2021年4月16日金曜日

狂おしき一日 La Folle journée 5

 「ゲストハウスしか空いていないのかい?」

 ダリル・セイヤーズはちょっとがっかりした声を出した。電話の相手は住居班だ。ドーム内の居住区域のメンテと宿泊する来客の為のゲストハウスの準備を仕事としている。
 明日の朝、セイヤーズの恋人ポール・レインが東アジア・ドームから一時帰国して来る。妻のJJ・ベーリングも一緒だ。夫妻は世界各地域のドームが作る女性クローンの遺伝子が正常な情報を持っているかどうか、検査して廻っているのだが、レインが実の父以上に慕っているヘンリー・パーシバルの娘の結婚式と聞いて、東アジア・ドームの長官に願い出てアメリカへ一時帰国を許されたのだ。レインはパーシバルとは既に何度か再会しているが、パーシバルの家族とはまだ会っていない。妻のキーラ・セドウィックはレインにとっては誕生の時に取り上げてもらった「母」だし、憧れの人でもあったのだが、彼女が退官して宇宙に帰ってからは出会う機会がなかった。一度彼女は春分祭に子供達を連れてドームを訪問したのだが、その時レインはドームに帰還したばかりのセイヤーズを観光客の好奇心から守る為にアパートに籠っており、一家と出会えなかったのだ。だから、今度こそパーシバル博士の自慢の娘達と息子にも会ってみたかった。
 JJは世界旅行の仕事に出かけている間に行われた友人のジェリー・パーカーと親友のメイ・カーティスの結婚式に出損ねた。一度で良いから、「結婚式」と言うものを見たかった彼女は、悔しかったのだ。彼女自身も旅立ち直前の慌ただしさで簡略化された式しか挙げていない。ダリル・セイヤーズやパーカー達に祝福されて送り出されただけだ。それに進化型1級遺伝子を持つローガン・ハイネの血統を受け継いでいると噂されるキーラの娘の遺伝子をしっかり確認したかった。
 だから、ダリル・セイヤーズは遠路遥々帰国して来る親友かつ恋人夫妻の寝泊まりする部屋を確保しようと住居班に妻帯者用アパートの部屋を申し込んだのだが、生憎満室だと言われてしまった。住居班は地球人保護法改正後、カップリングする住民が増えたので、空き部屋はない、今は順番待ちが発生している状態だと答えた。

「レインとJJは長官の結婚式が終わったらすぐに旅に出るんだろう? ゲストハウスでいいじゃないか。」

 セイヤーズはレインがコロニー人が寝泊まりするゲストハウスの部屋に我慢出来るだろうかと疑問に思った。

「それじゃ、ポールに直接聞いてみる。また連絡する。」

 電話を切って、彼は上司のアルジャーノン・キンスキーがこっちを見ているのに気がついた。いけない、仕事中だった。気まずい思いでコンピューターに向き直ると、キンスキーが囁いた。

「気になることはさっさと片付けておけ。但し、部屋の外でやってくれ。」
「すみません。」

 セイヤーズは執務机の向こうで何やら書類と格闘しているハイネ局長をチラリと見てから、席を発ち、室外に出た。廊下は静かで、向こうにある内務捜査班のチーフ執務室も大部屋もドアを閉ざしたままだ。
 セイヤーズはレインの端末に電話を掛けた。東アジアでは夕方の筈だ。3回目のコールの後で、レインの声が応えた。

「レイン・・・」
「セイヤーズだ。」

 2日前に帰国の知らせを連絡して来たばかりだから、挨拶は抜きだ。セイヤーズは直ぐに本題に入った。

「君とJJがこちらで滞在する間の部屋を確保しようと思ったのだが、妻帯者用アパートはもう満室なんだ。ゲストハウスで良ければ・・・」

 レインが遮った。

「空港ホテルは空いているか? もしそこが満室なら、シティで宿を探してくれ。」

 セイヤーズは一瞬耳を疑った。レインはドームの外の宿を好まない筈だ。不潔で騒がしいと嫌っていたのに。

「ホテルで良いのか?」
「君はホテルでも平気だったろう?」
「ああ・・・確かに私は平気だが、君は・・・」
「俺も贅沢は言わないことにした。アフリカや中央アジアの庶民の家を見たら、俺の好みがいかに我儘なものかわかったから。」

 ポール・レインがしっかり大人になっている。セイヤーズは嬉しくなった。ドームで手厚い庇護を受けて育ったドーマーは外の生活になかなか馴染めないが、一番大きな理由は「家」だった。清潔で設備が整った便利な空間で育ったドーマー達は、外の世界の家が不潔で不便な原始的な住まいとしか見られない。レインは特にその傾向が強かった。しかし、仕事で世界旅行に出かけて、認識に変化が起きたのだ。地球上には未だに上下水道が整備されていない環境で暮らしている人々がいる。そんな場所は衛生状態も良くない。それでも人間は暮らして行くのだ。レインとJJは現地の遺伝子管理局と共にそう言う土地を視察し、現地のドームでクローン養育施設を巡って受精卵の遺伝子が正常であることを確認してまわっている。

「わかった。ホテルで良いんだね? ダブル? ツイン?」
「ツイン。疲れている時は彼女も俺も一人で寝たいんだ。」
「OK。それじゃ部屋をとっておく。私は式に出ないけど、ドーマーからはハイネ局長とアキ・サルバトーレが出るから、どちらかにどこのホテルか伝言を頼んでおくよ。」
「すまん。式が終わったら、少し時間があるだろうから、ドームに行く。中に入ったら、俺の方から連絡する。」
「北米南部班に連絡を入れておこうか?」
「うん、クラウスには絶対に会いたい。それからジョン・ケリー、パット・タン、若い連中にも・・・」

 どうやらクールに振る舞うポール・レインもちょっと里心が出たようだ。セイヤーズは画面の中の恋人にキスをしたい気分を抑えて言った。

「それじゃ私は仕事に戻る。気をつけて帰って来いよ。」