2021年4月24日土曜日

狂おしき一日 La Folle journée 13

  お昼前の長官執務室での打ち合わせ会に、珍しく遺伝子管理局長が欠席した。欠席の連絡を受けたのはゴーン副長官で、この日同じく珍しく会に参加したゴメス保安課長は局長が来ないと聞いて、体調が悪いのですか、と尋ねた。ゴーンは端末を見て首を振った。

「用事が出来ただけです。会議の内容は後でメッセでお願いしますと言ってます。」

 ケンウッド長官とゴメス少佐はホッとした。明日のパーティーに出席予定のメンバーが体調不良だと言い出しはしないかと不安になったからだ。宇宙から来るセドウィックとパーシバルの親戚やサンダーハウスから来る科学者のグループの人数を考えると、ドームからの参加者は少ない。最も親しい仲間は一人でも多い方が良い。

「副長官も来てくれるのだね?」

 ケンウッドが念を押して尋ねた。彼女は留守番をすると言い張っていたが、パーティーは半日もかからない、来て欲しいとケンウッドはずっと頼んでいたのだ。ゴーンは苦笑した。

「秘書が私が出席を前提にした明日のスケジュールを組んでしまっていました。」
「私が昨日最終確認の電話をかけたら、アンバーが貴女も出席だと答えたので嬉しかったよ。」

 ゴーンは笑顔で誤魔化した。クローン製造部のトラブルのお陰で上の空で返答してしまったとは言えなかった。するとゴメス少佐が彼女に向き直って言った。

「私はまだ明日の衣装を決めかねているのですが、もし宜しければ後で相談に乗っていただけますか?」

 ケンウッドがびっくりしたような顔で彼を見た。少佐が着る物で悩むとは予想外だったのだ。

「平服でいいよ、ロアルド。それもうんとカジュアルに近くて構わない。改まった服装で大勢が集まるとマスコミに何かあると勘ぐられるからね。」
「しかし、長官はタキシードでしょう?」
「私も平服のつもりだったのだが、諸事情でタキシードを着せられるそうだ。しかしホテルの中で着替えるから。」
「諸事情ですって?」

 ゴーンが可笑しそうに呟いた。誰もが「諸事情」を抱えているようだ。

「明日は午前の早い時間に最小限の業務を片付けて、各自ホテルへ出かけることにしよう。ランチパーティーだから朝食は食べ過ぎないように。パーティーの所用時間は5時間の予定だが、解散は自由だ。せめて私達の挨拶まではいておくれよ。」

 ケンウッドの言葉にゴーンとゴメスが頷いた。
 その時、ゴメスの端末に電話の着信があった。ゴメスが長官に断って画面を見ると、空港保安部チーフ、ジョナサン・ダッカーだった。ゴメスは微かに不安を覚えながら電話に出た。

「ゴメスだ。」
「少佐、サンダーハウスの科学者達が到着しました。」
「報告通り16人全員か?」
「そうです。しかし、ちょっと問題が・・・」
「問題?」

 ゴメスが復唱したので、ケンウッドとゴーンが彼の顔を見た。ゴメスは彼等に不安を与えたくなかったので、復唱したことを後悔した。しかし話を聞かなければならない。

「どんな?」
「それが、科学者達が何やらポールの様な物を持ち込んで大ホール内に設置始めまして・・・」
「ポール?」
「そうです。サンダーハウスの携帯版だとかで、ホール内の埃や細菌を分解除去するそうです。」

 ケンウッドがゴメスに電話を代わってくれと手で合図した。ゴメスは端末を長官に手渡した。ケンウッドが電話に出て挨拶すると、ダッカーがちょっと安心した表情になった。

「サンダーハウスの実験の延長だよ。」

とケンウッドが説明した。

「パーティー開始前にホール内に放電するそうだ。数秒で終わるからパーティーの進行には支障ない。ただ電圧などの調整に手間がかかるから今日中に設置するんだよ。」
「そうですか。」

