2019年4月29日月曜日

訪問者 2 1 - 13

   女装大会の結果は、優勝者が医療区に新しく配属された若い執政官の「シンデレラ姫」、準優勝が「旅客航宙船のフロントレディ」に扮したシステムエンジニアの執政官、特別賞が「不思議の国のアリス」で大好評だった保安課のゴメス少佐となった。ケンウッドはハイジの姿のままで特設会場のステージで表彰式を行い、祭りの締めの挨拶を行った。
 祭りが終わった。観光客やメディアがゲートから出て行く。入場の際に退出する順番も決められてチケットに入力されているので、時間通りに出なければ超過料金を求められる。
 ヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックは地球人類復活委員会の会員なので時間超過しても構わないが、子供達は一般客だ。

「空港ホテルに部屋を予約してあるの。」

とキーラがアイダに言った。

「子供達に地球を見せたいので、後3日滞在するわ。もし貴女に時間が出来たら連絡して頂戴。子供達だけで観光させて私は残るから。」
「わかったわ。多分明後日は空くと思う。シンディと時間を調整して外に出てみる。」

 キーラとアイダが女同士のデートの約束を取り付けた。パーシバルが彼女達のそばに来た。

「シュリーが何処へ行ったかわかるか、キーラ。もうすぐ子供達を外へ出す順番が回って来るんだが・・・」

 父親の後ろにはローガンとショシャナがいた。コロニーでは大人ぶって反抗もする彼等だが、地球は厳しい規則が多くて親に従っているのだ。キーラはステージの方を見た。

「局長のそばに行ったんじゃない?」
「ハイネは向こう側で爺さんドーマーの団体と一緒にいたよ。」
「エイブやグレゴリーが来ているのね。」

 キーラは懐かしそうな顔をした。

「彼等にも時間があれば会いたかったわ。」

 ショシャナが端末を出した。

「シュリーに電話してみるわ。」
「僕等の端末は地球じゃ使えないよ。」

とローガン。それを聞いて、アイダが自分の端末を出した。素早く遺伝子管理局長に電話を掛けて、シュラミスが彼の所にいないか尋ねた。少女は祖父の元にはいなかった。
戻ってきたらお仕置きよ、とキーラが呟いた所へ、シュラミスがケンウッドと共に現れた。何処へ行っていたんだと訊く父親に彼女は悪びれもせずに答えた。

「ステージ脇でニコ小父さんのお仕事を見ていたの。」
「表彰式を見学していたんだよ。」

とケンウッド。出来れば女装した姿ではなく普段の姿を見て欲しかったのだが。
 パーシバルがホテルの名前を告げて、彼等は別れの挨拶をした。ショシャナはヤマザキにピアノコンクールの日付を告げた。その日に月に行けるかどうかわからなかったが、ヤマザキは都合がつけば行くよと約束した。ケンウッドは子供達と抱擁を交わし、娘達からキスしてもらった。そしてハイネがその場に来ないことを残念に思った。
 ドーマー達は祭りの後片付けに忙しく、誰も観光客の見送りには来なかったのだ。

訪問者 2 1 - 12

 ショシャナとローガンがそれぞれハイネにキスをして晴れやかな顔でテーブルに戻るのを、ケンウッドとパーシバルとヤマザキはのんびりと眺めた。ケンウッドとヤマザキは昼食を済ませてしまっていた。キーラが運んだチーズのホットサンドウィッチをハイネが突き返したのは意外だった。

「余程深刻な話をしているんだな。」

 ヤマザキが感想を述べると、パーシバルは含み笑いをした。

「お祖父さんに人生相談をしてもらうまたとない機会だからね。おっと! またとない機会を得たのは孫に会えたハイネの方かな・・・」

 人生相談の最後の相談者はシュラミスだった。それまで3つ子の指導権を握っていた彼女は、ハイネに歩み寄ると、椅子を彼の真横に引き寄せた。腰を下ろし、祖父にしな垂れかかった。

「私の問題は父も母も知らないの。勿論ショシャナもローガンも知らないわ。」
「そんな重要な話を初対面の爺さんにして良いのかな?」

 孫の目から見ても「爺さん」には到底見えないハイネが言った。一卵性双生児なのにシュラミスの方がショシャナよりませて見える。化粧も上手だ。流し目で彼を見るその一瞬の表情がマーサ・セドウィックを思い出させ、ハイネは複雑な気持ちになった。

 祖母さんの悪い面が遺伝していなければ良いが・・・

「あのね、局長・・・」

 シュラミスはハイネの耳元で囁いた。

「どうすればニコ小父さんの奥さんになれるかしら。」

 ハイネは一瞬目が点になった。危うくケンウッドを振り返りそうになって、自制した。

「恋をしているのか、シュリー?」
「幼稚園の時からずっと・・・」
「彼は優しいからな。」
「父も母もサヤカもケンタロウも、みんな小父さんを褒めるけど、貶すことは絶対にないわ。あんな良い人は他にいない。いつも他人が一番で彼自身のことは二の次。」

 親友を褒められてハイネは嬉しかった。それも彼の孫娘が褒めているのだ。

「彼が何故独身なのか考えたことはあるのかね?」
「彼は地球と結婚しているって、父が言ってたわ。」
「ああ・・・」

 ハイネは頷いた。

「彼に存在を認めて欲しくば、君も地球を愛すことだ。そうすれば、君が地球にいようが火星にいようが、彼は君を忘れない。」

 彼は自分からシュラミスにキスをして、それから片手を挙げた。

「アイダ博士、私にサンドウィッチとコーヒーをお願いします。」

 キーラの抗議が聞こえた。

「サヤカはオーブンの係で忙しいのよっ!」

 ハイネは負けずに言い返した。

「私はアイダ博士に声を掛けたんだ。君に文句を言われる筋合いはない。ここは出産管理区の店だ。」
「凄い、お祖父ちゃん!」

とシュラミスが囁いた。

「お母さんに言い返せるなんて! お父さんやお祖母ちゃんには絶対に無理だもん。」

 



訪問者 2 1 - 11

 ショシャナはハイネと話す前と違って明るい表情で姉弟が待つテーブルに移動した。そして弟に声を掛けた。

「貴方の番よ、ローガン。」

 ローガン・セドウィック・パーシバルは意を決して立ち上がると祖父の前に座った。

「改めて、初めまして、局長。僕はローガンです。」
「ヤァ、初めまして。私もローガンだ。よろしく。」

 そこへキーラが湯気が立つ熱いサンドウィッチを運んで来て父親の前に置いた。するとハイネが珍しく皿を彼女に押し返して苦情を言った。

「気が散るから、私が呼ぶ迄持って来るな。」

 キーラはニヤッと笑って息子に言った。

「局長はチーズを目の前にすると平静でいられないのよ。」

 そして皿を持ち去った。ハイネがその後ろ姿を見送りながら呟いた。

「ワザとやったな。」

 そして孫に向き直った。

「あれはそう言う女だ。そうだろう?」

 ローガン少年は祖父の前で初めて笑った。笑うとヘンリー・パーシバルに似ている、とハイネは思った。
 少年は咳払いして、それからハイネに改めて向き直った。

「失礼しました。僕は今年大学を受験します。遺伝子工学を勉強するつもりです。但し、人間ではなく植物です。新規開拓の天体で栽培可能な農作物を作る仕事をしたいのです。」

 ハイネは黙って頷いた。少年の目標に何か問題があると思えなかった。現時点で聞く限りでは。ローガン少年は続けた。

「新しい作物を作るには、開拓地に実際に行って気候や土を見なければなりません。ラボで計算して出来るものではないんです。だから僕は辺境へ行きたいんです。」

 それでハイネはやっと彼が抱える問題点が見えた気がした。

「親の誰かが反対しているのだな? 君が辺境へ出かけることを。」
「両親2人共に反対しています。」
「辺境とは、行きたい星を決めてあるのか?」
「それはまだ・・・」

 遺伝子管理局は人間だけでなく地球上の動植物の遺伝子管理も行なっている。ハイネは全てを把握している訳ではないが、新規開発された遺伝子組み換えの野菜や家畜の実用化や増産の許可証発行などを行うこともある。

「まだ大学に合格もしていないうちから反対するのは可笑しな話だ。」

と彼は言った。そうでしょう、と少年。

「合格して入学してから、僕が研究したい対象が変わるかも知れないじゃないですか。」
「私は薬剤師をしていた。遺伝子管理局長に就任する前だ。」
「はい、それは母や父から聞きました。」
「本来は遺伝子の研究に関する薬品の管理をする仕事だったから、染色体や分子構造に影響を与える薬剤の勉強をしていた。しかし薬剤管理室は医療区の薬品も扱う。私はドームの外で使用されている薬に興味が移り、さらに漢方薬に行き着いた。最終的には、同じ症状の病気に効力がある異なる薬品の比較に没頭してしまった。
 研究対象が変わるのは、勉強を始めてからだ。大学受験そのものを君の両親は反対していない筈だ。辺境へ行きたいと言う君の夢を断念させたいだけだ。だから、先ず大学に合格することを目標に頑張りなさい。そこでどんな先逹と出会うか、どんな目標を見つけるか、未来のことは誰にもわからない。」

 ハイネはニヤリと笑いかけた。

「もしかすると、君は執政官としてここへ来るかも知れないじゃないか。」

 ローガン少年が頬を赤らめた。

「もしそうなったら・・・その時も貴方はここにいらっしゃいますよね?」
「未来のことは誰にもわからんよ。」

 少年は立ち上がり、祖父の手を取った。

「僕が貴方をここから出してあげます。空気の浄化を促進させる植物を開発して、貴方がドームの外でも呼吸して生きていける世界を創りますよ。」

 馬鹿でかい夢をいきなり語る孫を、ハイネは抱き寄せた。

「辺境が地球に変わったのか?」
「駄目ですか?」

 ローガン少年は祖父にキスをした。

「僕の名前が貴方から頂いたと知った時から、貴方に憧れていました。」

2019年4月28日日曜日

訪問者 2 1 - 10

「局長、私達、貴方に聞いて頂きたいことがあるんです。」

 シュラミスが言い出した。ショシャナとローガンはちょっとモジモジしている。父親のパーシバルが子供達にはっぱをかけた。

「そうさ、この際だから、ここで言っちゃえっ!」

 そして彼はさっさとケンウッドとヤマザキが居るテーブルの椅子に座った。ヤマザキが笑った。

「爺さんが願いを叶えてくれって訳でもなかろうに。」
「子供達は話を聞いてもらえれば満足なんだよ。それから、爺さんは止めろっていつも言ってるだろう、ケンタロウ!」
「彼は事実爺さんなんだから、爺さんと呼んで何が悪い。」
「2人共、止さないか。観光客に聞こえるぞ。」

