薬剤管理室でハイネにハグされてから、アイダは彼のことが忘れられなくなった。彼がどの女性にも優しく、人気が高いと知っていても、彼女にとって彼は特別な存在に思えた。だから彼と目が合うと照れてしまう。それを誤魔化す為に彼女は積極的に彼に触れることにした。そして出産管理区の女性達にも勧めたのだ。
「ハイネ・ドーマーは将来遺伝子管理局長になる人ですから、今のうちから親しくしておいた方が、後の私達の仕事に有利に働きますよ。」
内心、自分は卑怯だと思ったが、キーラも賛同してくれたので気が楽だった。それにハイネ自身も嫌がらない。彼は滅多に職場から離れなかったが、偶に薬剤の配達で出産管理区に現れると、執政官達の事務室に顔を出して、暫く世間話をして油を売っていた。そのうち回数が増えてくると、キーラが彼の姿を地球人女性達に目撃されはしないかと心配し始めた。
「絶対に彼を『表』に出しては駄目よ。あの人は目立ち過ぎる風貌だから。」
キーラは仲間に厳命した。
好きな人が出来ると、火星に帰る回数が減っていった。子供達には申し訳ないと思ったが、親族から注意されると腹が立った。自分の人生ではないか、自分の能力を活かせる仕事を存分にして何が悪い?
子供達は成長していた。母親は火星に帰ってくれば必ず彼等と一緒に過ごすことを何よりも優先してくれていると理解していた。息子は母親が仕事を愛していると心から信じていたが、娘は勘が鋭かった。2人きりになったある時、娘が囁いた。
「お母さん、地球に好きな人ができたわね?」
「どうしてそう思うの?」
アイダは内心狼狽えた。相手がコロニー人だったら、正直に告白して子供達に紹介したかも知れない。子供達はもう亡き父親に母親が縛られる必要はないと考える年齢になっていたのだ。しかし、相手が地球人となると事情が変わってくる。地球人保護法は、コロニー人が地球人を愛すことを禁じていないが、結婚するとなるとかなり厄介な法律だった。コロニー人はコロニーに置ける全ての権利を放棄して地球人にならねばならないからだ。それはコロニー人にとって健康維持に必要不可欠な、重力障害予防の為に宇宙へ定期的に戻ることまでを禁じているのだ。アイダは、彼女自身の健康維持の問題よりも、子供達に会えなくなる方が辛かった。だから、コロニー人の権利を棄ててまでローガン・ハイネに愛の告白をする勇気を持てなかった。彼女は女性よりも母親だったのだ。
娘は意味深に母親を見た。
「お母さん、最近綺麗になってきたわ。それに地球に戻る時、嬉しそうだもの。」
「嬉しいだなんて・・・私は貴女達と別れるのが寂しいのに・・・」
「確かに寂しそうよ。でも地球に戻ることを喜んでもいるわ。」
既に官僚への道を歩み始めていた娘は相手の表情を読み取るのが上手かった。
「彼氏は地球人でしょう? 否定しても無駄よ。執政官仲間だったら、お母さんはとっくに私達に紹介していたでしょうから。」
鋭い娘の読みに言い返せない間に、娘は忠告した。
「用心してね。私は地球人保護法違反を犯罪だとは思わないけれど、当局に摘発されて痛い目に遭うのはお母さんですからね。2度と仕事に戻れないし、彼氏にも会えなくなるのよ。」
「私達、そんな関係ではないのよ。交際なんかしていないし、ただの職務上のお付き合いだけなの。貴女が心配する必要はないわ。」
母親の反論に娘は暫し沈黙し、やがて呟いた。
「本当に大事な人なのね・・・」
もし、あの時、母親の片想いの相手が、宇宙でも有名なローガン・ハイネ・ドーマーだと知っていたら、娘は何と言っただろう、とアイダは思う。息子は現在でも母親が結婚した相手が誰だか知らない。地球人と結婚したのだと秘密を明かされた時、驚愕したが、一言「通報されるようなヘマはしないでくれよ」と言っただけだった。恐らく一生会うことはないであろう義理の父親の名前すら聞かなかった。娘は流石に官僚と言う立場になっていたので、母親が危険な綱渡りをしていることを心配した。しかし、アイダが夫の名前を囁くと、不思議に落ち着いた。
「あの人なら、大丈夫だと信じるわ。きっとお母さんを守ってくれる。」
そして母親に甘えてみせた。
「いつか紹介して頂戴!」
「ハイネ・ドーマーは将来遺伝子管理局長になる人ですから、今のうちから親しくしておいた方が、後の私達の仕事に有利に働きますよ。」
内心、自分は卑怯だと思ったが、キーラも賛同してくれたので気が楽だった。それにハイネ自身も嫌がらない。彼は滅多に職場から離れなかったが、偶に薬剤の配達で出産管理区に現れると、執政官達の事務室に顔を出して、暫く世間話をして油を売っていた。そのうち回数が増えてくると、キーラが彼の姿を地球人女性達に目撃されはしないかと心配し始めた。
「絶対に彼を『表』に出しては駄目よ。あの人は目立ち過ぎる風貌だから。」
キーラは仲間に厳命した。
好きな人が出来ると、火星に帰る回数が減っていった。子供達には申し訳ないと思ったが、親族から注意されると腹が立った。自分の人生ではないか、自分の能力を活かせる仕事を存分にして何が悪い?
