2018年11月4日日曜日

牛の村   2 1 - 2

 クローン観察棟は基本的に遺伝子管理局が保護したクローンの子供が健康障害を持っている場合のみ収容する施設だ。子供達は深刻な遺伝性の病気を抱えており、ここで治療され、教育を受ける。そして親が出所する頃に健康に問題がないと判断されると外の収容所に移送され、やがて親と再び暮らせる。だから、観察棟の食事は給食制で棟内に運ばれて来るのだが、ダリル・セイヤーズは成人だし健康そのもの、ドーム育ちのドーマーなので、食事の時は監視付きで医療区の観察下の出産管理区の食堂を使った。女性達の利用者が少なくなる遅い時刻に連れて来られ、保安課員の監視の下で食べる。担当のピーター・ゴールドスミスはすっかり彼に馴染んでしまっていて、彼が声を掛けてくる女性の相手をしても邪魔をしない。邪魔をすれば却って女性達から不審がられるとわかっているからだ。セイヤーズもちゃんと自身と彼の立場を弁えており、余計なことは喋らない。制服を着ていれば出産管理区のスタッフのふりが出来るが、観察棟の収容者なので、彼は寝巻きだ。長期療養中のスタッフだと誤魔化していた。
 ケンウッド長官は、女性執政官達がガラス壁のこちら側でセイヤーズの批評をしているのを、少々腹立たしく思いながら耳にしていた。聞くつもりはなかったが、セイヤーズの名前が出たので、つい耳を欹ててしまう。
 女性執政官達は、セイヤーズの「お勤め」の話をして盛り上がっているのだ。セイヤーズの遺伝子を使用して女の赤ちゃんを作るプロジェクトが進行していた。セイヤーズはポール・レイン・ドーマーの恋人だが、レイン以外の人間に対しては、異性愛者だ。だから彼は男性執政官が担当する「お勤め」を拒否した。それで女性達が相手をしているのだが、ただ注射を打って、自身で遺伝子を採取させるだけの筈なのに、彼女達は楽しんでいる。恐らく、お誕生日ドーマーの感覚でセイヤーズの体を弄んでいるのだろう。そして、哀しいことに、セイヤーズもそれを嫌がっていない。女性達の方からお相手してくれるのだから、女性不足で悩む地球人男性としては大歓迎なのだ。

 いつから検体採取室がラブホテルになったんだ?

 ケンウッドは苦々しい思いで食事をしていた。彼女達は地球人保護法違反すれすれを平気でやっていることを意識していない。遺伝子管理局内務捜査班から摘発を受けたら、どうするつもりだ?
 そこへゆっくりとした足取りで近づいて来たのは、ダルフーム博士だった。よろしいか?と声を掛けられて、ケンウッドは手でどうぞと前の席を勧めた。
 ダルフームが静かに座った。

「なんだか急に物事が動き出したような気がします。」

と彼は言った。ケンウッドが頷くと、彼はガラス壁の向こうを見た。

「ずっと女性を産ませる能力を持つ者の出現を待っていましたが、ここに既にいたなんてね・・・」
「そうですね。」
「サンテシマの横暴がなければ、もっと早く解決していたでしょうにな。」
「ええ・・・」

 ダルフームが疲れているように見えた。ケンウッドが何か元気つける言葉を探していると、老博士が振り向いた。

「来月、私は退職しようと思います。」
「え?」

 ケンウッドは面食らった。

「しかし、これから貴方の発見が実証されて・・・」
「まだ根本原因はわかっていませんよ。」
「だからこそ・・・」
「もう疲れたのです。」

 ダルフームが苦笑した。

「そろそろ重力が堪えて来ました。それに木星のコロニーに移住した家族から、早く来いと矢の催促でしてね。私も動けるうちに次の人生を始めてみようかと思っているんです。どうか、委員会にその旨を伝えて頂けませんかな?」
「・・・」
「200年掛けて解けなかった謎が、アッと言うまに解けてしまう、そんな悔しい瞬間に、私は立会いたくないのです。」

 ケンウッドは思わず苦笑した。

「言われてみれば。そうですね。私も無力だ。毎日ハイネ局長に、執政官は何を研究しているのかと尻を叩かれているのに。」
「貴方は行政をしっかりやってくれています。」
「でも科学者とは言えない。」
「失礼だが、貴方には行政の力がおありだ。どうか誇りを持って下さい。ドーマー達も
貴方についてきている。貴方がいるから、謎がもうすぐ解けるのですよ。」

 ダルフーム博士は、ケンウッドを彼流に励ましてくれた。