 3人は通路の方を振り返った。昼時なので屋台の前に人が立ち始めた。アイダとランバートが肉やチーズを焼き、キーラが具材をパンに挟み込んでいる。給仕はドーマー達の役目だ。観光客はドーマー目当てなのだから、それで良い。客が去った後のテーブルの片付けはロボットが行う。
 ケンウッドは思わず呟いた。

「区長と副区長がここにいると言うことは、業務は若い医師達が引き受けたんだな。」
「ボス2人が籤引きで当たりを引いちまったんだとさ。」

と事情通のヤマザキ。医療区長の彼は男性なので女装しなければならず、春分祭の業務は毎年休む。パーシバルがハイジと荻野吟子を見比べた。当然ながら笑っていた。
 シュラミス・セドウィック・パーシバルは妹ショシャナを祖父の前に押し出した。

「最初にこの子の話を聞いてあげて下さい。」

 そして彼女はローガンの腕を掴んで空いているテーブルへ退いた。残されたショシャナは赤くなって立っていた。ハイネが向かいの椅子を指した。

「座りなさい、ショシャナ。」

 祖父が彼女を姉と間違えなかったので、ショシャナは微笑んだ。彼女は素直に腰を下ろすと彼に言った。

「私、ミュージシャンになりたいんです。ピアノが弾けるの。でも母は反対するんです。世の中にはもっと才能のある演奏者が大勢いて、私がプロとしてやって行くのは無理だって。局長はギターの名手だって聞きました。どうか母を説得して頂けませんか?」
「反対しているのはキーラなのか? ヘンリーは何と言っている?」
「父は私の好きな道を進むと良いって・・・音楽家として成功するかしないかは、その時になってみないとわからないって。」

 ハイネは子供達の母親に視線を向けた。ドーマーは養育棟で育てられる間に職業への適性を見極められて専門教育を受ける。ドームの中の職業は職種が限られていて、子供達に職業選択の自由はあまりない。ハイネ自身生まれる前から職業と地位が決められてしまっていた。キーラ・セドウィックはドーマーに採用する子供を選択する仕事をしていた。さらに言えば、執政官は子供を親に育てさせるか養子に出して女の子と取り替えるかを選択するのだ。彼女は子供の将来を決める仕事をしてきたのだ。
 しかし・・・
 ハイネは孫娘に言った。

「君の母親は、その母親から遺伝子学者になるよう教育されたが、反発して警察官になった。知っているかね?」

 ショシャナが目を見張った。

「お母さんは警察官だったの? 初めて聞いたわっ!」
「彼女は警察官として地球へ来て、私と出会った。そして気が変わって産科医の資格を取って再び地球へ来た。彼女は好きな道を選んで来た。」

 ショシャナの目が輝いた。彼女は立ち上がるとハイネの前に屈み、祖父の頬にキスをした。

「有難う、局長。私、頑張ってピアニストになります。」

 そしてもう一度彼にキスをした。

「愛してるわ、お祖父ちゃん。」

訪問者 2 1 - 9

 椅子に座ったハイネが帽子を取った。真っ白な髪と整った顔が現れた。フーッと息を吐いて、隣のテーブルのケンウッドを振り返り、苦笑した。

「今日のインタビュアーは手強くて、カメラを抱えて追いかけて来たんですよ。」
「それは恐ろしいなぁ。」

 ケンウッドも思わず笑った。ヘンリー・パーシバルが額の汗を手で拭いながら、ケンタロウももう直ぐ来るよと言った。ショシャナが顔を上気させた。彼女がヤマザキのファンであることは、数年前からケンウッドは知っていた。50歳以上も年上の小父さんが彼女は大好きなのだ。ヤマザキが多くの美女達と浮名を流したプレイボーイだと知ったら、どれだけショックを受けることだろう。
 シュラミスが弟ローガンをせっついてハイネの前に進み出た。

「初めまして、局長。シュラミスです。こちらは弟のローガン。」
「あっ、狡い!」

 ショシャナも慌てて祖父の前に立った。

「ショシャナです。宜しく!」

 双子が同時に握手を求めて手を出した。コロニー人から地球人に握手を求めるのは地球人保護法に抵触する恐れがあるのだが、子供達は気にしない。ハイネは一瞬、誰? と言いたげな顔をして、ケンウッドを不安にさせたが、直ぐに3人の少年少女が何者か悟った。キーラを振り返り、

「君の子供達か?」
「そうよ。」

 ヘンリーを見て、

「貴方の子供達ですね?」
「当たり前だろう。」

 最後にケンウッドを見て、

「私の孫ですか?」
「そうだよ、ハイネ。」

 ローガン・ハイネは立ち上がり、子供達の前に立った。そして、いきなり3人一緒に抱き締めた。

「ようこそ地球へ。私が遺伝子管理局長ローガン・ハイネだ。」

 そこへバタバタと音を立ててロングドレスの微妙な美女が駆け込んで来た。

「わりぃ、わりぃ、ちょっと観光客のグループに捕まってしまって・・・あれ? 局長はまだか?」

 ヤマザキには3人の長身の少年少女に囲まれたローガン・ハイネが見えなかった。

訪問者 2 1 - 8

「ニコ、こっち! こっち!」

 誰かがケンウッドをファーストネームで呼んだ。呼ばれるまま、ケンウッドはホットサンドウィッチの屋台の裏側へ入った。そこには出産管理区のアイダ・サヤカとシンディ・ランバートが珍しく2人揃ってエプロン姿で店を仕切っていた。部下の男性ドーマー4名もエプロンを着けてパンを焼き、表面をトロトロに焼き溶かしたチーズと薄切り肉の焼いたのをトマトとピクルスと共に挟んで販売していた。テントの裏に、思いがけない顔を見つけてケンウッドは立ち竦んだ。

「キーラ! それにローガン、ショシャナ、シュラミス!」
「ニコ小父さん!」

 抱きついて来たのはショシャナだろうか、それともシュラミス? ケンウッドは未だに双子の区別がつかない。否、彼等は三つ子なのだが、女の子2人が一卵性双生児なのに対して男の子のローガンだけは違う卵子から生まれた。
 キーラ・セドウィックはサングラスをかけて顔を隠していた。勿論マスコミ対策だ。アイダがニコニコしながらそばに来た。

「驚いたでしょう? 貴方をびっくりさせようと内緒にしていたのよ。」
「狡いなぁ・・・出産管理区は知っていたのかい?」

 ドーマー達が笑いながら頷いた。彼等はキーラが現役時代に取り上げた子供達で、成人する頃にはキーラは既に退職して地球から去っていたのだが、しっかり「ママ」を覚えていた。双子の一人はランバートのそばにいて、どうやら母親の弟子が気に入ったみたいだ。男の子のローガンはちょっと大人しい。コロニーで会った時はやんちゃな少年だったが落ち着いて来たのか、それともドーマー達に囲まれて緊張しているのか。
 ケンウッドは一家のメンバーが一人足りないことに気が付いた。

「ヘンリーは来ていないのかい?」

すると娘の一人が答えた。

「お父さんはケンタロウと局長を探しに行ったの。」
「そうなのか・・・ええっと、君は・・・」
「シュリーよ。」

 つまり、シュラミスだ。ケンウッドはショシャナをちらりと見て、彼女達の髪型の微妙な違いを頭に刻み込んだ。

「君達は地球は初めてだったね。ケンタロウはともかく、お祖父さんには初対面か。」
「そうなの。だから、ローガンが緊張しまくり。」
「男として合格点をもらえるか不安なのね。」

 シュラミスとショシャナがからかい、ローガンは頬を赤くして姉妹を睨んだ。
 ケンウッドの前にアイダが熱々のホットサンドウィッチとコーヒーを運んできた。

「お昼になったらこの店も戦争状態になりますから、今のうちに召し上がって。」
「有り難う。」

 時計を見ると11時25分だった。そろそろハイネが本部を出てインタビューを受ける頃合いだ。ケンウッドは椅子に腰を下ろした。パーシバル・セドウィック一家が彼を取り囲んで座った。子供達は成人する折に二親の姓の好きな方を選べる。未成年の内はセドウィック・パーシバルと姓が長い。
 ケンウッドはサンドウィッチにかぶりついた。熱いチーズが美味しい。

「出産管理区はピッツァを伝統的に販売していたのじゃなかったかね?」
「それが某テレビ局にバレたので、今年は趣向を変えたんですって。」
「ローガン・ハイネが必ず現れる店ってマークされたのよ。」
「だから、今年のピッツァの店は図書館と被服班が競い合っているわ。お客は局長が来ることを期待してピッツァの店に集まるから。」

 女性達が賑やかに解説してくれた。そこへいきなりヘンリー・パーシバルが帽子を目深に被った長身の男の手を引いて駆け込んで来た。

「サヤカ、パラソル席は空いてるかい?」
「タープで隠れたテーブルがあるわよ。」
 
 キーラ・セドウィックは慣れたもので、斜めに張られたタープの端を持ち上げ、帽子の男を呼んだ。

「局長、さっさと隠れて!」



訪問者 2 1 - 7

 大方のドーム住人達が朝食を終える午前9時に、ケンウッドは一般食堂前の噴水広場特設ステージで春分祭開催の挨拶をした。祭の始まりだ。ドームのゲートから待ちかねた宇宙からの観光客がドッと押し寄せてきた。食堂は閉じられ、出産管理区が見えるガラス窓は不可視モードになって地球人女性のプライバシーを保護する。ドーマーや女性執政官達が飲食物を販売する屋台をオープンした。食堂以外の場所で飲食出来る貴重な日だ。女装した男性執政官達が施設内を徘徊し、観光客の求めに応じて記念写真を一緒に撮る。ドーマー達も見物人の筈なのだが、観光客達は前年度の祭の取材番組で見かけたお目当のハンサムなドーマーを発見しては追いかけ、サインを求めたり映像を撮影する許可を求める。
 ケンウッドは早々に火星コロニーのテレビ局3社と木星コロニーの4社、月の2社に宇宙連邦行政府の広報テレビ局のインタビューを受けた。女性誕生の鍵を発見した功績が既に連邦内に拡散されている。まだ本当にプログラムの修正が行われている訳でもないのに、もう人々は地球人が宇宙連邦に復帰出来るのは何時のことかと知りたがっているのだ。

