2017年9月16日土曜日

後継者 4 - 9

 翌朝、ローガン・ハイネ・ドーマーは定刻に出勤した。既に第2秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーが来ており、仕事の準備をしていた。休憩スペースのお茶の補充も忘れない。第1秘書の姿が見えないな、と思ったら、セルシウスが素早く説明した。

「ペルラ・ドーマーは北米北部班チーフのオフィスへ行っています。昨日の二重死亡届けの件で・・・」

 ハイネはわかったと答え、執務に取りかかった。普通はチームリーダーを連れて来いと班チーフに局長室から指示を出すのだが、ペルラはこの手のミスの場合、局長が新しい業務に取りかかるのを邪魔しないよう、秘書レベルで解決する。秘書が局長室に部下を呼び出す訳にいかないから、自らチーフ執務室へ出向いた。恐らく届け出を局長室に廻した北米北部班チーフ秘書がペルラに叱られるのだ。秘書は内勤専門だから、チーフや部下達が外勤で不在でも執務室に居る。
 ハイネは昨日誕生した赤ん坊のリストを出し、出生確認を行った。予定日を過ぎても生まれない子供の名前を残して生まれた子供の記録を別のファイル「出生届け済み」に移動させた。これで子供達は法律上正式に「生まれた」ことになった。地球人としての権利が保障され、成人後の納税義務が生じる。当然ながら要チェック遺伝子保有者リストを開き、遺伝病の因子を持っている赤ん坊や、地球人が大昔から持っている所謂「超能力」保有者や、ドームが管理対象としない進化型3級、4級などの遺伝子保有者をそこに登録する。この作業にハイネは毎朝2時間を費やす。南北アメリカ大陸で生まれた全ての赤ん坊の遺伝子情報に目を通すからだ。
 次に死亡者リストのチェックだ。地球人の死亡を法的に承認して、遺族の遺産相続権を確定させる。次いで要チェック遺伝子保有者リストから死亡者を削除する。ただし、死者の遺体が何らかの方法で保存される場合は要追跡ファイルに加える。要追跡ファイルは各地の支局に配信され、支局は遺体が登録場所から移動されないか、傷つけられないか監視するのだ。この作業が終わればお昼だ。
 但し、これらの時間割は割り込みの仕事が入らなければ、の話だ。中央研究所の長官や副長官から呼び出しが来れば、出かけなければならないし、クローン製造施設から胎児育成に関して報告があれば話を聞かねばならない。出産管理区からも緊急連絡が入ることもある。収容された妊産婦に異変が起きた場合だ。母親が、または赤ん坊が、最悪の場合は母子共に命を失うこともあるのだ。どんなに科学が進んでも出産は命がけだった。
 遺伝子管理局内でも、部下が相談や報告で面会を求めて来る。聡い部下は局長の手が空く午後に連絡を入れるが、無頓着な者は時間を考えずに何時でも電話してくるのだ。
 幸いなことに、昨日誕生した人数は日平均より遙かに少なかったので、出生確認はすぐに終わった。特殊遺伝子を持つ子供の誕生もなく、ハイネ流に言えば「穏やかな1日の始まり」だった。恐らく出産管理区でも平和な1日だったので、キーラ・セドウィックは1日の終わりにプールに出かけてハイネを見つけたのだ。
 死亡届け承認を始めてすぐにペルラ・ドーマーが戻って来た。その朝初めて局長と顔を合わせたので、互いに挨拶を交わし、ペルラは自身の執務机に着いた。

「昨日の二重届け出があった死亡者の件ですが、報告してよろしいですか?」
「よろしい。」
「どうやらあれは支局のミスではなく、詐欺事件の様です。」

 珍しい言葉に、ハイネとセルシウスはそれぞれ仕事の手を止めてペルラ・ドーマーを見た。

「詐欺と言ったか?」
「はい。死者の2人の息子が別々の支局に父親の死亡届けを出して遺族年金の二重取りを企んだと思われます。警察の仕事ですから、我々はそれ以上は追跡しませんが、市民権登録がマザーコンピュータ上1人1件であることを知らずに、居住地の役所毎に死亡届けを出せば、出した数だけ遺族年金が支払われると考えたようですね。」
「届け出を受け付けた局員も複数か?」
「はい、それもわざわざ支局巡りの局員が別人であることを確認した上での犯行です。」
「チームは同一なのか?」
「はい。ですから、まとめたチームリーダー秘書の見落としですから、厳重に注意しておきました。」
「わかった。ご苦労だった。」

 ペルラは軽く頭を下げて、今日の仕事に取りかかった。70歳を過ぎようとしているが、彼はまだ現役を続けられるはずだ。ハイネは昨夜のケンウッドの言葉を思い出し、副長官の杞憂ではないかとふと思った。ペルラ・ドーマーが引退を考えているのではないか、とケンウッドは懸念を抱いたのだ。
 ペルラ・ドーマーは「死体クローン事件」と言う30年以上前に起きた事件の捜査で大怪我を負い、外勤務の局員から引退を余儀なくされた。それから内勤で頑張ってきた。ハイネは「死体クローン事件」の時は内務捜査班の捜査官だった。入院中のペルラを見舞いがてら事情聴取したのだ。その時、怪我で弱っているにも関わらずペルラ・ドーマーがきちんと情報を整理して証言したことに感心した。それ以来、内務捜査班の仕事で中央研究所に提出する報告書は内勤職員が清書するので、ハイネはいつもペルラに依頼した。局長就任が決まった時には、すぐ第1秘書の任をペルラに要請したのだ。
 思えば30年以上の付き合いだ。ハイネはこの部下をまだ手放したくなかった。