2018年10月11日木曜日

中央研究所  2 1 - 9

「セイヤーズが見て記憶した内容?」

 ケンウッドはドキッとした。セイヤーズの遺伝子は親の記憶をごっそり保存したまま生まれてくる、と言うものだ。長い歳月を旅する宇宙飛行士が、宇宙船の中で代替わりする時に、子供が一から学習する手間を省く為の、遺伝子改良だ。セイヤーズがこのドームでマザーコンピュータのデータを見て記憶したとなると・・・地球と月の地球人類復活委員会のセキュリティ全てを掌握してしまうことを意味する。
 ケンウッドは自分の顔が青ざめるのを感じた。進化型1級遺伝子保有者をドームの外に出せない理由その1だ。人類社会の安全保障を崩壊させてしまう能力を持つ人間達。
 彼はローガン・ハイネを見た。目の前にいる白い髪のドーマーも、赤ん坊の時から厳しく躾けられたからこそ「安全」なのだ。だが、ドームの外には出せない。ハイネはセイヤーズの遺伝式記憶能力を持っていないが、学習能力はセイヤーズより上だ。そして応用力が半端でない。

「大丈夫ですか、長官?」

 ケンウッドの顔色が悪いので、ハイネが心配して声を掛けた。ケンウッドは首を振って、意識を現状に戻した。

「大丈夫だ。それより、対策を考えねばならん。」

 観察モニター室に、ラナ・ゴーン副長官が入って来た。これで、このアメリカ・ドームのマザー・コンピュータへアクセス権を持つ最高幹部4名が揃った。

「セイヤーズは落ち着きました。」

とゴーンが報告した。

「息子の無事を確認しようとして、マザーにアクセスして北米南部班第1チームの報告書を読もうとしたのです。事実読んでしまったのですけど。息子が川に落ちて行方不明になったと知って、ポール・レイン・ドーマーに早く息子を探して助けろと要求するつもりで、無断で観察棟を出ました。観察棟の出入り口の解錠もマザーのデータを見て無意識に暗証番号を覚えたらしいのです。」
「つまり、マザー・コンピュータに関するものは、全て無意識に記憶している訳ですな。」

 ゴメス少佐が溜め息をついた。そして彼はケンウッドが考えつかない案を出した。

「セイヤーズの記憶を消しましょう。」
「なんだって?!」

 ケンウッドは思わず大きな声を出していた。

「人間の記憶を消すなんて・・・」
「長官、医療行為の一つです。過去の記憶に苦しめられている患者に用いる医学的治療ですよ。」

 ゴメスは宇宙軍出身だ。戦場で受けたショックから:心的外傷後ストレス障害で悩む兵士を多く見て来た。彼等の治療の一つに、記憶削除と言う方法がある。記憶を司る脳の部分に電気振動を与えて数時間から数年分の記憶を消してしまうのだ。患者は辛かった思い出を永久に忘れてしまえるが、同時に同じ期間に体験した他の全ての記憶も失ってしまう欠点がある。

「駄目だ!」

 ケンウッドは反対した。しかしゴメスは保安上の問題では譲らない。

「セイヤーズはドーム内全てのロック解除が出来ます。プライバシーも機密事項も全部記憶しています。そんな人間を我々だけで制御出来ますか? 」
「うう・・・」

 ケンウッドが反論を考える間に、ゴーンもゴメスの味方についた。

「長官、セイヤーズは息子を愛しています。その息子が川に落ちて行方不明なのですよ! 彼は息子を助けに行けない。苦しんでいます。もし息子が亡くなっていたら、彼は心を閉ざしてしまいます。」

 母親である彼女は声のトーンを落とした。

「息子が川に落ちたと言うことを忘れさせてやって下さいな。」

 するとハイネまでがゴメス側に立った。

「セイヤーズの能力が外部に知れ渡ると、軍が介入してくる筈です。」

 ゴメス少佐が頷いた。 ハイネは続けた。

「軍は何かしら理由をつけて彼を宇宙へ連れ出すでしょう。私は、このドームの子供を一人としてそんな形で失いたくありません。」

 ケンウッドはまだ迷っていた。セイヤーズの脳が破壊されずに済む保証があるのだろうか。
 記憶削除に関して誰よりも詳しいゴメス少佐が、彼を説得にかかった。

「記憶削除と言っても、今朝から今の段階までの記憶を消すだけです。」
「ピンポイントで消すのか?」
「そうです。そして、これは時間が経てば経つほど消さねばならない記憶量が増えて行きます。セイヤーズの安全の為にも、一刻も早く処置をするべきです。」
「しかし・・・そんな技術を持つ医師がすぐに見つかるかね? 軍医では拙いだろう?」

 すると、ハイネが囁いた。

「ヘンリーがいるではありませんか、ニコラス。」