「発見した内容が正しいと証明されるのは1世代待たねばなりません。どうか、この騒ぎはまだ時期尚早であるとご理解下さい。」

 ケンウッドは、何故月の本部が前もってメディアに予防線を貼ってくれなかったのだろうと恨めしく思った。ベルトリッチ委員長は多忙だが、気配りが出来る人だ。これはきっと収入増加を狙った財務局の陰謀に違いない。メディア各社はケンウッドや他のドーム長官のインタビューを許可してもらうのにお金を払うのだ。その額はドーマーを見るために観光客が払うドーム入場料とは比べ物にならない程高額だ。
 祭が開始されて1時間も経つとケンウッドは疲れてしまった。女装したモデルの性格や人生に合わせて観光客相手にゲームに興じる他の執政官達が羨ましい。
 くたびれたケンウッドのハイジが庭園端っこのベンチに腰を下ろすと、早速観光客らしい女性が2人近づいて来た。

「ケンウッド長官ですね?」
「ええ、そうです。」
「サインと握手をして頂いてよろしいですか?」

 彼女達は無邪気に彼と握手して写真を撮った。一人が彼に尋ねた。

「ポール・レイン・ドーマーを探しているのですが、見当たりません。彼は外に出かけているのですか?」
「いいえ、今日はドーマー達は休日です。アパートに引っ込んでいるのでしょう。」
「あら・・・彼は毎年出てきてくれていたのに。」

 今年レインは出てこない。セイヤーズを取り戻したので、アナトリー・ギルやファンクラブに引っ張り回されて祭会場を歩き回ることはないのだ。セイヤーズと2人でアパートでテレビでも見ているのだろう。
 もう一人は、ローガン・ハイネはどこにいるのかと尋ねた。

「ハイネ局長は昼になれば現れますよ。」

とケンウッドは親友を「売った」。ハイネは昼前に日課を終えて昼食を摂りに出て来る。必ず遺伝子管理局本部から出て来る。彼の習慣を知っているテレビ局は大概本部前で待機して彼を撮影してインタビューするのだ。ハイネは職業柄インタビューに慣れている。それに彼のインタビューも地球人類復活委員会の収入源の一つだから、彼もそれを弁えていて、大人しく応じるのだ。しかし、インタビュアーがしつこいと、突然走り出して逃げ去る。宇宙で中継を見ている視聴者は毎年ハイネが何時走り出すかとドキドキしながらテレビを見るのだ。
 ケンウッドは会場マップを端末に出した。チーズを扱う食べ物の屋台の位置を探し、そこへ向かった。

2019年4月27日土曜日

訪問者 2 1 - 6

 地球各地のドーム長官達は1日でも早くマザーコンピューターのデータ書き換えを行いたかった。しかし月の地球人類復活委員会が最終検証を終える迄は何も出来ない。そして、書き換え実行の前に、彼等はもう一つの難題をクリアしなければならなかった。

春分祭である。

 ケンウッドは首をきっちりと立襟で隠し、全身にフィトしたロングドレスを着て、お堅い引っ詰めのヘアスタイルをしたヤマザキ・ケンタロウを見つめた。

「誰なんだ、今年の君の扮装のモデルは? 着物姿でない君の扮装は初めてだが・・・」
「荻野吟子だよ。」
「オギノ・ギンコ?」
「日本で最初の公許女性医師だ。彼女以前にも女性医師は日本にいたのだが、1885年に国家試験を受けて免許をもらった最初の女性だ。」

 ヤマザキはスカート姿のケンウッドを眺めた。

「そのスイス的な服装から判断するに、君はハイジだな?」
「わかってもらえて嬉しいよ。山羊を連れて来る訳にも行かないからね。」

 朝食を取りながらテレビ取材を受ける際の応答の文例を確認しているケンウッドを、ハイネ局長が面白そうに眺めていた。ヤマザキは化粧をするとそれなりに女性らしく見えるのだが、ケンウッドは顔の骨格がどうしても男性そのもので、女装すると他人の笑いを誘ってしまう。いっそ男装で有名な女性になりたいのだが、歴史上の有名人で男装をしていた女性は余りにも少なかった。毎年ジャンヌ・ダルクやオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェばかりになる訳に行かない。オスカルは架空の人物だが、有名な漫画の主人公なので、仮装大会のモデルとしては「有り」なのだ。数少ない男装の麗人は毎年競争率が激しく、一つの祭に同じ人物に扮するのは2人迄と決められている。それに、男装の麗人は女性なのだから、服装が男性の物でも顔はやはり女性にならなくては話にならない。
 ケンウッドとヤマザキはハイネをチラリと見た。歳を取ってもまだローガン・ハイネは美しい。化粧させれば絶対に美女になるのだが、彼はドーマーで女装する義務はない。

「ハイネ、今日は私服で良い筈だろ? 遺伝子管理局も厨房も、ドーマー達は出産管理区を除いて休日だ。」
「毎年同じ質問をされますが、お忘れですか? 私の仕事は休日などないのです。」

 ハイネは午前中の日課だけするので、きちんとスーツを着ていた。午後になれば私服に着替えるのが、春分祭の彼のルールだ。

「秘書も仕事かい?」
「秘書達は休みです。」

 真面目なボスは最後のパンケーキのかけらを口に入れた。

「でも、部下達の数名は仕事をするつもりです。観光客に追いかけ回されるのは御免なのでしょう。」

 春分祭には地球人類復活委員会の資金集めの為に、コロニーから大勢の観光客が来る。彼等は地球観光と共にドーマー達を見に来るのだ。容姿に優れ、筋力のある才能溢れる地球人は、コロニー人の憧れだった。中には自分や親族が提供した卵子から生まれた子孫を探しに来る人もいた。


訪問者 2 1 - 5

 セイヤーズは15分後に現れた。入室するなり、客人の存在に気が付いた。秘書のネピアが誘導する間も無く、彼は部屋の中に足を進めた。ハイネはネピアが怖い目でセイヤーズを睨むのを目撃したが、無視した。

「お久しぶりです、マリノフスキー局長。」

 セイヤーズが挨拶すると、マリノフスキー西ユーラシア・ドーム遺伝子管理局長はニッコリと笑顔を見せた。

「セイヤーズ、元気そうだな。忙しい毎日を過ごしているそうじゃないか。」
「おかげさまで・・・その節は大変なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

 18年前セイヤーズは脱走した時、西ユーラシア・ドームの所属だった。マリノフスキーの部下だったのだ。当時のアメリカ・ドームの長官リンがポール・レイン・ドーマーを我が物とする為に、彼を西ユーラシアへ飛ばしたのだが、マリノフスキーはその辺りの事情をハイネからそれとなく聞かされていたので、気の毒な若いドーマーをいろいろと気遣ってくれた。気晴らしの里帰りのつもりで彼にアメリカ出張を命じたのもマリノフスキーだ。それなのに、若者は脱走して、恩を仇で返した状態になってしまった。リン長官は彼を逃がした責めを負って更迭された。マリノフスキーも無事ではなかったはずだが、セイヤーズは西ユーラシア・ドームで何があったのか一切聞かされていない。
 マリノフスキーはニコニコと丸い顔を更に柔和にして見せた。

「過去のことはもう言いっこ無しだ、セイヤーズ。地球人がしたことに執政官が責めを負う場合、地球人には咎はないのだよ。」
「しかし・・・」
「今日は新規プログラムの構築の件でお邪魔している。それに、ラムゼイ博士のクローンの多くは中央ユーラシアとアフリカに住んでいるからね。先日君はラムゼイのジェネシスを保護したそうじゃないか。彼女の遺伝子情報が手に入って、大いに助かっているよ。」

 セイヤーズは優しい上司達に恵まれて幸せだと感じた。

「君の恋人は大変な美男子だそうだね。」

 マリノフスキーの言葉に、ハイネが反応した。

「今、『飽和』を終えて『通過』の真っ最中だよ。」
「それは残念だな。執政官の精神状態を不安定にさせ、ドーマーを暴走させる程の美貌を見てみたかったが、諦めるとするか。やつれた姿は見られたくないだろうからな。」

 マリノフスキーはカラカラと笑った。
 このドーマーの進化型1級遺伝子は、事故などで食糧補給が断たれた場合の宇宙船乗りの生命維持能力を高めたものだ。つまり、皮下脂肪をしっかり蓄えて1週間は食べなくても生きていける、と言うものだが、地球では無駄な遺伝子情報だった。人口が減った分、食糧は足りている。だから、マリノフスキーは無駄に太っているのだ。まずやつれたことはないだろう・・・。

「兎に角、セイヤーズの元気な姿を見て安心した。」
「相変わらず、やんちゃな男でね、年中何か騒ぎを起こしているよ。西ユーラシアはアメリカに彼を返却して正解だったと思うはずだ。」

 ハイネの言葉にセイヤーズは赤面した。確かに、執政官達からトラブルメーカーとして見なされていることは確かだ。
 マリノフスキーはニヤリとした。

「しかし、当方のシベリア分室が厄介払いしたアレクサンドル・キエフをドームそのものから追い払ったのも、セイヤーズだろう?」
「ああ、他のドーマーや執政官にも危害が及ぶ恐れがあったからね。キエフは精神疾患の遺伝子は持っていなかったが、後天的に壊れてしまったな。」
「あの男は異常に嫉妬深かった。養育係のコロニー人も手に余していたのだ。外へ出しても問題を起こしていただろう。何時か何処かで片を付けねばならなかった。死なせずに処理出来て良かったよ。」

