2021年4月18日日曜日

狂おしき一日 La Folle journée 8

  南北アメリカ大陸ドームの医療区長ヤマザキ・ケンタロウは、2名いる副区長に明日のシフトの確認をさせていた。医療区では区長は1名だが、「区長」の椅子に座るのは正副3名が交替で8時間ずつ1日を過ごす。誰か1名が休暇や出張で不在になると、残りの2名が8時間と4時間に分けて業務に就くのだ。「区長」としての業務は主に事務なので、医師として医療行為を行う時間は短い。部下の医師達に患者の面倒を任せて、指揮官として働けば良いのだ。しかしヤマザキは自分で直接患者を診ないと落ち着かない性格で、部下が担当する入院患者は必ず一回は回診してみる。ボスがそんなだから、副区長達も見習ってよく働く。

「現在のところ、入院しているのは『通過』の後半に入った維持班のドーマー2名だけだ。容態の急変はないだろうから、神経質に見張る必要はない。モニター室に任せておくと良い。」

 ロバート・オーエン副区長はドーマー達の遺伝子情報を眺めた。

「取り立てて注意が必要なアレルギーもないですね。」
「うん、2名共に手のかからない良い子達だ。」

 もう一人の副区長メレディス・ダウニーは通院組の患者リストをチェックしていた。遺伝子管理されているドーマー達は問題なさそうだが、コロニー人の執政官に一人長期治療中の持病がある。だが区長が外出を控えるほどの心配はない、と彼女は判断した。

「ヤマザキ先生、何か常備薬を持ってパーティーに出られるのですか?」
「野暮ったい医療カバンを持って行くつもりはないがね。」

 ヤマザキはドームからパーティーに出席する人々それぞれの体質を記録したシートを彼等に見せた。

「アレルギー体質で要注意と言う人間はドーム側にいないので、こちらの心配はしていないんだ。ハイネ局長は食事の時以外はマスクを着用させる。携帯酸素吸入器も持たせるから、大丈夫だろう。ホテルにも救護室があるし、医師も常駐しているからね。
 問題はサンダーハウスから来る連中だな。何人来るのか知らないが、コロニー人も地球人もいる。あっちの情報がないので、急病人が出た場合は出たとこ勝負だ。」

 オーエン医師が笑った。

「ヤマザキ先生、貴方は遊びに行かれるんですよ、仕事を忘れて楽しんできて下さいよ。」
「そう言われてもなぁ・・・」

 ヤマザキは苦笑した。

「地球人だって医者は何かしら商売道具を持ち歩いているって言うぜ。僕は職業病に罹っているんだ。落ち着かせるには、何か医療道具を持っていないといけないんだよ。」
「それは私もわかります。」

 ダウニーも笑った。

「でも立食パーティーでしょ? カバン持って歩けませんよ。ロボットを連れて行く訳にも行かないでしょうから、ホテルの医師と連携できるように打ち合わせなさっては如何ですか。」

 悪くない、とヤマザキは頷いた。

「懸念されるのは怪我ではなく急病人だからな。ホテル側に出席者の健康状態の情報を匿名リストで提出しておこう。しかし、108歳の出席者がよもや50代の姿をしているとは思わないだろうが。」
「カムフラージュにワッツ・ドーマーも連れて行けば如何です?」

 勿論、これはオーエンの冗談だった。ヤマザキは冗談とわかった上で却下した。

「駄目駄目、エイブを連れて行ったら、ハイネよりエイブの方が心配で僕は飯が喉を通らなくなる。折角のシェイのご馳走だぞ。」

 この返しはオーエンとダウニーに大受けした。ダウニーが笑いながら時計を見た。

「そろそろブラコフとヴェルティエンが到着する頃ですね、先生。」
「おお、そうだ。元副長官コンビが揃ってドームに里帰りするのは初めてだな。」
「揃って、じゃないです、全く初めてですよ。2名共、退官して以来、ここへ戻って来るのは初めてですよ。」
「そうだったか? 火星へ帰省したら必ずガブと会っているし、ヴァンサンも空港でよく出会うから、ドームの中でも会っていた気がしたが・・・」
「私もガブには火星でよく出会います。医師会の勉強会とかで会えば一緒に飲みに行ったりしますからね。ヴァンサンには出会わないなぁ。機会がなかっただけですが。」

 するとオーエンが、自分はヴァンサンと出会ったことがあると言った。

「ナイロビに出張した時に、会いましたよ。可愛らしい奥さんと一緒に買い物してました。ほら、僕が買ったキリンのぬいぐるみにノミが付いていて空港で没収された事件があった時ですよ。」
「ああ・・・キリン事件の日か。」
「没収のショックで、ヴァンサン達と会ったことをみんなに報告するのを忘れてましたけど。」
「え? 今思い出したの?」

 ダウニーが驚いて声を上げたので、オーエンが御免と呟いた。

「ノミのせいだよ、ノミが悪いんだ。」