2017年6月24日土曜日

侵略者 3 - 1

 ケンウッドは元ドーマー達に案内されて2日目の午前中、郊外の森を散策した。本物の森だ。ドームの模造の森とは全く違って、草木が茂り、先の方まで緑が続いている。先が見えなかった。コロニー人はちょっとばかり恐怖を感じてしまった。勿論元ドーマー達も深入りしない。森には復活プロジェクトで蘇った野生動物が放たれ、人類よりも早く正常に戻って繁殖していた。熊や狼に出くわしたら大変だ。
 和やかな昼食会の後、名残惜しそうに見送る元ドーマー達と別れて、ケンウッドは支局の空港から飛行機でドームへ戻った。
 ドームのゲートは予想外に混雑していた。月からの定期便や、出産間近の女性達を運んで来たドーム航空班の飛行機が短時間に次々と着陸したからだ。ケンウッドは職員用のゲートに急いだ。採取した検体を早く冷蔵庫に入れたかった。
 ドームの入り口には「ゲート」と呼ばれる扉がある。全ての人間がここで消毒され、体内の滅菌処理を施されるのだ。大きく分けて、地球の一般人用の大きなゲートと宇宙からの訪問者用の小さなゲートがあり、ケンウッドは今まで小さなゲートしかくぐったことがなかったが、今日は大きなゲートのドーム職員用だ。普段はドーマーしか通らない所を執政官の彼が通ったので、係官が「あれ?」と言う顔をした。ケンウッドは「サンプル採取だよ」と申告した。相手は納得して、彼に薬品風呂への通路を示した。ケンウッドは着ていた物を全部脱いで洗濯に出し、自身は薬品風呂で全身を洗浄し、鼻腔や眼球、耳の穴、喉の奥まで消毒された。酷く面倒臭いが、これが全世界のドームでの約束事であり、ドームを出入りするドーマー達は毎日この約束事をきちんと守っているのだ。執政官が守らずしてどうする?
 消毒だけでくたびれた感を覚えながら、新しい衣服をもらって身につけ、ケンウッドはゲートの内側、ドームに帰還した。扉を抜けるとそこは送迎フロアだ。彼が出たのはドーム職員用の場所で、出産管理区とは分厚い壁で完全に隔てられている。航空班の飛行機は大陸各地の支局巡りをする遺伝子管理局の局員も運ぶのだが、今日の帰還便は誰も乗っていなかったので、ケンウッド1人だけだった。しかし月からの定期便には数名の乗客がいた。彼は彼等より少しだけ早く消毒が終わったので、フロアから出ようとした時に、ドームの内部からやって来た2人の男性とすれ違った。
 1人は珍しく送迎フロアにやって来たローガン・ハイネ・ドーマーで、もう1人はケンウッドの知らない男性だった。きちんとスーツを着て、何やら威厳を漂わせた自信ありげな風貌の男で、政治家かな、とケンウッドは思った。ハイネはケンウッドに気が付いて目礼したが、男を紹介するつもりはないらしく、そのままドームからの出発ゲートの方向へ男を案内した。どうやら外の世界からの客人の様だ。希ではあるが、時々外の警察関係の人間が違法クローン製造者、俗に「メーカー」と呼ばれる連中の捜査協力を求めて遺伝子管理局を訪問することがあるのだ。外からの訪問者の相手は局長や班チーフと呼ばれる幹部の仕事だ。用件が終わって帰る客をハイネは見送りに来たのだろう。珍しいこともあるものだ、とケンウッドは立ち止まって客がゲートの向こうへ消えて行くのを見送った。外へ出る人間は消毒を受けないから、すぐにドームから去ってしまえる。
 客が見えなくなると、ハイネが体の向きを変えてケンウッドが立っている方へ歩き始めた。そこへ消毒を終えた月からの乗客が数名出て来た。先頭は休暇を早めに切り上げたヘンリー・パーシバルだった。彼はケンウッドに気が付いた。

「やあ、ニコ、お出迎えかい?」

 彼は笑いかけて、すぐ近くにいるハイネにも気が付いた。おや? と言う顔をして彼は一瞬戸惑った。珍しい場所に珍しい人物がいたのだから当然だ。その戸惑いで彼は足を止めた。彼のすぐ後ろを歩いていた男性が彼の急停止に驚いたのか、脇へ避けようとした。彼はハイネのすぐ前に飛び出すような恰好になり、そのまま床に崩れる様に倒れかけた。彼の体が床に落ちる直前にハイネが動いて抱き留めた。その直後だった。
 ケンウッドは、ゲボッと言う音を聞いた。詰まったパイプから一気に泥水が噴出するような、そんな音だ。そして、倒れた男の口から真っ赤な液体が噴き出した。

「うわぁ!」

 叫んだのは、ゲート扉の横で控えていた係官だった。扉から出て来た人々が何事かと倒れた男とそれを抱えているハイネを見た。ケンウッドは2人の男が血まみれになっているのを目撃した。何が起きたのか、わからなかった。彼が思わず駆け寄ろうとした時だった。

「来るな!」

 ハイネが怒鳴った。 彼は扉の横で棒立ちになっている係官を振り返って命令した。

「このフロアを封鎖せよ! 誰も外に出してはならんっ!」