 ハイネ局長はセイヤーズに向かって、客人に何か尋ねたいことはあるか、と聞いた。
それでセイヤーズは西ユーラシア時代に世話になったあちらの遺伝子管理局の仲間の近況を尋ねて、彼等によろしくと伝えて下さい、とマリノフスキー局長に頼んだ。
 そして改めて客人に挨拶をすると、オフィスに戻った。
 セイヤーズが局長執務室を出て行くと、マリノフスキーがハイネに尋ねた。

「地球人が復活したら、コロニー人は地球から出ていくと思うかね、ハイネ?」
「ドーム事業はコロニーの金を食うからなぁ・・・きっと彼等は喜んで引き揚げて行くさ。」
「だが、地球には彼等が欲しい資源がまだあるからな・・・これからも連中の不要な遺伝子を地上に残して行くだろうよ。ドームがなくなった時、進化型は野放しになる・・・」


訪問者 2 1 - 4

 ケンウッドとターナーがシェイを市内の公園に連れて行き、暫しの休日を楽しんでいる頃、ドームでは遺伝子管理局が客を迎えていた。西ユーラシア遺伝子管理局長ミヒャエル・マリノフスキー・ドーマーだった。年齢はハイネ局長と同じ100歳。進化型1級遺伝子の保有者だ。ハイネと違って若い頃から自由にドームを出入りしていたので、外の世界は十分知っている。彼の遺伝子は飢餓に備えて細胞に栄養を溜め込むと言うものだ。だからこの男は若い頃からでっぷりと太っている。太る必要がないのに細胞が脂肪分を溜め込むのだ。食事制限をすると悪循環になるので、西ユーラシア・ドームの執政官達は彼の健康維持に常に神経を尖らせている。この日のアメリカ出張にも栄養士の付き添いがいた。
 丸い顔、真っ白な髪、これは年齢によって白髪になったので、ハイネの白髪が生まれつきなのとは違う。優しい光を放つ青い目は細く、いつも笑っているように見える。
 ハイネはこの滅多に会えない友人が大好きで、仕事の話を早々に終わらせ、雑談で時間を過ごした。それから、ふとあることを思い出した。

「そうだ、ミーシャ、ダリル・セイヤーズ・ドーマー脱走の折には迷惑をかけたな。」
「その話はもう過去に終わったじゃないか。気にするなよ。」
「否、私ではなく、セイヤーズ自身が君に会って謝罪したいと言っているのだ。」

 ハイネは秘書の方へ、誰にともなく声をかけた。

「セイヤーズをここへ呼んでくれないか。」

 ネピア・ドーマーはセイヤーズを好ましく思っていなかったが、仕事だ、素早く反応した。直ぐにセイヤーズの端末にメッセを送った。
 マリノフスキーがハイネに尋ねた。

「セイヤーズは外で子供を作ったそうだね。」
「うん。クローンだが、男性2人の遺伝子を掛け合わせているんだ。」
「ラムジー博士ならやりそうな暴挙だな。古代人も蘇らせていたし。」
「パーカーにも会うかね?」
「否、止めておこう。普通にここの職員として働いているのだろう? 特別な存在扱いはよくないよ。」

 生まれてから特別扱いされてきた2人の男は苦笑し合った。

訪問者 2 1 - 3

 ケンウッドは久し振りにドームの外に出た。同行するのはドーム維持班総代表のジョアン・ターナー・ドーマーとドーム空港総合支配人で珍しい女性の元ドーマー、キャロル・ダンストだ。そしてちょっと不安げな表情のシェイ。
 ケンウッドとシェイはこの日が初対面だった。ケンウッドは彼女の遺伝子情報はこの数日たっぷりと見て来たが、本人に会うのは初めてで、ちょっと不思議な感じがした。シェイは、ジェリー・パーカーによれば少し痩せたと言う話だが、ちょっと小太りの体型で、丸顔で、お世辞にも美女とは言えない造作だ。しかし鼻も口元も形は整っていて、もっとシェイプアップすれば美人になるかも知れない。目は小さなめだが、その輝きは知性豊かな人であることを彼に伝えていた。他人の話から彼女が凡庸な人だと言う印象を抱いていたケンウッドは、大きな間違いだったと内心反省した。この女性は男ばかりの狭い世界で身を守る為に幼い頃から凡庸を装って来たのだ。本当は利口で賢いのだ。だから、ラムゼイが亡くなった後数ヶ月も運転手の男と2人きりで、男女関係になりもせず、運転手を部下として廃村で小さな食堂を経営して生き抜いたのだ。
 彼女はドームの外で暮らさなければならない理由を理解してくれた。ジェリー・パーカーと離れて暮らすことも受け容れてくれた。

「ジェリーと私、ずっと守って頂けるのでしたら、どんな仕事でも致しますよ。」
「貴女に無理なことをさせたりしません。空港で働く人々に美味しい食事を作って頂けると嬉しいです。」

 ダンストが彼女を新しい職場へ連れて行き、新しい同僚達に紹介した。料理人は男ばかりだったが、シェイは恐れもせずにいきなり設備の点検と調理器具や食材の保管庫をチェックし始めて、ケンウッドとターナーを苦笑させた。既に彼女の仕事ぶりを確認していた寮食堂代表はびっくりしている部下達に、彼女は中西部の牧場でカウボーイ相手に料理長をしていた人だと紹介して、新しいチーフになると宣言した。これにはケンウッド、ターナー、それにダンストも驚いた。寮食堂代表が勝手に決めたのだ。彼は上司達を振り返って言った。

「女性を仲間に入れるのですから、彼女の位置をしっかり決めておかなければなりません。昨日の彼女の仕事を見れば、彼女が料理長の器であることは誰でもわかりますよ。そんな人を新入りの下っ端に出来ませんし、普通の調理師では揉め事のタネになります。彼女は自分の主張を曲げません、そんな人です。だから、私の上司になってもらいます。」

 ケンウッドは思わず彼の手を取って大きく振った。

「君は人間を見る目を持っているのだね! シェイをよろしく頼む。彼女の身の上は昨日副長官が語ったと思うが・・・」

 寮食堂代表は彼に最後まで言わせなかった。

「ドームには秘密が多い、私は墓場まで彼女の秘密を持って行きます。」

 ケンウッドは彼も元ドーマーだったと思い出して、笑みをこぼした。
 1時間後に、彼等は空港から車で20分ほど走った距離にある高層住宅の建物に移動した。シェイは高所恐怖症だと聞いていたので、ターナー・ドーマーがそのビルの近所の空き部屋がある建物へ行く目印にしたのであって、そのビル自体は目的地ではなかった。シェイは初めて高層ビルを見て、ケンウッドに「倒れて来ない?」と尋ねて苦笑させた。
 シェイが借りる予定の部屋は3階建のアパートの2階と3階が繋がったメゾネット方式の部屋だった。地上階は商店が入っており、食料品店や薬局、診療所などが並んでいた。
一人暮らしには十分の広さの部屋に、シェイは心細そうな顔をした。物心着いてからずっと大勢の男達と暮らしてきたからだ。ケンウッドはゴーン副長官と話し合ったアイデアを彼女に伝えた。

「君の生活が安定してきたら、パーカーやJJにも外出許可を与えてここへ遊びに寄越すようにする。ダンスト君も度々様子を見に来るそうだから、君の好みの生活をしなさい。ただし・・・」

 彼は彼女の目を見て言った。

「絶対にドームの許可なしに男性を中に入れてはいけない。君の安全を守る為の忠告だ。通勤も必ず空港職員専用のバスを利用しなさい。仕事以外の外出は、慣れるまでは必ず職場の人と出かけること。一人で出かけるのは、君がこの街に慣れてからだ。いいね?」

 シェイは頷いた。

「わかりました、長官。私、空港の建物の外には出ません。だって、空港ビルだけでも迷子になりそうだもの。」

訪問者 2 1 - 2

 その夜の一般食堂と中央研究所の食堂の夕食は、ちょっと普段と違った趣の料理だった。カリカリに焼かれたベーコンに、その脂が流れ出したフライパンで焼かれた卵、表面がカリカリで中がフワフワのトウモロコシのパン、豆と挽肉、みじん切りにした野菜を煮込んだスパイシーなチリコンカン、スライスした玉葱をどっさり載っけた新鮮なトマト・・・

「西部劇の朝飯だな。」

とヤマザキ・ケンタロウが評価した。

「しかし、やたらと美味いぞ。」

 ハイネが自分のトウモロコシパンをヤマザキの手が届かない位置に移動させた。取られたくないのだ。ケンウッドもこの素朴なメニューに、まだ一度も訪れたことがない中西部の街を想像した。

「シェイの監修でオブライアン・ドーマーが作ったのだよ。突然のメニュー変更で、今日はこれだけしか作れなかったが、食材の調達が出来れば彼女はもっと多くの種類を作れるそうだ。」
「美味しいです。」

とハイネが素直に認めた。

「ドームの外に彼女を出すのが惜しいですよ。」
「どうしても外に出すのかい?」

 ヤマザキも不満気にケンウッドを見た。ケンウッドは肩を竦めた。

「地球人類復活委員会の規則で、ドームの中で暮らせるのは委員会が認めたコロニー人とドーマーだけと決められているからね。シェイはどちらにも当てはまらない。」
「パーカーはここに居るじゃないか。」
「彼は古代人で地球人復活の重要な鍵を持っている。特例でドームに居るのだ。それにドームから彼を出すのは、彼を火星の人類歴史博物館に戻すと言うことになるからね。彼を地球に留めておくには、ドームで暮らすしかないのだ。」

 そこへドーム維持班総代表のジョアン・ターナー・ドーマーがやって来た。まだ40代中盤の彼は大先輩の遺伝子管理局長に挨拶をして、それから長官と医療区長にも挨拶した。口煩い執政官なら順番が違うだろうと文句をつけたろうが、ケンウッドもヤマザキも気にしなかった。

「今夜のお食事は如何でしたか?」
「美味しかった。」
「不意に指図されて考えたメニューとは思えない程、まとまりの良い構成で、味も素晴らしかったよ。」
「全てシェイが一人で立てたメニューです。彼女にお褒めの言葉を伝えておきましょう。」

