2017年6月2日金曜日

家路 10

 ローガン・ハイネ遺伝子管理局長は本来なら中央研究所の食堂を使用する身分なのだろう。しかし、彼は遺伝子管理局本部から近い一般食堂を好んで利用していた。ただ部下達や若いドーマー達に気を遣わせたくなかったので、出来るだけ空いている時間帯に食事をとる。だから、彼は大好物の半熟とろとろチーズスフレに滅多にありつけなかった。
今日はダリル・セイヤーズから面会を求められたので早めに食事に出たのだが、タイミングが悪く、半熟とろとろチーズスフレは第1弾が完売してしまい、第2弾はまだオーブンの中だったのだ。
 彼はライサンダー・セイヤーズに導かれる様に窓際のテーブルに近づいた。そして座っているポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーに挨拶した。

「ライサンダーに誘われて来たが、同席してもかまわないかな?」
「どうぞ! 大歓迎です。」

 ダリルの陽気な声に彼は「有り難う」と言って、空いている席に座った。そして2人の皿がほぼ空になっているのを見た。

「君等はもう食事を終えたのだな?」
「ええ、でも甘味程度でしたら、まだ入りますよ。」

 そこへピート・オブライアン・ドーマーが直径20cmはあろうかと思われる半熟とろとろチーズスフレを運んで来た。甘い香りが周囲に漂い、近くのテーブルの人々が振り返った。
 ポールが大気を鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、幸せの香りだ。」

 するとハイネが言った。

「分けてやるから、誰か取り皿を取って来なさい。」

 一瞬ポールとライサンダーの視線がぶつかり合い、数秒後にライサンダーが配膳台に向かった。
 ダリルが尋ねた。

「局長はお昼をそれだけで済まされるおつもりですか?」
「これだけで足りるはずがなかろう。」

 ライサンダーが急ぎ足で皿を持って戻って来た。局長は半熟とろとろチーズスフレにナイフを入れながら言った。

「先にデザートを食べてからランチを食べる。」

 ポールとダリルは顔を見合わせた。上司の子供っぽい意外な一面を見てしまったのだ。
ハイネ局長は半熟とろとろチーズスフレをまず正確に二等分して、それから半分をさらに正確に三等分した。ホールの6分の1ずつ2人の部下とその息子に分け与え、残りの2分の1を独りで食べてしまうつもりだ。
 ダリルは面会の用件をここで済ませてしまおうかとも思ったが、局長もポールもライサンダーも幸せそうに半熟とろとろチーズスフレを食べているので、後回しにすることに決めた。それに周囲にはポールのファンクラブがいつもの如く取り囲んでいる。
 半熟とろとろチーズスフレは表面がサックリと、中はまるでプディングの様にプルプルとろとろクリーミーな状態だ。これはどうやって作るのだろう、とダリルが食べながら考えていると、ポールが横から囁きかけた。

「また良からぬことを考えているだろう?」
「良からぬこと?」
「このチーズスフレと同じ物を作ろうと思っているだろう?」
「それが良からぬことなのか?」
「この半熟とろとろチーズスフレは、ピート・オブライアンが作るから美味いんだ。他の人間では駄目だ。例え君だろうと、シェイだろうと、これと全く同じ物は作れない。」

 そんなことはない、と反論しようと思ったが、局長の前で大人げない真似はしたくなかったので、ダリルは黙った。ライサンダーがポールの肩を持った。

「技術の問題じゃないってお父さんは言いたい訳だね?」
「そうだ。これにはオブライアンの思い入れが詰まっている。」

 何に対する思い入れか、ポールはそれ以上言及しなかった。わかっていても、それはオブライアンのプライバシーだ。軽々しく他人が喋るものではない、と接触テレパスの彼は自重した。
 大好物をじっくり味わいながら食べているハイネ局長に礼を述べて、彼等は午後の仕事の為に席を発った。
 食器を返却して食堂を出て行きながら、ライサンダーが低い声で尋ねた。

「局長はすごく人気があるのに、どうしてファンクラブがいないのかな?」
「必要ないからだ。」

とポールが答えた。

「みんながファンだからな。」
「お父さんも局長のファンなの?」
「俺か?」

 ポールは苦笑した。

「まぁ、彼のことは尊敬しているし、好きだが・・・しかし実際に仕事を教えてくれた人は別にいるからな。局長は優れた指揮官だが、教官ではない。彼は実戦経験がないまま将軍になった軍人みたいなものだ。だから具体的に仕事のやり方を指示なさることはない。
俺はどちらかと言えば実務経験のある先輩の方に親しみを覚える。」
「局長は若いドーマーにとっては雲の上の人なんだよ。」

とダリルが言った。

「執政官達に直接意見を言ったり批判出来るのは、あの人だけなのだ。だから、彼はドーマー達にとって、神みたいな存在なのさ。」