パーシバルの病室を辞して、ケンウッドはジェル浴室へ足を向けた。ジェル浴療養者は面会謝絶なのだが、彼は担当者に会いたかった。そこの医師はヤマザキ・ケンタロウと言う火星第5コロニー出身の医学者だ。ケンウッドはアジア系の彼のどちらが名前でどちらが姓か未だに覚えられない。だからケンと呼ぶが、ケンの方もケンウッドをニコではなくケンさんと呼ぶので時々周囲を混乱させる。
ケンウッドがレセプションで「ケン医師に面会したい」と言うと、受付のドーマーが電話で呼んでくれた。
「やぁ、ケンさん、何かご用かな?」
パーシバルがジェル浴を受けていた頃は頻繁に様子を伺いに来ていたので、すっかり顔を覚えられている。ケンウッドは彼をレセプションデスクから離れた位置に連れて行った。
「リン長官はここへ来ることがあるかね?」
「長官が?」
ヤマザキ医師は怪訝な顔をした。
「あの鷲っ鼻がここへ来るなんて、10年たってもないだろうね。」
「来たことがないのか?」
「部下達が入院していても様子さえ聞きに来なかったぜ。」
「彼のシンパは?」
「秘書が電話を掛けてくるだけだ。遺伝子管理局長はまだ目覚めないのかってね。」
パーシバルの毒薬説はただの空想に過ぎないようだ。ケンウッドがふっと肩の力を抜くと、ヤマザキ医師が苦笑した。
「もしかして、リンの一派がハイネに余計な手出しをしていると思っていたのか?」
「いや・・・お恥ずかしい・・・」
ケンウッドは、それがパーシバルの考えだったとは言わなかった。万が一誰かが聞いていてリン長官とそのシンパの耳に入ればパーシバルは苦しい立場に追いやられるだろう。
ヤマザキ医師が手招きしたので、ケンウッドは黙って付いていった。2人はジェル浴室区画に入った。ガラス壁の向こうにカプセルが数基並んでいた。薄桃色の半透明のジェルの中に全裸の男性が浸かっているのが見えた。口と鼻の部分だけマスクがぴったりと装着されており、チューブで外に繋がれていた。
「防護服着用でなければガラス壁の向こうへは入れない。」
とヤマザキ医師が説明した。
「チューブは呼吸専用で酸素を補給して二酸化炭素を排気しているだけだ。麻酔ガスを仕込みたければ、奥に見える空気清浄機に細工が必要だ。
ジェルは隣室でドーマーが調合する。私が必ず立ち会い、コートニー博士のレシピ通り作る。レシピはパーシバル博士のもハイネ局長のも同じ内容だ。
ジェル交換は毎朝5時に行われる。意識がある患者はジェルから出ると自分で体を洗浄して乾燥させるが、ハイネは意識がないのでドーマーの看護師が2人係で洗浄と乾燥を行う。2人共防護服着用であることは言う間でもない。」
「栄養や水分補給はどうしているんだ?」
「ジェルから直接皮膚が吸収している。」
もし何か悪巧みが為されているのなら、ヤマザキ医師を疑わなければならない。ケンウッドはパーシバルの毒薬説を捨てた。
「ケン、君の率直な意見を聞かせてもらっても良いかな? ハイネは何故目覚めないんだ? 他の患者は全員快方に向かっていると言うのに・・・」
ヤマザキ医師はガラス越しにジェルのカプセルを見つめた。
「進化型遺伝子は人工のものだが、謎が多いのも確かだ。」
と彼は呟いた。
「彼が生きていると言うことは、彼の体が病原菌と闘っていると言うことだ。」
「菌は死滅していないのか?」
「残念ながら、彼の体内の黴はまだ生きている。レシピ通りの薬剤は効いていないが、全く無駄とも言えない。今治療を止めれば、忽ち菌は増殖するだろう。」
「彼の細胞は他人よりも菌に弱いと言うことなのか?」
「真実、無菌のドーマーだからな。」
ヤマザキ医師はケンウッドを振り返った。
「死亡した訪問者だが、彼は何をしにここへ来たんだね?」
ケンウッドは思い出そうとした。会議室でコートニー医療区長が何か言っていた。随分昔の出来事の様で、なかなか思い出せなかったが、不意に記憶が蘇った。
「彼はガンマ星から遺伝子異常のサンプルを持って来た、と聞いた。一体どんな遺伝子異常なのだったのだろう? 」
「サンプルは何処にあるのだ?」
「彼の遺品は家族が引き取ったが・・・遺伝子サンプルなど持ち帰っただろうか?」