 ハイネが尋ねた。

「維持班は彼女を雇うのかね?」
「大好評なので、手放したくありませんが・・・」

 ターナー・ドーマーは苦笑した。

「一緒に彼女の仕事ぶりを見た寮食堂の代表が、彼女が働くことを承知しました。正式に雇用したいとのことです。ただあちらの従業員は皆通いですから、彼女には空港ビルに近い場所に部屋を借りることにしました。パーカーをドームの外に出せないので、彼女は送迎フロアの面会室で彼に会えることにしました。」 

2019年4月25日木曜日

訪問者 2 1 - 1

 ラムゼイのジェネシスを務めた女性、シェイは遺伝子検査を受ける期間ドームに留め置かれることになった。彼女の遺伝子を分析して、成人登録申請を出してくる若者達の中からラムゼイが作ったクローンを探すのだ。
 シェイに研究への協力を説得してくれたのは、ジェリー・パーカーだった。シェイに育ての親であるラムゼイ博士の最期を優しく説明して、その酷い死を想像させない様に気を遣ってくれた。実際、パーカーは彼女を悲しませたくなかった。それに彼自身もその場面を目撃した訳ではない。シェイも一緒に隠れていた運転手の男が街で集めた情報でラムゼイ博士が突然亡くなったことは知っていた。彼女は博士を懐かしんだが、悲嘆に暮れることなく、「これからの人生だけを考えよう」と言うパーカーの言葉に頷いた。
 シェイは世間から隔離されて育ち、一般常識をあまりよく知らない、とパーカーは執政官に語っていたが、実際の彼女は普通の人だった。ドームの中の世界しか知らなくてもドーマーが常識を持っている様に、シェイも人としての付き合い方やマナーや思いやりを知っていた。彼女が知らないのは、他人との利害の交渉術だ。損する得をすると言った概念を彼女は持っていなかったのだ。だから外の世界で独力で生きていくのは難しいと思われた。
 ゴーン副長官は執政官会議で、シェイが研究協力者としての役目を終えた後の身の振り方を考えて欲しいと提案した。

「大らかで、子供の様にピュアな心を持った中年の女性です。ドームの外に放り出せば、忽ち邪な男達の餌食になってしまうでしょう。彼女が安全に、かつ能力を発揮出来る職場はないでしょうか?」

 すると女性執政官から質問が出た。

「彼女の得意分野は何なのですか?」

 ゴーンは少し躊躇ってから答えた。

「彼女は何が得意なのか自分でもわかっていないのですが、ラムゼイの家では長い歳月を台所仕事や家事の取り仕切りをしていたそうです。昔で言うところの、家政ですね。」

 執政官達が微かにざわついた。家事一切は維持班のドーマーの仕事で、その仕事をしているのは男性だけだ。女性ドーマーは誰もが出産管理区やクローン製造部、研究助手と言った科学的、医学的専門職に就いている。

「ラムゼイの家でも殆どの労働者は男性だったのでしょうね?」
「ええ、女性はJJ・ベーリングが加わる迄は彼女一人だけだったそうです。」
「では、彼女は厨房班で働くことになっても大丈夫でしょうか?」
「ちょっと待って!」

 別の執政官が声を上げた。

「ドームの中で働くのは、ドームで生まれ育ったドーマーとコロニー人だけと言う規則があります。古代人のジェリー・パーカーは例外ですが、シェイと言う女性はコロニーから売られて地球人として外で育った人です。規則で許可された労働者の基準が適用されるでしょうか?」
「固いことを仰るのね?」
「固いとは思いません。シェイは外の人ですよ。ドームの中で残りの生涯を過ごすより、外で自由に暮らした方が幸せでしょう? 地球の為に一生を働いて過ごすドーマーと人生の考え方は違う筈です。」

 執政官達は誰彼となく、会議の出席者で唯一人の地球人でドーマーのハイネ局長を見た。ケンウッドがハイネに声を掛けた。

「局長、君はシェイをドームに残すべきだと思うかね? それとも外に戻す方が良いのだろうか?」

 ハイネは珍しく居眠りをせずに議論の行方を見守っていたが、自身に意見を求められて少し困った表情をした。地球人ではないがコロニー人とも言えないシェイの将来について考えていなかったのだ。彼自身はまだシェイに面会すらしていない。彼は逆に副長官に尋ねた。

「パーカーはシェイが近くに居ると落ち着くのでしょうか?」
「勿論です。」

とゴーンは即答した。

「彼等は姉弟の様な間柄です。パーカーはラムゼイが殺害されたと聞かされた時、彼女も生きていないだろうと思い、絶望していました。ドームでの生活に慣れてきてもどこか投げ遣りな態度でした。でも彼女が無事に保護されてドームに収容されると、彼は活き活きし始め、表情も豊かになりました。彼女が近くに居ると安心出来る様です。」
「彼等は恋愛関係ではないのですか?」
「それは違います。パーカーも否定しています。彼等は物心ついた時からずっと一緒に暮らしてきた姉弟なのです。」
「では、シェイの方はどうですか? 彼女もパーカーと一緒に居ると落ち着いていますか?」

 するとゴーンはちょっと複雑な笑みを浮かべた。

「男女の違いかも知れませんが、シェイはパーカーが元気に暮らしていると知ると安心していました。ですが、四六時中べったりとくっついて過ごすつもりはない様ですわ。」

 その時、クローン製造部のメイ・カーティスが発言を求めた。日頃は大人しく自分から意見を言う人ではなかったので、ケンウッドは少し驚きながら発言を許可した。カーティスは長官に礼を言ってから、彼女の考えを述べた。

「シェイはずっと厨房で働いていたと言っていましたね? 彼女は一箇所に腰を落ち着け、パーカーは方々に仕事で出歩いていました。シェイは彼が元気であるとわかっているから、彼が遠くに出かけても、姿を見せなくても平気だったのでしょう。
パーカーは彼女が何処に居るかわかっていて、彼女がそこから動かないと承知しているから平気で出かけていた、そうではありませんか?
 ドームの外でも何処か近くで彼女が住んで働いていれば、パーカーは安心すると思うのです。」

 するとまた意外な人物が発言を求め、ケンウッドはまた驚いた。

「ゴメス少佐、君も意見があるのかね?」
「僭越ながら・・・」

 保安課の課長はドーマーの代表であるハイネ局長に尋ねた。

「局長、ドーム空港の航空班の寮に空港保安員も寝泊まりしていますな?」
「そうですが・・・」
「私は時々ドーマーではない彼等にも武術指導を行うのですが、彼等から聞いた話で最近航空班寮の食堂の調理師に欠員が出て厨房が大忙しなのだそうですよ。」
「そうですか・・・」

 ハイネはまた困惑した。航空班は遺伝子管理局と密接な業務関係にあるが、寮の管理は維持班の仕事だ。一般人を雇用している食堂の従業員の欠員など遺伝子管理局の関知するところではない。
 ケンウッドはゴメス少佐が言いたいことを察した。

「ドーム空港の航空班寮の厨房にシェイを雇えないか、と提案しているのだね、少佐?」



2019年4月23日火曜日

誘拐 2 4 - 9

 その夜遅く、ケンウッドはアパートの自室でハイネ局長からメールを受け取った。ハイネはセイヤーズの報告書を転送して来たのだ。それでケンウッドは眠前の読書として報告書を読んだ。
 セイヤーズの報告書は詳細だったがわかりやすい文章だった。セント・アイブス・メディカル・カレッジ・タウンの警察からシェイの行方に関する情報をもらって、局長の許可を取り付けて女性を迎えに行ったこと、現地でFOKの幹部ニコライ・グリソムと遭遇し、撃ち合いになったこと、向こうが自動小銃を出して来たので、鏡の反射を使って光線銃を撃ったら、光線がカウンターの上にあったガラス容器に当たって乱反射して、グリソムが光線に当たり、指が銃の引き金を引いたまま動かなくなったこと、その時に銃弾の破片が室内を飛び回ってセイヤーズの脚に当たったこと、グリソムは外に逃げ出したが、上空に来ていた静音ヘリのパイロット、マイケル・ゴールドスミスに見つけられて捕まったこと、ゴールドスミスがセイヤーズの傷の応急処置をしたこと、そして彼が奥の食品庫に閉じ込められていたシェイを発見して保護したこと、最後に出張所のリュック・ニュカネンが救護班を連れてローズタウン支局のヘリで援護に到着したこと、等など。
 ケンウッドは小説を読んでいる気分で報告書を読み終えた。医療区から届いたセイヤーズの診断書では、右ふくらはぎを弾丸の破片で裂かれ、出血が多かったが救護班の応急手術で大事なく済んだ、とあった。つまり、救護班の到着が遅れればセイヤーズの生命は危険だったのだ。
 画面を閉じてケンウッドは溜め息をついた。ベッドから出てキッチンに行き、冷たい水を飲んだ。
 どんなに閉じ込めても子供達は外へ出て行く。危険から遠ざけようと執政官が努力してもドーマー達は気にも留めずに冒険に挑む。

 それが人間じゃないか。我々コロニー人だって、昔は危険に満ちた宇宙へ飛び立った人々の子孫なんだ。

 ケンウッドはハイネ局長が毎日どんな思いで外に出かけて行く部下を見送り、帰りを待っているのか、想像出来た。
 ゴーン副長官からメールが来た。内容は短く、シェイが観察棟で充てがわれた部屋に満足して就寝した、とあった。
 明日は彼女の今後の処遇を決めなければならない。ケンウッドは執政官幹部会議の招集メールを送った。

2019年4月22日月曜日

誘拐 2 4 - 8

 クロエル・ドーマーは、養母のラナ・ゴーン副長官からダリル・セイヤーズ・ドーマーの様子を見に行ってくれないかと言われた。彼女とセイヤーズの交際を知っている彼は少し興味を持って尋ねた。

