・パーシバルが吐き捨てる様に言った。彼のお気に入りのドーマー、ポール・レイン・ドーマーがリン長官の「お手つき」になってしまったのが悔しくて仕方が無いのだ。しかも、レインはそれを訴えるつもりはない。彼は母親から遺伝した接触テレパスの能力でリンの考えを読んだのだろう、長官の相手をする見返りに巧みに職場での地位を上げてもらった。彼の若さでは異例の出世スピードだ。恐らく、ハイネが元気だったら決して許さなかったであろう人事だ。一つ救いがあるとすれば、それはレインが決して喜んでいる訳ではないと言うことだった。出世は彼にとって報酬であり、長官のベッドでの相手をするのは仕事に過ぎないのだ。望まない仕事だが、する以上はもらえるものはもらっておこう、と言う打算だ。
ケンウッドはレインの恋人であるダリル・セイヤーズ・ドーマーが可哀想に思えた。セイヤーズにはレインの様な打算的なところがない。彼は相棒が長官の部屋に何をしに行くのか知っていて、毎回引き留めようとする。戻って来たレインをセイヤーズが叱っている場合もあった。
セイヤーズも可愛らしい顔をした若者だ。だが彼に手を出す人間はドームの中にはいなかった。この若者には奇妙な特技があった。不意打ちを食らうと電光石火の早業で相手の顔に鉄拳を叩き込んでしまうのだ。標的は無差別で、レインでさえ餌食になりかけたことがある。リン長官も1度彼に手を出そうとして危うくノックアウトされかけた。
危険な美少年
しかも、ポール・レイン・ドーマーはダリル・セイヤーズ・ドーマーにぞっこんだった。セイヤーズに誰かが親しげに話しかけると割り込んで睨み付ける。暇な時は、彼等はいつも2人一緒に行動していた。リン長官にとっては、セイヤーズはレインを独占するのに邪魔な存在だったのだ。
「リン長官は、ハイネを活かさず殺さずで飼っているつもりなのだろうよ。」
パーシバルが呟くと、ヤマザキが考えを述べた。
「リンはハイネの子種が欲しいのだろう。進化型1級遺伝子の精子は高額で取引される。辺境開拓を行う企業には、開拓団の子孫の遺伝子組み換えに使えるからね。」
「ククベンコが、ハイネの遺伝子はベータ星人のメトセラ型遺伝子の原型だと言っていたよ。」
「メトセラ型はもう完成されているから、いじる余地がないんだよ。組み替えに組み替えを繰り返すと人類じゃなくなってしまうから。しかし、進化型は、まだいくらでも組み替えられる。変化出来る遺伝子だ。だから、進化型と言う。ベータ星とは異なる自然条件の惑星が発見されれば、そこの開拓団の遺伝子に組み込んで開拓地の気候風土に合わせて行けるんだ。」
「そう言えば・・・」
パーシバルが記憶を探る表情になった。
「リンはことある毎に、ハイネを『当ドームの財産』と呼んでいるなぁ。」
コートニーが不愉快そうに言った。
「進化型遺伝子保有者が生きていれば、ドーム事業への出資者が逃げていかないからだ。しかし、ドーム全体を養うほどの精子をハイネ1人が提供出来るはずがない。」
ヤマザキが上司を見た。
「博士、そんなきれい事をリンが考えるはずはありませんよ。あの男は、ただハイネを抱きたいだけなんです。」
ケンウッドはギョッとして彼を見た。パーシバルも呆けた表情で医師を見ていた。
コートニーが頬を赤らめた。彼もその懸念は持っていたのだ。ただ口に出すのを憚っただけだ。
パーシバルが口ごもりながら言った。
「しかし・・・リンは既に・・・ポールを手中に収めて・・・」
「若いドーマーを意のままにするのとは意味が違うんだよ、ヘンリー。」
ヤマザキはケンウッドを見た。あんたはわかるだろう、とその目が言っていた。ケンウッドは自分の考えを言葉に出してみた。
「ドームの中の地球人のトップを服従させたいのだね。」
「その通り。」
コートニーが表情を引き締めた。
「私はこれから地球上の各ドームの医療区長と映像会議を開く。肺洗浄効果の可能性に関する意見を聞いてくる。」
「反対されたら?」
「反対されても、私はやる。それしか方法がないのであれば・・・」
彼はヤマザキを見た。
「君に無理強いはしない。ここで降りても良いんだ。ハイネは死ぬかも知れない。その時、責任を取らされるのは私独りで充分だ。」
ヤマザキが笑った。
「1年4ヶ月面倒を見てきたドーマーをここで見捨てろと、私に仰るのですか、博士? 私もやりますよ。」
ケンウッドも声をかけた。
「私も医療の知識はありますよ、医療区長。外科医ではないが、機器の使用は出来る。」
「僕は・・・」
パーシバルはためらった。彼は外科医でなく、医療機器もあまり扱ったことがない。顕微鏡専門だった。
「透視機器の監視程度なら力になれると思う。」
おいおい、とコートニーが苦笑した。
「君達3人と心中しろって言うのか?」