2019年7月19日金曜日

家路 2 1 - 4

 キーラ・セドウイックと一緒に働いていた時期は、本当に楽しかった。やがてローガン・ハイネ・ドーマーが生まれる前からの約束に従って遺伝子管理局長に就任すると、それまでのような気軽な接触は出来なくなったが、アイダも出産管理区の副区長となり、仕事で一対一で会うことも多くなった。その都度、ハイネは彼女を食事に誘ってくれた。話題は他愛のない日常の出来事だったが、時には地球の将来を想像し合ったこともあった。
 そんなアイダの細やかな幸福が、ある男の出現で脅かされることになった。南北アメリカ・ドームの長官に、サンテシマ・ルイス・リンが就任したのである。リンは就任式の時点でハイネと衝突した。地球人を見下す長官に、執政官達は憂慮したが、リンは他人の忠告を聞く人間ではなかった。彼は地球に美少年を求めてやって来たも同然の振る舞いで、やがて同じ性癖の執政官達が彼の取り巻きとなると、事態は悪化していった。彼等にローガン・ハイネ・ドーマーとドーム維持班総代表エイブラハム・ワッツ・ドーマーは毅然として抵抗したが、ある時、恐ろしい事件が起きた。
 γカディナ黴感染事故だ。そして恐ろしい伝染病が地球に持ち込まれたと本能的に察したハイネは、感染の拡大を防ぐことに成功したものの、彼自身はその病に倒れてしまったのだ。
 ハイネの進化型1級遺伝子はドームの大切な収入源だ。リンは医療区にハイネを死なせるなと厳命したが、全快を望んでいるようには見えなかった。アイダはジェルカプセルに入れられたハイネを見舞いたかったが、キーラに止められた。

「サンテシマの天下になった今、ローガン・ハイネに近くのは危険だわ。私達は出産でドームに収容される地球人の母親達を守らなければならない。私達が守りを怠れば、きっとサンテシマは地球人女性達にも手を伸ばす筈よ。」

 アイダは横っ面を叩かれた思いだった。

「そうだわね! 私達がここにいる1番の目的は、地球人を守ることだわ。仕事に専念しましょう。」

 きっとキーラの心は父親の生死の心配でいっぱいの筈だ。それを抑圧して職務のことを考えようとしている。アイダは親友を気遣い、彼女を守ることを誓った。
 2人は無我夢中で出産管理区を管理して、ドームの聖地としてリン一派の魔の手から死守した。ハイネがカプセルの中で生きていることだけが、彼女達の心の支えだった。
 そして、奇跡が起きた。
 医療区がなにやら慌ただしいと、部下が報告をくれた6日後、アイダの端末にメッセージが入った。

ーーこんにちは

 一言、発信者不明のメッセージだった。不審に思った彼女が返事をしないでいると、翌日、また同じ発信元からメッセージが来た。

ーー戻って来ました

 彼女は暫く端末画面の文面を見つめていた。短い文章の意味を、発信者を考えた。そして答えを出した。胸が高鳴り、全身に感動の震えが来た。彼女は細かく震える指で返信を打った。

ーーお帰りなさい

 それの返事は、ニッコリマークのアイコンだった。彼女は思わず端末を抱き締めていた。もしそばに地球人の妊婦がいなければ大声で叫んでいたかも知れない。キーラに知らせなきゃ、と思った。しかし興奮ですぐには動けなかった。妊婦が、「先生?」と心配して声をかけてくる迄、彼女は目を閉じて突っ立っていた。