 ダッカーはホール内にいる。彼は背後をちょっと振り返った。

「仕事ですから、装置の安全性とか確認させていただいても宜しいでしょうね?」
「機械の内部探査をかけるのかい?」
「爆破物などを仕掛けられていないか調べるのが我々の役目ですから。」

 ケンウッドは6秒ほど考えてから、サンダーハウスグループの責任者を出してもらえないかと頼んだ。ダッカーは電話を繋いだまま歩いて行き、ケンウッドにとっても旧知の男性の前に行った。 頭髪が薄くなりかけているがまだ50代の男だ。

「ジェンキンス教授、こんにちは。遠路遥々お越しくださって有難うございます。」

 ケンウッドが挨拶すると、サンダーハウス実験場の最高責任者で地球人科学者のロバート・ジェンキンス教授が真面目な顔で挨拶を返した。

「お招き有難うございます、ケンウッド長官。久々に都会に出て来られて嬉しいですよ。ドーム長官の結婚式に招待して頂けるとは光栄です。 それに滅多にない実証実験の場を与えて下さって感謝しています。明日が楽しみです。」

 ゴーン副長官が口の中で「実証実験?」と呟いた。訝しげな表情だ。
 ケンウッドは気がつかずに本題に入った。

「今日お持ちいただいたサンダー放電装置ですが、空港保安部が安全確認の為に内部の透視検査をしますが、よろしいでしょうか? 爆発物がないか確認します。それ以外の目的はありませんので、装置の機能に障害を与えることはないし、そちらの作業を止めることもありませんので、どうか了承願います。」

 ジェンキンス教授が真面目な顔になんとか微笑みと思われる表情を表した。

「安全確認は当然ですね。ドームのセキュリティーの厳しさはホワイトハウス以上だと聞いています。ホールに入る時にも身体検査を受けましたから、機械の検査も大丈夫です。どうぞなさって下さい。」
「有難うございます。ダッカーに代わっていただけますか?」
「わかりました。では、明日のパーティーでお会いしましょう。」

 ダッカーが画面に現れたので、ケンウッドは彼の任務遂行を許可した。ゴメスに何か連絡はないかと確かめてから、通話を終えた。 ゴメスに端末を返したところで、ゴーンが質問してきた。

「実証実験とは何ですか?」

 ケンウッドはちょっとバツが悪そうに説明した。

「シュリーから要請があってね、以前ローガン・ハイネをサンダー・ハウスに連れて行って放電による空気洗浄効果を確認しようと言う話があったんだ。」
「局長の肺で実験を?」

 ゴーンが咎める口調になったので、彼は慌てた。

「ハイネも承知の上だったんだよ。だが、あちらの地方でインフルエンザが流行しただろう? それにハイネも脚を怪我したから、中止になったんだ。」
「それで今回のパーティーで局長が出席なさるのを利用して?」
「うん・・・実験もあるが、パーティーの間、ハイネにマスクなしで過ごさせてやりたくてね・・・」

 ゴメスが確認の質問をした。

「ヤマザキ博士が局長のそばにおられますよね?」
「その筈だ。ケンタロウはハイネにくっついているつもりでいる。サヤカも付いているだろうしね。」

 ゴメスとゴーンが顔を見合わせた。2人共、ローガン・ハイネがマスクなしでドームの外の空気を呼吸する危険度がどの程度のものなのか予測がつかない。ゴメスはハイネと格闘技の試合をした時に局長が呼吸困難に陥って激しく咳き込んだことを思い出した。もう8年も前のことだが、ヤマザキはあれ以来2人が格闘技の対戦をする時は事前に医療区に連絡しろと煩いのだ。今回はパーティーで、局長も少佐もご飯を食べるだけだ。

「ホテルには空気清浄機がありますし、食事だけなら放電装置がなくても局長は大丈夫だと思いますよ。」

とゴメスは言った。ケンウッドが苦笑した。

「まぁ、そう言うな。ハイネはサンダーハウスの実験にちょっとでも貢献したいと思っているんだよ。」