2018年10月13日土曜日

中央研究所  2 2 - 1

 脳の細胞を繋ぐニューロンの特定のシナプスが特定の記憶を呼び起こす時に形成されるのを阻止する処置。 パーシバルはかなり慎重に作業を行い、1時間後に彼自身がぐったりとして部屋から出てきた。

「セイヤーズの脳は本人が意識しない物でも、網膜に映ったり鼓膜を振動させたりする物を全部記憶する。1日分の記憶と言っても膨大な量だ。時間の感覚を失わせることで記憶を破壊する。脳にとっては相当なダメージになるだろう。」

 ケンウッドは恐怖を感じた。セイヤーズの心を死なせてしまったのだろうか? 体に震えが生じかけた時、肩に大きな温かい手が置かれた。振り返ると、ローガン・ハイネがいた。ハイネが落ち着いた声でパーシバルに尋ねた。

「セイヤーズが回復するにはどの程度の時間が必要ですか?」

 よく透る綺麗な声だ。不思議にケンウッドの心を鎮めてくれた。パーシバルがカルテを眺めた。

「普通の人間だったら2日程で通常の生活に戻れる。だが、セイヤーズの脳は超デリケートだからね・・・自力で平常時に戻る迄1週間か10日はかかるかも知れない。」
「自力で?」

 やっとケンウッドは声を発せた。

「薬とか電気ショックで目覚めさせる訳にいかないのか?」
「出来ないことはないけど、何が起きるかわからないよ。相手は人間の脳だからね。ニューロンが正常に機能するのを自然の成り行きで待つべきだと思う。永久に起きないと言うことはないと思うけど、昏睡状態が長引くことも覚悟しないとね。」

 パーシバルはハイネを見てちょっと微笑んだ。ローガン・ハイネは1年半も昏睡状態にいた経験がある。最初の原因は恐ろしい異星の黴に冒されて高熱を発したからだが、熱が下がっても目覚めなかった。脳の検査をしても異常はなかったので、ケンウッドは考えたのだ。もしかするとハイネ自身が目覚めたくないのかも知れない、と。だから呼びかけて見た。ハイネの生き別れた部屋兄弟に面会したことを話したり、秘書が重大問題を報告したりして、ハイネの意識をこちらの世界に呼び戻したのだ。
 パーシバルはセイヤーズも同じ方法で復活させられるだろうと暗示したのだ。

「セイヤーズは取り敢えず生命の危険に曝されている訳ではない、と言うことかね?」
「そうだよ。焦らずに眠らせてやってくれ。」

 病室では、ヤマザキ・ケンタロウが昏睡状態に陥っているセイヤーズの為に部屋の装備を整えている最中だった。ジェル浴室に入れるつもりはないらしく、ヤマザキはセイヤーズがそんなに長く眠っていないと踏んでいるのだろう。
 ケンウッドは友人達の連携に感謝した。時計を見ると、とっくに日付は変わっており、夜明けが近かった。

「ハイネ、君を眠らせなかったことに今気が付いたよ。すまない。明日は・・・否、今日か・・・日課を代行してもらってくれ。休んで良い。否、休め。これは長官命令だ。」

 ハイネが返事をするより先にパーシバルが提案した。

「ついでにエイブの膝の手術もやっちまおう。予約は来月だったが、早くして彼が困る筈がない。グレゴリーに連絡してエイブをこっちへ来させてくれないか? グレゴリーもこっちへ来るだろうから、ハイネの代行をしてもらえるだろう?」
「グレゴリーにはグレゴリーの仕事がありますよ。」

と言いつつも、確かにハイネは疲れた表情をしていた。ケンウッドは時計をもう一度見た。

「朝食には早いが、コーヒーと何か腹に入れよう。考えたら、夕食も碌に食っていない。」
「ラナは? 彼女は休ませたのか?」
「副長官は私の分も事務仕事を引き受けて中央研究所にいる。彼女は上手に休憩を取るから、休憩スペースで休んでいるかも知れない。」

 そう言いつつも、ケンウッドは端末でゴーンにメッセを送ってみた。セイヤーズの手術が無事終了した報告と、これからやたらと早い朝食に行くので、良ければ合流しないかと言うお誘いだ。ヤマザキが合流して4人で食堂に向かって歩いているとゴーンから返信が来た。画面を読んでケンウッドは思わずニッコリした。

「副長官はクロエル・ドーマーと朝ごはんに行く約束をしているそうだよ。」
「クロエルちゃんと?」

 パーシバルが目を輝かせた。彼はあのおちゃらけた南米人ドーマーが大好きだった。

「クロエルちゃんも来るの?」
「彼等は普通の時刻に朝ごはんだよ、ヘンリー。」
「ちぇっ!」

 パーシバルはハイネの腰に腕を回した。

「いいさ、こっちはハイネがいるから。」

 ハイネも義理の息子で親友の彼をそっと体に引き寄せた。彼は感謝していた。セイヤーズを救ってくれた友人達に。