2019年7月15日月曜日

家路 2 1 - 1

 アイダ・サヤカは同じベッドの隣に横たわっている白い髪のドーマーを眺めていた。時々そのふさふさの髪を手で撫でてやる。彼の片手は彼女の胴に掛けられている。いつ見ても美しい顔だ。そろそろ円熟した大人の男の顔になってきたが、無心に眠っているとまだ若者の様なあどけない表情になる。
 彼と彼女が知り合ったのは40年近く昔だ。アイダは配偶者を病気で失くし、生活の為に2人の子供を実家に預けて一人、地球に働きに来た。産科医だったので、地球人類復活委員会の求人に応募したら、即決で採用されたのだ。地球での生活をする為の訓練を終えて赴任すると、そこにキーラ・セドウィックと言う先輩医師がいた。キーラは彼女より一つ年上で独身だった。既に地球で5年勤務しており、若いが才能豊かで気が強い人だった。そして輝く様な赤毛の美貌の女性だった。アイダは彼女について勤務することになり、直ぐに性格の異なる2人は意気投合した。キーラは気が強いのでよく上司や他の部署の執政官と衝突したが、いつも自身の意見を押し通した。しかしアイダと2人きりになると必ず尋ねた。

「私の考え、あれで良かったと思う?」

 アイダが良かったと答えれば彼女は満足したし、間違っていると言えば、どこが間違っているのかと尋ね、説明を聞いて反省した。相手に素直に謝罪することを恥としない気持ちの良い性格だったので、彼女はやがて出産管理区で支持者を多く抱える様になり、区長に昇進した。その際、彼女は副区長に是非アイダ博士を、と幹部執政官達に働きかけ、要求を押し通すことに成功した。
 アイダは当初5年で宇宙に帰るつもりだった。しかし地球人の妊産婦の世話が宇宙の人類にとってもどんなに重要か悟り、キーラと働くことが楽しく人生の喜びに思えてきて、我が子達に申し訳ないと思いつつも地球勤務を延長して行った。
 アイダが地球に留まった理由がもう一つあった。好きな男性がいたのだ。その男は地球人だったので、彼女の方から交際を申し込むことは法律で禁止されていた。地球人保護法はコロニー人の側から地球人に触れることを禁止していたのだ。ところが、どう言う訳か、キーラは彼と平然と触れ合っていた。ハグで挨拶したり、頬にキスをしたり。彼も彼女の肩に手を置いたり、髪を触ったり、自然に、友人として付き合っていた。
 アイダは最初は彼と距離を置いていた。と言うのも、彼は昔からコロニー人女性に人気があって、結構スキャンダルを起こしていたのだ。キーラが親しげに彼と接するのを不愉快に思う女性もいた。アイダはそんな女達の嫉妬を感じ取っていたので、我が身に降り懸からぬ様用心深く振る舞い、またキーラを嫉妬から来る攻撃から守った。そして、男の方にも自重してもらおうと、直談判に行った。
 薬剤師ローガン・ハイネ・ドーマーは、その時点では、まだアイダにとって憧れの人でしかなかった。アメリカ・ドームのスターに会いに行く、その程度の認識だった。
 彼女が一人で薬剤管理室に行くと、偶然昼休みで薬剤師達は食事に出かけており、ハイネ一人だけが留守番をしていた。この頃既に彼は他人より時間をずらして一人で食事にでる習慣をつけていた。薬剤管理室に一人でやって来たアイダを見て、彼は丁寧に「何か御用ですか」と尋ねた。執政官は皆上司だ。ハイネは年下の女性にも謙虚に振る舞った。それでアイダはキーラにもそう言う態度で接して欲しいと言った。親密な関係だと思われると、キーラは地球人保護法違反だと訴えられかねないから、と。
 ハイネは悲しそうな表情になった。そしてアイダが仰天した言葉を口にしたのだ。

「ご忠告有難うございます。私はあれの母親にしたのと同じ過ちを繰り返すところでした。」
「彼女の母親?」

 アイダはキーラから母マーサが以前ドームに勤務したことがあると聞いたことがあった。だが退職の理由は聞かされていなかった。ハイネがマーサ・セドウィックを知っていたのだとすると、このドーマーは何歳なのだろう? と彼女はその時どうでも良いことを考えた。外見はまだ20代後半に見えていたが、その当時ハイネは既に60歳を過ぎていた。ちょっと困惑したので、ハイネがすぐ側まで来たことに気づくのが遅れた。女遊びのベテランだったハイネは、アイダに近づくと優しく囁いた。

「貴女は友達思いの優しい方なのですね、アイダ博士。」

 長身の彼は上体を屈めて彼女の目線に目を合わせようとした。アイダは彼の薄い青みがかった灰色の瞳を見て、体が竦んでしまった。憧れの人の目がすぐ側で、真っ直ぐ彼女を見つめていたから。ハイネの手が伸びて来て、彼女の髪を撫でた。

「皆んなが同じことをすれば、セドウィック博士一人が責められることはないと思いますよ。」

 彼は優しく彼女をハグして囁いた。

「貴女もこうして下さい。彼女と同じ様に振る舞って下さい。私は騒ぎませんから。」

 後に結婚してから、ハイネはアイダに告白した。あの時のハグは精一杯の自制で、本当はあのまま貴女をあの場所で奪ってしまいたかった、と。

「キーラが初めて貴女を薬剤管理室に案内して来た時から、貴女に関心がありました。」

と彼は言って、アイダを赤面させたのだ。