「セイヤーズに何かあったんすか?」

 ゴーンは真面目に答えた。

「ラムゼイのジェネシスが見つかったので彼は迎えに行ったのだけど、そこでFOKのメンバーと鉢合わせして銃撃戦になったのよ。FOKは逮捕出来たけれど、セイヤーズも流れ弾で怪我をして、歩けないの。」
「そんじゃ、入院してるんすね?」
「いいえ、アパートに帰ったのよ。だから様子を見てきて欲しいの。きっと夕ご飯がまだだわ。」
「アパートに一人っすか? 歩けないのに?」
「車椅子で移動出来るわよ。それに自室では物に掴まって動けるでしょう。でも不便だと思うの。」

 それならおっかさんが行けば良いのに、とクロエルがからかおうとすると、ゴーンは先手を打って言い訳した。

「私はジェネシスのシェイの世話があるので、これから観察棟へ行きます。ジェリー・パーカーが付き添っているので落ち着いてくれるでしょう。彼女にここでの生活の説明をしなきゃね。」

 それでクロエルは素直に了解と言って、食堂へ出かけた。テイクアウトの料理を買ってセイヤーズのアパートに持って行くつもりだった。一般食堂の入り口近く迄来た時、ケンウッド長官と一人の男が話をしていた。長官の相手をしている男をクロエルは知っていたが、彼がそこにいることにちょっと驚いた。男は航空班の班長で、普段はドームの外の寮にいるからだ。クロエルの耳にケンウッドの声が聞こえた。

「重力がある空中を飛ぶのも危険なのに、ドーマーを悪党の逮捕みたいなもっと危険な行為に関わりを持たせるとは、何事だ!」

 長官は不機嫌だ。一体何を怒っているのだろう、とクロエルは気になって立ち止まった。航空班の班長が反論した。

「しかし、ゴールドスミスが悪党を捕まえるのに加勢したから、遺伝子管理局の男は命拾いをしたのでしょう? 」
「確かに、ゴールドスミスはお手柄だった。立派に戦った。それは私も認めるよ。誇りに思う。しかし、危険な行為はして欲しくないんだ。悪党の逮捕は航空班のパイロットの仕事ではない。逮捕術の訓練も受けていないのだからね。」

 ああ、長官の心配症が始まったのか、とクロエルは心の中で苦笑した。ケンウッド長官はドーマーと外の地球人を分けて考える傾向がある。ドーマーは可愛い子供達で、外の地球人は子供達を傷つけるかも知れない外敵なのだ。
 航空班の班長も長官のこの種のお小言はうんざりする程聞かされてきた。航空機の微小な事故が起きる度にケンウッド長官に呼びつけられるのだ。過保護な執政官にドーマー達はちょっと手を焼いていた。

「わかりました。では、ゴールドスミスには保安課の訓練を受けさせましょう。技術を鍛えれば、危険も少しは減るでしょうから。」

 言い返されて、長官はちょっとたじたじとなった。

「否、私はそう言うことを言っているのではない。パイロットの仕事は戦闘ではないと、それだけ理解してもらえれば良いのだ。」

 班長が首を振った。

「わかりました。ゴールドスミスには身の程を弁えて、余計な仕事はするなと言っておきます。」
「しかし・・・」

 ケンウッドは慌てて付け足した。

「叱っているのではないからね。彼は素晴らしい仕事を成し遂げた。それは褒めているから。」

 クロエルはもう少しで笑うところだった。そして、我等の長官はなんて愛すべき人物なのだろうと思った。

2019年4月21日日曜日

誘拐 2 4 - 7

「レインの様子はどうですか?」

 ダリル・セイヤーズ・ドーマーがハイネ局長に最初に言った言葉がそれだった。任務の報告は後回しだ。ハイネは、「普通に発狂しているよ」と言った。

「飽和した薬剤が体から出ていく迄、彼は正気を保てないからな。今日の昼飯時には、君を捜して緩衝材の床を掘り返そうとしていた。今夜辺り、JJを求めて壁を剥がそうとするんじゃないか?」

 そしてハイネはセイヤーズの脚を眺めた。

「痛むか?」
「少し・・・痛みがある方が治りが早いとかで、あまり強い薬をもらえなかったんです。」
「人間の治癒力に任せると言うことだな。しかし、その程度で済んで良かった。ニュカネンが連絡して来た時は、君が今にも死ぬ様なことを言っていたからな。」
「彼はいつも最悪の事態を考える質で・・・私が撃ち合いをしている時に電話を掛けてきたのですが、その後でローズタウン支局に救護班とヘリの応援要請を出したんです。その時、私はまだ怪我をする前だったのですが・・・」
「彼は用意周到なだけだ。ドーム内では彼のことを堅物とか融通が利かないとか批判する者も多いが、あの堅実さがあるから、出張所を1人で経営出来ているのだ。実際、彼が連れて行った救護班のお陰で君は現場で手術してもらえたのだ。何もせずにドーム迄弾丸を脚に入れたまま帰っていたら、今頃はもっと酷い状態になっていた可能性もある。」
「ええ・・・ニュカネンとローズタウン支局救護班には感謝しています。」
「現場で何があったかは、後日報告書にまとめて提出すれば良い。今日はもうアパートに帰って休め。大人しくしていれば、レインが退院する前に普通に歩けるようになるはずだ。」

 セイヤーズが「わかりました」と答えて車椅子の方向を変えようとした時、ハイネの端末に電話が着信した。局長は画面を見て、発信者の名前を読むと渋い顔をした。

「誰かがケンウッド長官に君の外出を告げ口したらしい。」

 そして電話に出た。セイヤーズは車椅子を止めて、局長が電話で長官のお小言をもらうのを聞いていた。自分が関係した事なので、部屋から出るのは気が引けた。ハイネ局長は「ええ」とか「はい」とか短い返答で長官の責めをいなしていた。声はしおらしいが、表情は平静だ。ローガン・ハイネ・ドーマー程の経験豊かなドーマーは、コロニー人がどんなに怒っても恐くないのだ。
 それに実際の所、ケンウッド長官はセイヤーズの負傷を既に昼前に知っていた。セイヤーズが帰投して医療区で診察を受けた結果が届いたので、怪我の程度に驚いてハイネに電話をかけたのだ。そんな重傷だとは知らなかった、何故入院させないのか、と心配症の長官はついハイネに文句を言った。
 そのうちにハイネは長官の叱責を受けるのに飽きてしまった。

「そんなに心配なさるのでしたら、当人に仰って下さい。ここにいますから。」

 そして、いきなりセイヤーズに端末を投げて寄越した。車椅子のセイヤーズに充分受け止められる様、勢いも距離も高さも計算して投げて来たので、セイヤーズは余裕で受け止めた。

「セイヤーズです。」
「脚を撃たれたそうだな。」
「撃たれたと言うより、闇雲に乱射された弾丸が1発、部屋の中で跳ね回って私の脚に当たっただけですよ。」
「お気軽に言うな! 出血が多くて危なかったそうじゃないか。救護班の到着が半時間遅ければ、君は死んでいたと言う話だ。」
「いや・・・痛みが酷くて気絶しかかっただけで・・・」
「君は地球の運命を背負っているのだぞ。それを自覚してもらわないと困る。2度とそんな危険な任務を受けるな!」
「あ、否、それは誤解です、長官。私は只ラムゼイ博士のジェネシスを迎えに行っただけで、FOKも偶然彼女を誘拐しようと来ていて鉢合わせしただけですよ。」
「君が出向く必要はなかっただろう?」
「いえ・・・シェイは私だから話を聞いてくれる、と思ったので、出かけたのです。」
「何故君だったら彼女が話を聞いてくれるのだ?」
「彼女はライサンダー・・・私の息子を知っています。息子は私に似ています。実際、彼女は一目で私が何者か悟りました。他の局員だったら、彼女は逃げてしまったはずです。」

 電話の向こうでケンウッド長官の深い溜息が聞こえた。

「君は鎖で繋いでもいつの間にか首輪を抜けて逃げる犬みたいなヤツだ。止めても無駄なのだろう・・・しかし、これだけは守ってくれ。外出する時は、必ず誰かを同伴すること。決して1人になるな。」
「今回も1人ではありませんでした。航空班のマイケル・ゴールドスミス・ドーマーがいました。彼がFOKのグリソムを捕まえ、シェイを見つけて保護して、私の負傷をニュカネンに通報してから応急処置をしてくれました。今朝の事件は、ゴールドスミス・ドーマーの手柄です。」

 セイヤーズの手からハイネ局長は端末を取り上げた。下っ端のドーマーが長官にくどくど言い訳を並べ立てるのは、気に入らなかったし、負傷した部下を早く休ませてやりたかった。

