2021年4月19日月曜日

狂おしき一日 La Folle journée 9

  フランシス・フラネリーは静音ヘリの機内で同乗している甥のライサンダー・セイヤーズとその娘ルシア・ポーレット・セイヤーズが乗り物酔いをしていないかと気になって後部席を振り返った。 幸いなことにライサンダーはヘッドフォンを頭に装着して音楽を聴きながらうたた寝していたし、ルシアは窓の外を熱心に眺めていた。 フランシスは安心して前に向き直った。
 彼女とライサンダー親子はケンウッド長官の結婚式に出席するつもりではなかった。少なくとも2日前迄は遠くから祝福するだけのつもりだったのだ。だが、ちょっと政治的な思惑が思いがけない方向からやってきた。
 ケンウッド長官と親しくなった現職大統領クララ・ボーマンは友人の結婚を祝福したかった。ドーム長官は一国の元首と同等の立場で発言出来る人であり、大統領が彼の結婚式に出席しても何ら問題はない筈だった。しかし、肝心のケンウッド長官が彼女の出席を丁重に断ってきたのだ。大統領が来るとなると、それなりに警護が厳しくなる。世間の注目を浴びる。例えお忍びでも警護は必要だ。ケンウッドは身近な人々だけの集まりにしたいパーティーに、大仰な護衛官の集団が来ることを望まなかった。ボーマンが大統領でなければ喜んで招待させていただくのですが、と彼は言った。ボーマンも彼の心情を理解した。彼が式とパーティーをドーム空港ホテルで開くのも、護衛する人々の人数と負担を軽減するためだ。ドームの付属施設とも言える空港は本来ドームの守備範囲に入っている。そこへケンウッドは彼以外の政治と関係ない人々を招待するのだ。
 何かしらお祝いの気持ちを示したいボーマン大統領は代理人を立てることを思いついた。最初に思い浮かんだのは、前々大統領のハロルド・フラネリーだった。フラネリーは今もドーム事業に援助する形で色々な事業を展開している。彼もケンウッドと親しい。だが、フラネリに相談を持ちかけると、彼も渋った。民間人になったと雖も、やはり元大統領だ。護衛は必ず付いてくるし、彼の行動を常に見張っているマスコミの目もある。フラネリーはボーマンの代理を彼自身は務められないが、妹ならどうだろうと提案した。フランシスはポール・レインとダリル・セイヤーズの2人のドーマーの息子ライサンダーと同居しているし、幼いルシアはドームに要観察の子供として位置づけられている。ルシアは地球に女性が誕生しなくなって200年後に初めて自然の交わりで生まれた女の子だ。彼女の養育者としてフランシスと実父のライサンダーがドームを訪問しても良いのではないか。
 ボーマンがフランシス・フラネリーを代理として祝福に伺わせても良いかと尋ねると、ケンウッドは承知してくれた。元大統領の妹としてではなく、現大統領の代理としてご招待します、とケンウッドは応えたのだ。ライサンダーとルシアはパーティーに出られないが、彼等は外国から帰ってくるポール・レインに会える。ライサンダーは無愛想な父と陽気な父の妻が大好きなのだ。JJ・ベーリングは彼にとって妹同然だったから。それでフランシスはライサンダーとルシアを連れて出発した。ヘリでタンブルウィード空港まで行き、そこから飛行機に乗り換える。ライサンダーは民間機で良いよ、と言ったが、フライトスケジュールを見るとドーム空港への直行便がその日はなかった。途中で乗り換えていると到着が夕方になってしまう。ルシアが疲れるだろうと懸念したフランシスは自家用機を用意させていた。
 ライサンダーがヘッドフォンを外して体を前に傾けた。

「フラン・・・」

 叔母さんとは呼ばない。ライサンダーはフラネリー家とは無関係の男と言う世間体だ。遠縁の家族と世間では通している。女の子のフランシスがポール・レインの取り替え子で、フラネリー家の本当の子供は男の子のポールなのだが、取り替え子の事実が公表された今も秘密だ。地球人類復活委員会は、地球上の混乱を大きくしたくないがため、誰が誰の本当の子供なのか非公開にしている。地球人にとって「知ってはいけない重大な秘密」として認識されているのだ。だからライサンダーとルシアは親しみを込めてフランシスをフランと呼ぶ。

「何? 気分でも悪い?」

 フランシスの実の子供達はずっと以前に航空機事故で亡くなってしまった。子供達の父親、彼女が愛した夫も一緒に死んでしまった。仕事以外に心の穴を埋めるものがなかった彼女に、取り替え子の兄の息子ライサンダーとその娘は天からの贈り物だった。つい子供に甘い「母親」になってしまう。

「いや、大丈夫だけど・・・それより今夜、僕達、ドームのゲストハウスに泊まるって本当なの?」
「本当よ。ケンウッド長官が用意してくれたの。多分、ルシアの健康診断があると思うけど、すぐに終わるそうよ。後は許可範囲でドームの中を自由に歩き回って良いって。」

 フランシスはちょっと興奮を感じていた。ドームの中の面会スペースより中に入る許可をもらえる民間人は滅多にいない。ライサンダーは妻を犯罪で失って1年間、ドームに保護された胎児のルシアを見守るためにドームと外を行き来したので慣れていた。

「それじゃ、俺が案内してあげるよ。立ち入り禁止場所とか、まだ覚えているから、ガイドは任せて。」

 フランシスはニッコリ笑った。

「有り難う。でも貴方はダリルに会いたいでしょう?」

 ダリルはライサンダーのもう一人の父親だ。ポールと自身の細胞を使ってクローンのライサンダーを作って一人で育てた、ライサンダーの大事な「父さん」だ。ダリルが進化型1級遺伝子危険値S1を保有しているためにドームの外に出してもらえないので、ライサンダーは滅多に会えない。せいぜい面会スペースだけだ。だが今夜はたっぷり話し合える。

「親父は彼女と一緒にいたいんじゃないかなぁ。」

とライサンダーは照れを誤魔化した。ダリルの恋人はゴーン副長官だ。
 フランシスは首を振った。

「久しぶりに息子と孫が会いに来るのよ、ダリルは体を空けて待っているわ。」

 ちょっと実の子供達の在りし日を思い出して、フランシスは前に向き直った。ライサンダーが陽気に言った。

「ボーマン大統領のお陰だね。それにハロルドにも感謝しなきゃ。フラン、貴女と一緒に暮らして良かったよ。みんな素敵な俺の家族だ。」

 フランシスはそっと目頭を指で抑えた。