2017年2月13日月曜日

大嵐 21

 ライサンダーは中央研究所からアパートに帰った。まだ昼前で父親達は仕事をしていたし、食堂に行ってもお金を持っていないので座っているだけになる。ジムに行く気力はなかった。事情聴取はそれなりに彼を疲れさせたのだ。
 保安課が彼の指紋でドアを解錠出来るよう設定してくれたので、両親の部屋に入ると、居間のソファの上にぐったりと座り込んだ。
 静かな場所で独りになると、どうしてもポーレットのことを思い出す。彼女の笑い声、優しい微笑み、しなやかな体・・・もう2度と会えないのだ。
 ライサンダーは静かに泣いた。感情の波は突然来たが、去って行く時は徐々に遠ざかって行った。頭が冷えると、バスルームに行って顔を洗った。明日から何をしよう。副長官は胎児が人工子宮内で安定する迄は外に出ないでくれと言った。万が一の時に父親がそばに居るべきだと言った。万が一があるなど、考えたくなかった。あの子にもしものことがあれば、ポーレットとの繋がりが全て失われてしまう。
 玄関のドアが開く音が聞こえた。ライサンダーは慌ててタオルで顔を拭くと居間に出た。
 ダリルが帰って来ていた。ライサンダーの顔を見て、ホッとした表情になった。警察の事情聴取で事件を思い出した息子が落ち込むのではないかと心配していたのだ。

「父さん、仕事はまだ終わっていないんだろ?」
「うん。副長官からおまえが用事を終えたと聞いて、ここだろうと思って来た。」
「俺に何か用? もし俺が落ち込んでいると思っているなら、大丈夫だ、もう浮上したから。」

 ダリルは強がって見せる息子に優しく微笑みかけて、ソファに座った。ライサンダーは向かいに座った。ダリルがカードを出した。

「金がなければ食堂に行っても何も食べられないだろう? ポールがおまえのカードを作ってくれたから、使いなさい。」

 それはドームの中限定のクレジットカードだった。食堂やコンビニなどで使用するカードで、主に客が使う。ドーマーが使うカードは外でも使用出来るし、現金の引き出しも出来る。

「お金はどこから引き落とされるの?」
「このカードはポールの口座からだ。」
「なんだかPちゃんに悪いな。かなり俺に気を遣ってくれているもの。」
「気を遣わせてもかまわないさ。彼もおまえの父親だから。」
「だけど・・・親子になったのは最近だし・・・」
「彼は息子が出来て喜んでいる。ドーマーは子供を持ちたいと思ったら、ドームを去らなければならないからね。だが、ポールはドームに居ながら息子を持てた。しかも育てる手間も省けたし。」

 ダリルはウィンクした。

「ポールは今父親であることを楽しんでいるんだよ。だから、彼の楽しみに水を挿さないでくれ。」
「それって・・・つまり、甘えろってこと?」
「うん。」

 ライサンダーは手を伸ばしてカードを手に取った。

「俺が散在したらどうするのさ?」
「ドームの中で散在出来ると思うか?」
「うーーん・・・無理・・・」
「日々の飲食と身の回りのちょっとした物を買う以外に、ドームでお金を使うことはないんだ。だから、ドーマー達は案外お金を持っている。給料はドームの外の公務員と変わらないからね。そう言う理由で、ポールはおまえがドームの中に居る時はおまえが使うお金を全部負担するつもりでいる。」
「俺も仕事を持っているけど・・・」
「家のローンで貯金はなかっただろ?」
「言われて見ると、そうだね。」

 ポーレットと2人で働いてローンを返済しながら暮らしていたのだ。妻が亡くなり、彼女の収入もなくなり、ローンだけ残った。

「あの家にはもう住めない・・・住みたくない。」
「それなら、売れば良い。」
「殺人事件があった家を買う人がいる?」
「それがいるんだ。ポーレットの葬儀が終わったらおまえと相談したいと言っている。」
「誰?」
「アメリア・ドッティだ。」
「あっ・・・」

 職場の経営者夫人だ。ポーレット・ゴダートを「命の恩人」と呼んでいた女性だ。

「ドッティ夫人が何故・・・」
「彼女はポーレットに命を救われた。だから、できる限りの恩返しをしたいと言っている。」
「それなら、もう充分してもらった。仕事をくれたし、今の家を買う時も協力してくれた。これ以上・・・」
「ライサンダー、他人の厚意は素直に受けなさい。」
「でも・・・」
「アメリアは、ポールの従妹なのだ。」
「ええ?!」

 ライサンダーはぽかんとして父を見た。彼の親達には本当にいつも驚かされる。

「そう、彼女はおまえの叔母さんになるんだ。」
「でも・・・凄く金持ちだよね?」
「外の世界では、女性は裕福な家にしかいないだろう?」
「そうだけど・・・ドッティ家は桁外れだよ。」
「だから、彼女はおまえの家を買うと言っている。これは施しではない。ちゃんとした取引だから、おまえと話し合って、おまえが納得出来る形で購入すると言っているのだ。」
「・・・わかった。それじゃ、ポーレットの葬儀の日取りとかも決めないといけないね。」
「葬儀は、彼女の遺体が警察から戻ってからだ。まだ検屍局に安置されている。おまえの名で返還を要求しなければ、彼女の両親が引き取ってしまうぞ。」

 ライサンダーはハッとした。ポーレット・ゴダートは最初の結婚を反対されて以来、両親と疎遠になっていた。

「俺が彼女を引き取って、両親にお別れをさせてあげるよ。父さん、手続きの仕方を教えて。」