2021年4月17日土曜日

狂おしき一日 La Folle journée 7

  ガブリエル・ブラコフは月の宇宙港でシャトルに乗り、アフリカのカイロ宇宙港でヴァンサン・ヴェルティエンと落ち合い、同じ航空機に乗って南北アメリカ大陸・ドーム空港に降り立った。機内では他の乗客に聞き耳を立てられないように、互いに現在の仕事の話ばかりした。
 ブラコフは火星第1コロニーの公立中央病院で火傷治療専門の医師をしている。公立中央病院はテロや戦闘、大事故で身体に重大な損傷を受けた患者を受け入れる病院だ。所謂ウィルスなどの病原菌が原因の疾患や生活習慣病などの患者は診ない。外傷専門の病院だ。彼はそこで火傷や熱傷を負った患者を診ている。皮膚の再生や移植を行っているのだ。そして機能回復のプログラムを作り、リハビリのメニューを患者と共に考える。彼自身がテロの被害者であり、死の一歩手前まで行く重傷を負った経験がある。だから彼は患者に寄り添って、彼等を絶望の淵から呼び戻し、前に向かって歩き出す手伝いをしているのだ。
 ヴェルティエンは現在アフリカのケニアで妻と共に原住の民族の文化を記録する仕事に従事している。アフリカは宇宙へ移住した人が少なく、その為に女性が生まれなくなった地球規模の大異変で人口が激減した。取り替え子用のクローンを製造するのに用いる卵子の供給が困難だったのだ。少数民族の中には大異変から2世紀の間に消滅してしまった民族もいる。文化人類学者であるヴェルティエンは消えた民族の遺産を集めていたのだが、ケンウッドが率いる南北アメリカ大陸ドームが女性誕生の鍵を発見したことで、希望を見出した。彼は悲観的に人口が減った民族が生き残れるように、大急ぎで文化の記録を採り始めた。毎日妻と平原へ出かけて行って、宗教や生活習慣の記録、言語をデータ収集しているのだ。
 ブラコフはケンウッドの弟子の一人で、一番のお気に入りだった。だからケンウッドが長官に就任した時、副長官に任命された。ドームの勤務歴が長い執政官達から若輩者と妬まれたり、軽んじられたりしたが、ケンウッドは彼を励まし、彼が地球勤務を選んだ理由である、憧れの白いドーマー、ローガン・ハイネも彼を支えてくれた。遺伝子管理局長を味方につければドーム生活は楽しくなる。ドーマー達が助けてくれるからだ。ブラコフはドーマー達からは一度も軽んじられたことがなかった。彼等はいつも協力的だった。彼がテロで負った大怪我から復活して再び副長官職に戻った時は大喜びしてくれたのだ。そして彼が新しい仕事を求めてドームを去る時は涙を流し、惜しんでくれた。
 ヴェルティエンはケンウッドがユリアン・リプリー長官の副長官に任命された時、ケンウッドの秘書として採用された。目立たない役職だったし、遺伝子学者ではなく文化人類学者なので、秘書仲間からも重視されなかった。しかしケンウッドは彼を大事にしてくれた。機密事項も彼に遠慮なく任せてくれたし、彼が本業の研究の為にちょっとまとまった長さの休暇を申請しても怒らなかった。寧ろ彼が旅行から戻ると、何か発見したのかと好奇心満々で質問してくれた。そして彼の口頭での旅行記を嬉しそうに熱心に聞いてくれたのだ。ケンウッドが長官に昇進したら、ユリアン・リプリーの秘書だったジャン=カルロス・ロッシーニがもう一人の長官秘書としてケンウッドのチームに加わった。ロッシーニはドーマーで年齢も行っていたのでドーム内での経験はとても豊かで、ヴェルティエンは彼から教わることも多かった。時々ケンウッドとロッシーニが目で秘密の会話をしていた・・・とヴェルティエンには印象付けられた・・・こともあったが、2人の人生の先輩はヴェルティエンを可愛がってくれたのだ。
 ブラコフがテロで大怪我を負って治療のために火星へ行っていた期間、ヴェルティエンは第2の副長官に任命され、ブラコフと通信しながら業務を行った。初対面当初から仲は良かったが、これがきっかけで2人は無二の親友となったのだ。ブラコフはヴェルティエンの援助に心から感謝して安心して治療に専念できたし、ヴェルティエンは彼に職務を任せてくれたブラコフの信頼に感謝し、絶望的な負傷から辛い治療とリハビリをやってのけたブラコフを尊敬さえした。
 今回の再会は2年ぶりだった。2人共に尊敬し愛する師匠、ニコラス・L・ケンウッドの結婚を心から祝福していた。喜んでいた。
 航空機から降りて入国手続きを済ませ、ロビーで荷物を受け取って、初めて2人はリラックスした気分になり、互いの手でグータッチした。

「信じられるか、あのケンウッド先生が遂に結婚だ!」

 ブラコフが興奮を抑えつつ叫ぶと、ヴェルティエンも大きく頷いた。

「やっとあの人も家庭を持つ気になってくれたんだな!」

 師匠の花嫁が54歳も年下など、彼等にはどうでも良いことだった。
 彼等はドーム・ゲイトに向かって歩き始めた。他の招待客と違って彼等は元副長官なので、ドーム内のゲストハウスに宿泊するよう指示が来ていたのだ。指示を出したのはゴメス保安課長だ。勿論、セキュリティ上の判断だ。

「退職してからドームに来たのは何度目だい?」
「初めてだ。」
「へぇ、そうなんだ?」
「君はどうなの?」
「僕も初めてだよ。ケンウッド博士とは何度かお会いしているが・・・」
「僕もさ。外では出会う機会があるんだが、ドームに入る理由がなかなか見つからなくてね。」
「それじゃ、ドーマー達とは辞めて以来の再会か。」
「そうなる。懐かしいなぁ。」
「子供達は大きくなっているだろうね。」
「うん。おい、覚えているか、ロッシーニ・ドーマーが育てていた女の子。」
「ああ、ロッシーニが亡くなる時、あのユリアン・リプリーを宇宙から呼び寄せることに成功した女性だな。」
「彼女、保安課に入ったんだって。」
「へぇ! 科学者じゃないんだ。」
「ロッシーニは初め反対していたそうだ。医者か科学者か、そっち方面へ進んで欲しかったようだよ。」
「親心だな。保安課よりずっと安全だもの。怪我だってしないだろうし。」
「でも彼女は保安課員になった。ロッシーニが仕えたケンウッド先生の護衛官を目指しているそうだよ。」

 2人は消毒ゲイトの前に立った。退職してから消毒されるのは初めてだ。どちらからともなく、互いの顔を見やった。

「ここを通らなきゃならないことを忘れていたな。」
「仕方がない・・・覚悟を決めて入ろう!」