「長官、お聞きの通り、セイヤーズは重傷を負っても一向にへこたれていませんから。これからも外出するでしょうな。」

 そして片手を振ってセイヤーズに「帰れ」と合図を送った。

誘拐 2 4 - 6

  その日の夕刻にアップされたパパラッチサイトには、感動のシーンが撮されていた。ジェリー・パーカーとシェイがゲートからドームに入った所で抱き合っている画像だ。シェイは消毒された直後で検査着を着せられていた。
 題して、「ラムゼイ博士の大切なジェネシスと秘蔵古代人クローンの感動の再会」
勿論、当人達には見せられない。
 パーカーはシェイが保護されたことを知らなかった。中央研究所でいつもの様に仕事をしていると、ラナ・ゴーン副長官の端末にハイネ局長からメールが入った。ラナ・ゴーンはその内容を見て、パーカーにちょっとゲートまで付き合って欲しいと声を掛けた。どんな用事なのか教えられなかったので、ゲートからシェイが現れた時、彼は夢を見ているのかと我が目を疑った。彼は、ラムゼイ博士がトーラス野生動物保護団体ビルで殺害されたと聞かされた時、博士と共に旅立ったシェイと運転手のネルソンも口封じに殺害されたのだろうと勝手に思い込んでしまっていた。だから諦めていた。ダリル・セイヤーズ・ドーマーがシェイの行方を諦めずに捜していると言った時は、彼の方から「無駄なことをするな」と言ってしまったのだ。
 シェイは、リトル・セーラムでヘリコプターに乗せられた際に、セイヤーズから「ジェリーに会えるよ」と言われた。ネルソンが警察に引き渡され、離ればなれになってしまったので、落ち込んでいた彼女を励ます為に、セイヤーズは局長に電話を掛けて彼等の対面を依頼した。ハイネ局長は二つ返事で承知してくれた。
 ハイネはケンウッド長官にパーカーの面倒を見ているゴーン副長官に話を通して欲しいと依頼し、長官もそれを快諾した。そして当然ゴーンもその案に賛成したのだ。
 ゲートにはパーカーを連れて来たラナ・ゴーン副長官が居て、シェイを先ずクローン観察棟に案内すると言った。シェイはそこで当面寝泊まりして、検査を受ける。その間にドームの執政官達は彼女の将来を話し合うのだ。
 シェイはコロニー人だが、生まれて間もなくラムゼイに買われ、地球で育った。だから、地球人と見なして良いだろうと言うのが執政官達の意見だ。だがドーマーではない。ドーマーでない地球人をドーム内に置くことは、地球人類復活プログラムにはない。彼女は卵細胞の遺伝子情報をドームに与えた後は、言葉は悪いが「用済み」になってしまうのだ。
 しかし、パーカーに抱きついて泣きだした中年の女性を見ていたラナ・ゴーンは、彼女を1人外へ放り出すのは酷だと感じた。パーカーがシェイの過去を語ったことはなかったが、彼女が子供の様にピュアで素直な心根の、そして世間に疎い人だと言うことが、ゲートでの再会劇でラナ・ゴーンにはわかった。ラムゼイは故意に彼女を外部と遮断した環境で育てたのだ。大事なジェネシスが逃げて行かないように・・・。

 この女性を外に出すのは、死なせるのと同じだわ。

 シェイはか弱くはないが、生きる術を持っていない。仕事は出来るが、それでお金を稼いで食べて行くことを知らない。恐らく善悪の判断も難しいだろう。そんな女性が、女性に飢えている地球上で1人で生きていけるはずがない。
 ジェリー・パーカーが落ち着いてきたので、ラナ・ゴーンは彼に声を掛けた。

「パーカー、今日はもう仕事はお終いにしましょう。夜迄シェイについていてあげなさい。彼女の部屋を用意しますから、それ迄は研究所のロビーや食堂で過ごすと良いわ。」

 パーカーがシェイの顔の涙を拭いてやりながら尋ねた。

「JJにも会わせて良いか?」
「勿論です。JJも喜ぶわ。」

 その時、パーカーの後ろを、車椅子に乗せられたダリル・セイヤーズ・ドーマーが通るのをラナ・ゴーンは見てしまった。

2019年4月20日土曜日

誘拐 2 4 - 5

 サタジット・ラムジーのジェネシスを務めた女性がドームに来る! 

 ケンウッドは、セイヤーズの負傷よりも女性に関心が移ろうとしている己に気がつき、内心慌てた。しかし、ジェネシスの遺伝子を調べなければならない。今迄の女性クローンの遺伝子と、実際に女性の子供を生産したジェネシスの遺伝子の比較をして、新しく修正した人工羊水の方程式が正確であることを確かめたかった。
 彼は思わずハイネに尋ねていた。

「セイヤーズと女性は何時頃ドームに到着するのかね?」

 ハイネは端末の時計を見た。

「出発はこれからですし、航空機はジェット機ではなくヘリコプターですから、本日の夕刻になるでしょう。静音ヘリは高速飛行が可能ですが、途中ローズタウンで帰りの燃料補給が必要です。」

 ケンウッドは逸る気持ちを抑えながら頷いて見せた。

「そうか・・・では副長官に女性を迎えることを通知しておこう。クローン研究の専門家である彼女の方が待ち望んでいるだろうからね。」

 それは貴方も同じでしょう、とハイネの目が言っていたが、局長は何も言わずに再び興味の中心をデザートに向けた。ケンウッドもやっと甘味を欲する気分になったので、デザートを取りに席を立った。カウンターに行くと、オブライアン司厨長が顔を出した。

「セイヤーズの姿が見えませんが、また外出でしょうか、それとも観察棟ですか?」

 ちょっと面白がっている。部屋兄弟の性格を知っているので、また何かしでかしたのだろうと予想しているのだ。兄弟の上司のハイネ局長に尋ねれば早いのだが、局長とは恒例の食べ物に関する喧嘩をした後なので聞き辛いのだ。
 ケンウッドは苦笑した。笑って答えられる状況なのが有り難かった。

「外へ仕事で出かけたが、夕方には帰って来るそうだよ。」
「そうですか。ポール兄が『飽和』で入院しているので、ダリル兄も忙しいのでしょうね。」
「セイヤーズの忙しさはワグナーとは次元が違うがね。」

 チーフ代行はクラウス・フォン・ワグナーが行なっている。チーフ秘書のセイヤーズが出かけては、代理チーフは多忙だろう。
 デザートにバナナケーキではなく、チョレートがかかったバナナスフレをもらってケンウッドはテーブルに戻った。
 ハイネはまた電話中だった。

「・・・そうか、わかった。良いアイデアだ。長官を通して副長官に頼んでおく。機内で2人共ゆっくり休みなさい。」

 通話の相手はセイヤーズだ、とケンウッドが気が付いた時には、局長は「ゴールドスミスに宜しく」と言って電話を切っていた。

「セイヤーズからだね?」

 ケンウッドが皿をテーブルに置いて座ると、ハイネはそれをちらりと見て頷いた。

「そうです。保護した女性、シェイがドームに行くと聞いて緊張しているので、ジェリー・パーカーを出迎えに寄越して欲しいと要求してきました。パーカーと彼女はドーマーで言えば部屋姉弟の様な関係です。シェイはパーカーの顔を見れば落ち着くのではないかとセイヤーズは考えたのです。」
「そうか! 確かに良いアイデアだ。うん、ゴーンに連絡してパーカーを送迎フロアに待機させよう。副長官も立ち会わせて良いだろう?」
「勿論です。ゴーンは女性ですから、シェイも安心するでしょう。」

 そして、ハイネはケンウッドに提案した。

「長官、そのチョコレートがかかったバナナスフレと私のバナナケーキを半分ずつシェアしませんか?」




2019年4月18日木曜日

誘拐 2 4 - 4

 事態の進展が明らかになったのは、ケンウッドが気が乗らない昼食を時間をかけて食べ終えた頃だった。彼がコーヒーでようやく一息つく気分になったところに、向かいの席でデザートのバナナケーキに取り組んでいたハイネ局長の端末にリュック・ニュカネンが直通電話をかけて来た。今度は画像電話だ。ハイネは食器や調理器具が粉砕された厨房らしき場所をニュカネンの顔の背景に認めた。

「報告します。」

とニュカネンが普段と変わらぬ声で言った。

「FOKと思われる男を2名、拘束しました。ラムゼイの部下と名乗る男も1名確保しました。それから、ジェネシスの女性、シェイを無事保護。当方は、ダリル・セイヤーズ・ドーマーが片脚を負傷、只今救護班の処置が終わり、命に別状ありません。」
「セイヤーズが脚を負傷しただって?」

 ケンウッドが耳聡く聞きつけた。ハイネは長官を無視した。

「一般市民を巻き込んだりしなかったか?」
「その点は大丈夫です。住民がいない廃村で、住んでいたのはジェネシスの女性とラムゼイの部下の2人だけでした。取り調べはまだですが、セイヤーズがFOKのメンバーと交わした会話では、敵も彼同様にジェネシスを確保するつもりでやって来たそうです。偶然鉢合わせて、争いになったと言っています。」
「セイヤーズは負傷したにも関わらず、FOKを捕まえ、ジェネシスを保護したのだね?」

 またケンウッドは口出ししてしまった。ハイネが何か言う前に、ニュカネンが長官の質問に答えた。

「それが、FOKを捕まえたのも、女性を保護したのも、静音ヘリのパイロット、マイケル・ゴールドスミス・ドーマーの手柄です。彼の機転でセイヤーズは助かったのです。」

 ほう、とハイネが呟いた。遺伝子管理局でも保安課でもない、航空班のパイロットがどの様に闘ったのか、興味が湧いた。

「事態は収束したのだな、ニュカネン君?」

 元ドーマーには敬称としての「ドーマー」を使えない。ハイネはまだ部下ではあるが、ドームの外の人間となったリュック・ニュカネンに外の世界の敬称を使った。ニュカネンは頬を赤く染めた。

「仰せの通り、収束しました。FOKとラムゼイの部下は警察に引き渡します。セイヤーズとジェネシスの女性はゴールドスミスのヘリで直ちにドームへ送ります。」

 うむ、とハイネは頷いて見せた。

「君もご苦労だった。ありがとう。」

2019年4月16日火曜日

誘拐 2 4 - 3

「しかし・・・」

 ケンウッドは己の心臓がパクパクと興奮するのを感じながら言った。

「銃撃戦だろう? 相手は多いのか?」

 ハイネは肩を竦めた。

「ニュカネンはそこまで情報を得ていないようです。セイヤーズが危機に陥っていれば、あの男はもっと焦る筈ですから、現行は大丈夫ではないですか。」

 それでもケンウッドは安心出来なかった。パトリック・タンが誘拐された時もハイネは平然と振舞って彼に事件を教えまいとしたのだ。この「前科」があるから、局長の態度を鵜呑みに出来ない。

「どうしてジェネシスを迎えに行って銃撃戦になるのか。ラムゼイの残党の罠ではないのか?」
「その可能性はありますが、現在は何もコメント出来ません。」

 ゴーンが長官を宥めにかかった。

「長官、セイヤーズとニュカネンを信じましょう。私達のドーマー達は優秀でしょう? どんな危機も自力で乗り越えて戻って来ますよ。」

 ケンウッドは2人を見比べた。どちらもポーカーフェイスだ。彼は溜め息をついた。

「私は肝が据わっていない男だからね・・・子供達のことが心配でならないよ。」

 すると意外なことをハイネが言って彼を慰めた。

「貴方は過去に銃撃されて負傷された経験がおありですからね。銃の危険性をご存知だ。心配なさるお気持ちは理解出来ます。ですが、セイヤーズは本当に危機に陥入れば正直にニュカネンに応援を求めます。彼はそう言う素直な男です。ニュカネンも助けが必要な時ははっきりとそう言う筈です。彼等はまだ余裕があるのです。信じてやって下さい。」


