2018年10月7日日曜日

中央研究所  2 1 - 6

 遺伝子管理局長の午前中の仕事は日によるが概ね忙しい。前日に誕生した子供の登録と前日に死亡した人の記録とデータの移行だ。要注意の者にはデータにタグが付いているのでそれに目を通す。特殊な遺伝子を持って生まれた子供や、生まれて直ぐに病気を発症する子供などを適切な処置を受けられる手配がなされているか、確認する。同様に亡くなった人の遺伝子が誰かに悪用されないかチェックもする。遺体を保存する場合は特に監視対象とする。違法なクローンを製造するのを防ぐ為だ。
 日課に取り掛かって1時間も立たないうちに妨害が入った。電話を受けた第1秘書のネピア・ドーマーが不機嫌な声で応対してから、局長、と呼びかけて来た。

「ゴーン副長官が面会を求められて下に来ておられますが?」

 副長官が遺伝子管理局本部に顔を出すのは就任以来初めてだ。ハイネは副長官を嫌いではなかったが(寧ろ美人は歓迎だ)、日課を始めたばかりだ。ちょっと困ったな、と思った時、端末に電話が入った。メロディからして、ケンウッド長官だ。

 何なんだ?

 ハイネはネピアに手で待機と合図して電話に出た。おはよう、とケンウッドが言った。

「レインから聞いたが、セイヤーズの息子が川に落ちて行方不明と言うのは確かなのかね?」

 まだ昨日の報告書を読んでいないのか? ハイネは面倒臭がっていると思われないよう気をつけながら、そうです、と答えた。

「4Xは?」
「行方不明です。」
「現地警察に捜索させているのだろうね?」
「報告書にそう書いてありましたが?」

 報告書をちゃんと読めよ、とハイネは心の中でぼやいた。こっちは忙しいのだから。
「すまん」とケンウッドが謝った。

「気が逸って落ち着かなかった。打ち合わせで詳細を聞かせてくれ。」

 ハイネが何か言う前に電話が切れた。ハイネは肩を竦めた。セイヤーズが連れ戻されてから、中央研究所が騒がしい。執政官達はセイヤーズの特異な染色体に興奮しているのだ。セイヤーズは何処にも逃げないと約束してくれたのではないのか?何をそんなに慌てているのだ?
 ネピア・ドーマーが咳払いした。ハイネはゴーン副長官を待たせていることを思い出した。
 お呼びしなさいと答えて数分後にゴーンが部屋にやって来た。返答を待ち切れないで、既にエレベーターに入って受付の合図を待っていたに違いない。
 ネピア・ドーマーが不機嫌の極みと言った表情になったので、第2秘書のキンスキー・ドーマーがお茶を淹れた。
 ゴーンは朝の挨拶もそこそこに、昨日の山狩りに関する報告書を見たいと申し出た。長官に回した報告書を長官がまだ目を通していないので、副長官には届けられていないのだ。

「川に落ちた少年の行方でしたら、まだ何も判明していませんよ。」

 ハイネが先回りして言うと、ゴーンは言った。

「何故落ちたのか知りたいの。」

 ハイネは執務室中央の会議テーブルの上に報告書の画像を出した。そして副長官が順番に目を通す間に日課の続きをやっつけた。幸い件数が少なかったので、ゴーンが疲れて休憩する前に終わった。
 ハイネは報告書の画像の横に、観察棟の監視モニター映像を映し出した。狭い部屋のベッドにダリル・セイヤーズ・ドーマーが布団を抱えて座り込んでいるのが見えた。俯いているので表情は見えない。ゴーンもその映像を見上げて、セイヤーズの手が布団をしっかり握りしめているのに気がついた。その布団はドームの中では見かけない品だった。パッチワークで作られたキルトだ。ところどころ歪な縫い目も見て取れた。手作りだ。

「あの布団は?」
「ワグナーが持ち帰りました。セイヤーズの家にあったそうです。」

 几帳面なクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが布団の報告も書いていたので、ハイネはキルトの来歴を直ぐに答えた。

「レインとセイヤーズの体液が付着していたので、現場に残すのは拙いと考えたそうです。」

 さりげなく、何でも無いようにハイネは言ったが、ゴーンはその言葉の重要な意味を理解した。昨晩セイヤーズの体を検査した時、執政官達はセイヤーズの体の一部に傷があるのを発見した。その部位からレインが逮捕時に何をセイヤーズに行ったのか、彼等は悟ったのだ。

 ドーマーも男だ。人間だ。感情を、欲求を抑制出来ない時もある。

 セイヤーズは一生記憶するだろう。彼がレインに対して抱いていた感情がどう変化したのか、まだ誰にもわからない。
 ハイネはその検査報告を見ていない。ケンウッドの指示でドーマーには教えないと決めたのだ。だから、キルトを抱き締めているセイヤーズの映像を見たハイネはこう呟いた。

「外の生活を懐かしがっているのだろうか?」

 ゴーンはキルトの派手な色合いから、あの布団は子供の為にセイヤーズが手作りしたのではないかと思った。だから3人の子持ちの彼女は言った。

「彼は、子供を思って泣いているのですわ、局長。」