2021年4月17日土曜日

狂おしき一日 La Folle journée 6

  ラナ・ゴーン副長官は昼前の打ち合わせ会に長官に見せる書類の最終確認をしていた。緊急を要する類の重要な問題はない。ただ、明日は長官も遺伝子管理局長も保安課長もドームの外に出る。南北アメリカ大陸ドームの最高幹部4名のうち3名、男性全員が外に出て行くので、彼女が一人で一日留守を守らなければならない。
 長官は頻繁に外出するので、それは慣れている。仕事人間のケンウッド長官は旅先でもよく電話をかけて来て、何か問題はないかと訊いてくる。心配性なのだ。
 保安課長ゴメス少佐は頻繁ではないが、月の地球人類復活委員会本部で開かれる保安部門研修会に出席するし、重力休暇も取る。地球上のドーム保安責任者の会合にも出かける。ゴーンは保安の問題について完全に少佐の部下に任せている。保安課のドーマー達は優秀だし、ドームの保安維持について言えば、少佐よりベテランだ。だから、これもゴーンにとって問題ではない。
 遺伝子管理局長ローガン・ハイネが1時間以上外出するのは、今回が初めてだ。しかし彼には補佐出来る部下が大勢いる。彼等は局長が体調を崩して入院したり、休暇を取って職場に顔を出さない日に局長業務を問題なくこなしている。ゴーンは遺伝子管理局の業務にも不安を抱いていない。
 だが、彼等3名が一度にドームを留守にするのは今回が初めてだ。ゴーンはちょっと寂しい思いをしていた。長官の一番近くにいるのに、彼の結婚式に出られない。招待されなかったのではない。ケンウッドは彼女も招待したかった。しかし、副長官までがドームから出てしまうのは如何なものか、と彼女は考えてしまったのだ。
 花嫁の母親キーラ・セドウィックはゴーンにとって親しい友人だ。花嫁のシュリーも赤ちゃんの頃から知っている。美人だから、きっと美しい花嫁姿を見せてくれるだろう。映像ではなく生で見たいものだ。それにシュリーと一卵双生児の妹ショシャナがプロのピアニストとして披露宴会場で演奏するのだ。太陽系クラシック音楽祭ピアノ部門で金賞を取ったショシャナの演奏を是非とも生で聞きたいものだ。
 ケンウッドが出席を打診してくれた時に、イエスと答えるべきだった、と彼女は今更に後悔していた。パーティーは長くても半日だ。ドームの最高責任者4名全員が半日留守にしても、ドームは順調に機能する筈だ。執政官もドーマーもみんな素晴らしい才能の人々なのだから。
 はぁ・・・と溜息をつく彼女を、秘書が訝しげに眺めた。

「何か気がかりなことでもおありですか、副長官?」

 ゴーンは彼女を振り返り、微笑みを作った。

「何もないわ、アンバー。」

 素早く言い訳を思いついた。

「友人の娘が結婚すると考えたら、歳月が過ぎるのは早いなぁって思ったの。私が歳を取るのも無理ないわね。」
「貴女はちっとも歳を取ってませんよ。いつもお若くていらっしゃいます。羨ましいです。」
「あら、お上手。」

 秘書のアンバー・ヒーリーが肩をすくめて、それから質問した。

「明日のパーティーは何をお召しになられますの?」

 え? とゴーンは彼女の目を見た。からかってるの? 
 しかしヒーリーはちっとも悪びれずに続けた。

「被服班から、明日の副長官のお召し物の指図を早く頂けないかと催促が来ています。あちらも準備に大忙しの様子ですよ。お昼までにお返事してあげて下さいね。」
「明日って・・・私はお留守番よ、アンバー。」

 今度はヒーリーが、え? と言う顔をした。

「そうでしたか? 私、長官に貴女は出席です、とお返事してしまいました。」
「何ですって?!」

 ゴーンは仰天した。

「私はケンウッドに欠席と答えたのよ。」
「でも、昨日もう一度長官は確認のお電話をかけて来られたでしょう? その時、私が出て、副長官にどうなさいますと尋ねたら、イエスですって仰ったじゃないですか。」
「まさか・・・」

 そんな電話は記憶にない。ゴーンは思い出そうと努力した。昨日? 
 昨日はクローン製造部でちょっとしたトラブルがあった。卵割が終了したクローン用胚の育成室の温度設定がコンマ1度ずれていることが判明し、機械の修正とコンピューターの修正、胚の治療などでクローン製造部全体が緊張と焦燥でパニックになりかけていたのだ。ゴーンは製造部と副長官室を何度も往復しながら指揮を執った。秘書が何か話しかけて来たが、上の空だったかも知れない。

「私は明日パーティーに出席することになったの?」

 思わず秘書に確認してしまった。アンバー・ヒーリーが頷いた。

「ですから、早くお召し物の指図を被服班にお願いします。」

 わかった、と答えて、ゴーンは打ち合わせ会に出るために副長官執務室から廊下に出た。そして誰もいないことを確かめてから、ガッツポーズを決めた。