2017年9月20日水曜日

後継者 4 - 15

 長官室を出たのは、まだ12時を少し廻った時刻だった。食堂が賑わっている時間帯だったので、ケンウッドはハイネを副長官執務室に連れて行った。局長のランチタイムには早かったし、ハイネ自身が今は大勢の喧噪の中に入る気分ではないはずだ。
  副長官に就任してから自身の執務室に遺伝子管理局長を入れるのは初めてだったろうか。ハイネは入室すると珍しそうに室内を見廻した。秘書が既に昼休みで部屋を出た後だったので、ケンウッドは彼に好きな場所に座ってくれと言い、自身は執務机でやりかけだった書類の後片付けをした。時間つぶしだ。ハイネは来客用の椅子に座って端末をいじり始めた。誰かとメッセージのやりとりをしている様子だったので、ケンウッドは邪魔をしないことにした。
 ケンウッドはコンピュータに他の執政官から連絡が入っているのに気が付いた。開くと、ヘンリー・パーシバルの送別会に引退するエイブラハム・ワッツ・ドーマーや司厨長達ドーマーのお別れ会も兼ねないか、と言う提案だった。ドーマーを愛するパーシバルの送別会にふさわしい提案だと思えた。執政官の中には老いた地球人の引退と病気の執政官の退官は別物だと主張する人もいるが、どちらもお別れ会だ、一緒でいいじゃないか、とパーシバルの声が聞こえて来そうだ。ケンウッドは「賛成」と返信を送った。
 ハイネが端末を仕舞って顔を向けた。

「先ほどの、ゴードン・ヘイワード・ドーマーの病気の件ですが・・・」
「医療区に尋ねてみたのかい?」
「はい。消毒班に心臓の病気が多いとリプリー長官が仰いましたが、私は初耳でした。」
「申し訳ない、ドーマーには教えるなと言われていたので・・・」
「事実ですか?」
「薬品が原因ではないのだ。薬品が原因ならば、妊産婦のドームゲートで働くドーマーに病気が頻発するはずだが、あちらには心臓の障害は出ない。宇宙からの出入ゲートの係官に症状が出る。重力調整の為に減圧したり増圧したりする装置を操作する人々が罹る確率が高い。恐らく、ヘンリーの重力障害と似た病気だと思うのだ。」
「そうですか・・・」

 ハイネはちょっと苦しげな表情を見せたが、すぐ元の平素の顔に戻った。

「医療区のコートニー博士に問い合わせましたら、ヘイワードは長く保って半年だそうです。何故そんなになる迄我慢していたのでしょうね。グレゴリーは気が付いていた様で、何度かヘイワードを医療区に連れて行ったそうです。しかしヘイワードは入院を拒否しました。出来るだけ長く仕事をして、グレゴリーと過ごす時間を持ちたかったようです。」

 ケンウッドはそれを聞いて哀しく思った。

「ドーマー達に働くことしか教えてこなかったドームの責任だよ。疲れたら休養期間を取って休ませてやらねばならないのに・・・ドーム機能の維持が可能なぎりぎりの人数しかドーマーを養っていないから、君達が病気になると代わりがいないんだ。」
「しかし、体の不調を訴えるのは、ドーマー自身の責任ですから。グレゴリーやヘイワードの年代は真面目な人間ばかりで、自身を休ませると言うことを知らない・・・」

 ケンウッドはハイネを見た。

「君もそうじゃないのかね?」
「私ですか?」

 ハイネは微かに苦笑した。

「私は怠け者ですよ。業務中に疲れればすぐ休憩スペースで寝ています。秘書に訊いてごらんなさい。」
「真面目な秘書殿にね・・・」

  ケンウッドは時計を見た。

「そろそろ1時だ。昼食に出かけようか?」
「そうですね・・・」

 ハイネは座ったまま、また室内を見廻して尋ねた。

「ところで、キーラの熊のぬいぐるみはどうされました? 廃棄処分されたのですか?」

 キーラ・セドウィックがローガン・ハイネを前長官サンテシマ・ルイス・リンの魔の手から守る為に監視カメラを仕込んだ熊のぬいぐるみを、ハイネは幽閉が解ける前にケンウッドに譲ったのだ。リンがケンウッドを邪魔者として罠にはめる恐れがあったからだ。
今、副長官室を見廻しても、どこにも熊はいなかった。

「あの熊は研究室に置いてあるよ。助手達の監視になるし、不審な人間の侵入も見張ることが出来るからね。偶に助手が抱っこして遊んでいる。」

 それではキーラも監視を中止しただろう、とハイネもケンウッドも思った。