2018年10月10日水曜日

中央研究所  2 1 - 8

 走らないように心がけ、急ぎ足で歩いて観察棟に向かった。こんな時、ドーム居住者に乗り物が許可されていないことがもどかしかった。せめて反重力エアボードでもあれば便利なのだが。
 観察棟の入り口の暗証番号を入力しようとすると、中から開けてくれた。監視ルームで見えたのだ。中に入ると、すぐにゴメス少佐が出て来て、特定の部屋だけを観察出来る観察モニター室に案内してくれた。そこではハイネ局長が居て、セイヤーズの部屋のモニターを眺めていた。普段音声は流さないのだが、今回はセイヤーズとゴーンの会話が聞こえていた。ゴーンはセイヤーズに息子の話を聞かされているところだった。
 ハイネが振り返り、ケンウッドを認めると呟いた。

「アイツ、遂にやりやがった。」

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーがそんな砕けた言葉を使ったのでケンウッドは驚いた。室内はケンウッドとハイネとゴメスの3人だけだったので、ドーマーの保安課員は誰も局長がそんな世俗の言葉遣いをするのを耳にすることはなかった。
 ゴメス少佐はハイネの言葉遣いなど気にせずに、ロール紙の筒を長官に手渡した。何だろう? ケンウッドはロール状の紙を引き伸ばしてみた。数字や単語や文章がぎっしり印字されていた。一見したところ、何なのか皆目見当がつかなかった。困惑してゴメスに目を向けると、少佐が説明した。

「セイヤーズが1時間前にハッキングしたマザーコンピュータのデータです。」

 すぐには頭に入らなかった。4秒ばかり保安課長を見つめ、それからケンウッドは「えっ!」と声を上げた。

「マザーをハッキングしただとっ!」

 だからそう言っただろうと言いたげな顔でハイネが彼をもう一度見た。

「恐れていたことをやりやがったんですよ。今迄やらなかった方が不思議ですがね。」

 ハイネはセイヤーズが成人した時に、彼を手元に置き、進化型1級遺伝子危険値S1保有者であることを教えて、誰からもその能力を狙われずに安全に生きていく術を教育するつもりだった。危険値S1は宇宙では軍の管理下に置かれる遺伝子だ。例え地球人であってもS1保有者は地球人保護法対象外の扱いを受ける。だからハイネはセイヤーズを平凡な地球人として暮らしていけるように仕込みたかった。しかし運の悪いことに、セイヤーズが成人する直前に彼は病に倒れ1年半近い昏睡状態に陥ってしまった。セイヤーズの遺伝子情報は誰にも伝えられず、当時のドーム長官サンテシマ・ルイス・リンはポール・レイン・ドーマーを愛人にしたいが為に、邪魔な恋人であるセイヤーズを西ユーラシアへドーマー交換に出してしまったのだ。セイヤーズは自身の特異な遺伝子のことを何も知らずに今日迄生きて来た。
 ケンウッドは額に脂汗をかいた。ロール紙を持つ手が震えた。

「ハッキングの目的は?」
「その記録を見た限りでは・・・」

 S1因子を持っていなくてもハッキングは得意なローガン・ハイネ・ドーマーが苦々しげに答えた。

「昨日付けの北米南部班の外勤務報告書を読みたかったようです。」
「報告書の為に、こんなに長々と情報を引っ張り出したのか?」
「何処に報告書があるのか探したのでしょう。検索をかけても出て来ませんから。」
「・・・しかし、ハッキングの手口としては幼稚ではないか?」

 するとゴメス保安課長が口を挟んだ。

「長官、重要なのは手口ではなく、彼が見て記憶した内容です。」