ケンウッドとヤマザキ医師の目が合った。
ヤマザキ医師が尋ねた。
「君は遺伝子学者だな?」
「そうだ。ガンマ星から持ち込まれたサンプルを探して分析してみるよ。」
ケンウッドがレセプションで「ケン医師に面会したい」と言うと、受付のドーマーが電話で呼んでくれた。
「やぁ、ケンさん、何かご用かな?」
パーシバルがジェル浴を受けていた頃は頻繁に様子を伺いに来ていたので、すっかり顔を覚えられている。ケンウッドは彼をレセプションデスクから離れた位置に連れて行った。
「リン長官はここへ来ることがあるかね?」
「長官が?」
ヤマザキ医師は怪訝な顔をした。
「あの鷲っ鼻がここへ来るなんて、10年たってもないだろうね。」
「来たことがないのか?」
「部下達が入院していても様子さえ聞きに来なかったぜ。」
「彼のシンパは?」
「秘書が電話を掛けてくるだけだ。遺伝子管理局長はまだ目覚めないのかってね。」
パーシバルの毒薬説はただの空想に過ぎないようだ。ケンウッドがふっと肩の力を抜くと、ヤマザキ医師が苦笑した。
「もしかして、リンの一派がハイネに余計な手出しをしていると思っていたのか?」
「いや・・・お恥ずかしい・・・」
ケンウッドは、それがパーシバルの考えだったとは言わなかった。万が一誰かが聞いていてリン長官とそのシンパの耳に入ればパーシバルは苦しい立場に追いやられるだろう。
ヤマザキ医師が手招きしたので、ケンウッドは黙って付いていった。2人はジェル浴室区画に入った。ガラス壁の向こうにカプセルが数基並んでいた。薄桃色の半透明のジェルの中に全裸の男性が浸かっているのが見えた。口と鼻の部分だけマスクがぴったりと装着されており、チューブで外に繋がれていた。
「防護服着用でなければガラス壁の向こうへは入れない。」
とヤマザキ医師が説明した。
「チューブは呼吸専用で酸素を補給して二酸化炭素を排気しているだけだ。麻酔ガスを仕込みたければ、奥に見える空気清浄機に細工が必要だ。
ジェルは隣室でドーマーが調合する。私が必ず立ち会い、コートニー博士のレシピ通り作る。レシピはパーシバル博士のもハイネ局長のも同じ内容だ。
ジェル交換は毎朝5時に行われる。意識がある患者はジェルから出ると自分で体を洗浄して乾燥させるが、ハイネは意識がないのでドーマーの看護師が2人係で洗浄と乾燥を行う。2人共防護服着用であることは言う間でもない。」
「栄養や水分補給はどうしているんだ?」
「ジェルから直接皮膚が吸収している。」
もし何か悪巧みが為されているのなら、ヤマザキ医師を疑わなければならない。ケンウッドはパーシバルの毒薬説を捨てた。
「ケン、君の率直な意見を聞かせてもらっても良いかな? ハイネは何故目覚めないんだ? 他の患者は全員快方に向かっていると言うのに・・・」
ヤマザキ医師はガラス越しにジェルのカプセルを見つめた。
「進化型遺伝子は人工のものだが、謎が多いのも確かだ。」
と彼は呟いた。
「彼が生きていると言うことは、彼の体が病原菌と闘っていると言うことだ。」
「菌は死滅していないのか?」
「残念ながら、彼の体内の黴はまだ生きている。レシピ通りの薬剤は効いていないが、全く無駄とも言えない。今治療を止めれば、忽ち菌は増殖するだろう。」
「彼の細胞は他人よりも菌に弱いと言うことなのか?」
「真実、無菌のドーマーだからな。」
ヤマザキ医師はケンウッドを振り返った。
「死亡した訪問者だが、彼は何をしにここへ来たんだね?」
ケンウッドは思い出そうとした。会議室でコートニー医療区長が何か言っていた。随分昔の出来事の様で、なかなか思い出せなかったが、不意に記憶が蘇った。
「彼はガンマ星から遺伝子異常のサンプルを持って来た、と聞いた。一体どんな遺伝子異常なのだったのだろう? 」
「サンプルは何処にあるのだ?」
「彼の遺品は家族が引き取ったが・・・遺伝子サンプルなど持ち帰っただろうか?」
ケンウッドとヤマザキ医師の目が合った。
ヤマザキ医師が尋ねた。
「君は遺伝子学者だな?」
「そうだ。ガンマ星から持ち込まれたサンプルを探して分析してみるよ。」