子供達は成長していた。母親は火星に帰ってくれば必ず彼等と一緒に過ごすことを何よりも優先してくれていると理解していた。息子は母親が仕事を愛していると心から信じていたが、娘は勘が鋭かった。2人きりになったある時、娘が囁いた。
「お母さん、地球に好きな人ができたわね?」
「どうしてそう思うの?」
アイダは内心狼狽えた。相手がコロニー人だったら、正直に告白して子供達に紹介したかも知れない。子供達はもう亡き父親に母親が縛られる必要はないと考える年齢になっていたのだ。しかし、相手が地球人となると事情が変わってくる。地球人保護法は、コロニー人が地球人を愛すことを禁じていないが、結婚するとなるとかなり厄介な法律だった。コロニー人はコロニーに置ける全ての権利を放棄して地球人にならねばならないからだ。それはコロニー人にとって健康維持に必要不可欠な、重力障害予防の為に宇宙へ定期的に戻ることまでを禁じているのだ。アイダは、彼女自身の健康維持の問題よりも、子供達に会えなくなる方が辛かった。だから、コロニー人の権利を棄ててまでローガン・ハイネに愛の告白をする勇気を持てなかった。彼女は女性よりも母親だったのだ。
娘は意味深に母親を見た。
「お母さん、最近綺麗になってきたわ。それに地球に戻る時、嬉しそうだもの。」
「嬉しいだなんて・・・私は貴女達と別れるのが寂しいのに・・・」
「確かに寂しそうよ。でも地球に戻ることを喜んでもいるわ。」
既に官僚への道を歩み始めていた娘は相手の表情を読み取るのが上手かった。
「彼氏は地球人でしょう? 否定しても無駄よ。執政官仲間だったら、お母さんはとっくに私達に紹介していたでしょうから。」
鋭い娘の読みに言い返せない間に、娘は忠告した。
「用心してね。私は地球人保護法違反を犯罪だとは思わないけれど、当局に摘発されて痛い目に遭うのはお母さんですからね。2度と仕事に戻れないし、彼氏にも会えなくなるのよ。」
「私達、そんな関係ではないのよ。交際なんかしていないし、ただの職務上のお付き合いだけなの。貴女が心配する必要はないわ。」
母親の反論に娘は暫し沈黙し、やがて呟いた。
「本当に大事な人なのね・・・」
もし、あの時、母親の片想いの相手が、宇宙でも有名なローガン・ハイネ・ドーマーだと知っていたら、娘は何と言っただろう、とアイダは思う。息子は現在でも母親が結婚した相手が誰だか知らない。地球人と結婚したのだと秘密を明かされた時、驚愕したが、一言「通報されるようなヘマはしないでくれよ」と言っただけだった。恐らく一生会うことはないであろう義理の父親の名前すら聞かなかった。娘は流石に官僚と言う立場になっていたので、母親が危険な綱渡りをしていることを心配した。しかし、アイダが夫の名前を囁くと、不思議に落ち着いた。
「あの人なら、大丈夫だと信じるわ。きっとお母さんを守ってくれる。」
そして母親に甘えてみせた。
「いつか紹介して頂戴!」