2019年4月15日月曜日

誘拐 2 4 - 2

 リュック・ニュカネン元ドーマーは、局長が電話に出ると、すぐに用件を話し始めた。

「局長、ラムゼイのジェネシスの行方に関する情報を連絡して来た刑事から、また連絡がありました。セイヤーズに与えられた情報はガセネタだったようです。直ちにセイヤーズに私から連絡を取りましたが、彼は現在FOKのメンバーと銃撃戦になっているところです。」

 ケンウッドの耳にもニュカネンの声は聞こえた。ケンウッドは自身が青ざめるのを自覚した。そんな長官をハイネ局長はチラリと見て、それからニュカネンに尋ねた。

「セイヤーズは単独行動か?」
「静音ヘリのパイロットが現場近くで待機していましたので、様子を見に行くよう指示しました。恐らくセイヤーズを援護してくれるものと思います。」

 航空班は維持班の一部だが、業務内容に関しては遺伝子管理局と密接に関わっているので、ほぼ遺伝子管理局傘下の部署だ。ハイネはパイロット達が戦闘訓練を受けていることを承知していた。そして、もう一つ、彼はドームでイライラしていても何も部下の手助けにならないことを、前回の事件で学んでいた。だから・・・

「現場の指揮を君に頼む。可能な限りセイヤーズとパイロットの動向を把握してくれ。連絡がつけば、君から指示を送れ。」

 リュック・ニュカネンは一瞬黙り込んだ。彼はセイヤーズと馬が合わない。セイヤーズは彼の指示に従ったことがない。だがそんなことは局長の知ったことではないのだ。現場へ行けないハイネはこの時点で連絡が取れるニュカネンだけが頼りなのだから。

「了解しました。」

とニュカネンが応えた。

「ローズタウン支局にヘリの応援を依頼して、私も現地へ飛びます。また後で連絡します。」

 電話が切れた。ハイネが端末をポケットに仕舞うのを待たずに、ケンウッドが尋ねた。

「セイヤーズは無事なのか?」

 ハイネは長官を見て、副長官を見た。ゴーンは無言で彼を見ていたが、ケンウッド程切羽詰まった表情ではなかった。彼女の養子クロエル・ドーマーは中南米勤務の遺伝子管理局員は「しょっちゅう」撃ち合いに巻き込まれると彼女に言っていた。

ーーでもね、おっかさん、僕ちゃん達は光線銃を使用してるんです。外の連中が使う銃よりずっと性能が良いし、安全なんす。敵を傷つけずに逮捕出来るんすよ。

 ハイネは正副両長官に言った。

「ニュカネンが慌てていないところからして、セイヤーズは追い詰められた状況ではなさそうです。」


2019年4月14日日曜日

誘拐 2 4 - 1

 翌日、お昼前の打ち合わせ会で、ケンウッド長官とゴーン副長官は、ハイネ局長から衝撃的な報告を受けた。

「サタジット・ラムジーがメーカーとして活動していた頃に正常なクローンを製造する為に用いた卵子の所有者でシェイと呼ばれる女性の所在が判明した模様です。現在、セイヤーズ・ドーマーが確認の為に現地に赴いています。」

 ケンウッドとゴーンは別々の異なった反応を示した。ドーマーに危険な仕事をさせたくないケンウッドは、思わず呻くような口調で苦情を漏らした。

「またセイヤーズを外に出したのか?」
「彼が自分で行くと言い出したのです。シェイは彼の息子と親しくしていました。彼と息子は似ているそうです。ですから、セイヤーズは彼女を安心させる為に自分が彼女に会うことにしたのです。」
「危険はないのだろうね?」
「情報提供した警察関係者によりますと、彼女は通行人が殆どいない街道筋で食堂を経営しているそうです。危険はないと思いますが、セイヤーズには銃を携行させました。」

 ゴーンはクローン製造部責任者らしい言葉を発した。

「その女性の卵子で正常な子供が作れるのでしたら、新しい人工羊水で作るクローンが正常かどうか、比較研究できますね。」

 ハイネは彼女をちらりと見た。ゴーンとセイヤーズは交際していると言う噂だ。この女性は恋人が外で活動しても心配ではないのか、と彼は微かな疑問を抱いた。
 ケンウッドがセイヤーズのドーム外活動を制限させる口実を考えていると、ハイネの端末に電話が着信した。ハイネは発信者の名前を見て、珍しくギョッとした表情になった。目敏くゴーン副長官がそれに気が付いた。

「局長、どうかされまして?」

 ハイネは早口で答えた。

「出張所からです。」

 リュック・ニュカネン元ドーマーからの電話だ。直通でかけてくるからには、緊急事態と思って良いだろう。ケンウッドは素早くハイネに声を掛けた。

「ここで出なさい。許可する。」
「有り難うございます。」

 ハイネは遠慮なく電話に出た。「局長」とニュカネン元ドーマーの声がケンウッドの耳にも聞こえた。堅物で融通が利かないと同期から陰口を言われていたニュカネンだが、出張所の所長になってからは、短気を抑えていると言う。但し、レインやセイヤーズと言った部屋兄弟相手に喧嘩する時は別だ。


 


誘拐 2 3 - 9

 セイヤーズがポール・レイン・ドーマーの体調異変を報告する為に局長執務室に来た。ハイネ局長は当然驚かなかった。来るべき時が来たと言う顔で、頷いただけだ。

「普通は50代後半に『飽和』を起こす局員が大半だ。レインはこの18年間、無理に注射を打ち続けたから、40そこそこで『飽和』を起こした。」
「私のせいです・・・」

 セイヤーズがうなだれた。ハイネはちょっと笑った。

「誰も君を責めたりしない、セイヤーズ。『飽和』は遺伝子管理局の人間なら必ず経験する。早いか遅いかの違いだし、若いうちにやっておく方が体の負担が小さくて済む。ワグナーの様に『通過』を20代のうちに進んで済ませてしまう者もいる程だ。
 レインは退院したら、今まで以上に仕事に精を出すかも知れない。行き過ぎがない様に、君がしっかり見張ってセイブしてやってくれ。」
「わかりました。」
「レインが入院中は、副官のワグナーにチーフ代行を命じる。2週間程度だから、ワグナー個人の仕事に大した影響は出ないはずだし、君も助けてやれるだろう?」
「それなんですが・・・」

 セイヤーズは躊躇ってから、思い切ってラムゼイのジェネシスだったシェイの捜索に出たいと申し出た。セント・アイブス警察のスカボロ刑事が彼女の所在の手がかりを掴んだと連絡してきたのだ。刑事とのやりとりとジェリー・パーカー達に相談した時の話をセイヤーズは局長に報告した。彼は局長は反対するだろうと予想していたが、ハイネは彼の予想を裏切り、意外なことに考え込んだ。

「そのシェイと言う女性は、コロニー人だったな?」
「はい、赤ん坊の時に誰かに売り飛ばされたと思われると、聞きました。」
「彼女の卵子を使ってラムゼイはクローンを製造していたのだな?」
「そうです。だから、ラムゼイのクローンは高品質で高値で売れたのです。」
「君の息子も?」
「ええ・・・」
「君とパーカーのクローンも複数?」
「そうです。」
「その子供達の何人かは、既に成人する頃だな?」
「そのはずです。」
「地球人として表舞台で生活する為には、成人登録は欠かせない。違法クローンでも、必ず成人登録申請をしてくる。彼等が表社会で堂々と活躍したいならば・・・」

 局長は何を言いたいのか、セイヤーズは黙って彼の次の言葉を待った。

「ラムゼイのクローンを購入したのは、富豪ばかりだ。彼等の子供達は親の財産を相続し、事業を引き継ぐ為に必ず成人登録をする。」
「私がわからないのは、富豪達は女性を得られる権利を持つのに、何故クローンを発注するのか、と言うことです。」
「話の腰を折るな。」
「すみません・・・」
「金持ちがクローンを欲しがるのは、純粋な己の血統を残したいが為だ。」
「成る程・・・」
「話を戻して良いか?」
「はい・・・」
「君が言う通り、富豪には妻との間の子供もいるし、他のメーカーの手によるクローンもいるはずだ。だから、ラムゼイのクローンの特定をする為には、ジェネシスの卵子情報が必要だ。父親の特定はほぼ可能だが、母親の特定もしておきたい。何故なら、そのシェイと言う女性の卵子を使ったクローンは、女性を生める可能性が高いからだ。
 もしシェイの『子供』が登録を申請してくれば、その生殖細胞を少々戴いて女性を生む研究に役立てられる。」

 ハイネはセイヤーズを見据えた。

「シェイを保護しなければならない。しかし、君が確認に行く、と言うのは、どう言う根拠からだ?」
「連邦捜査局が捕まえている証人達の協力が得られそうにないからです。それに、もし件の女性がシェイなら、当局が接触すれば逃亡するかも知れません。私は、息子と似ています。シェイが私の息子を覚えていたら、会ってくれるかも知れません。」
「あかの他人だったら?」
「私は手ぶらで即刻帰って来ます。」

 ハイネは1分ほど考えてから、時計を見た。

「そのセント・アイブスの刑事に今、連絡を取れるか?」
「出来ます。」
「女性が働いていると言う食堂の具体的な場所を聞け。」

誘拐 2 3 - 8

 ケンウッドがようやくうとうとし始めた時、端末にメッセージが着信した。短い着信メロディが鳴り、彼が上体を起こして端末をポケットから出すのと同時に、ローガン・ハイネも寝たままで自身のポケットを探って端末を出した。
 ケンウッドの端末にメッセを送って来たのは、医療区だった。

ーーポール・レイン・ドーマーが「飽和」を起こしました。

 遂にその時が来たか、と思った。レインはこの半年、かなり無理をして抗原注射を打つ回数を増やしていた。ダリル・セイヤーズを発見して逮捕する為に、行方不明になったセイヤーズと彼の息子ライサンダーを探す為に、そしてメーカー達の撲滅の為に。
 ハイネも横になったまま目を開いて自身の端末を見ていた。同じ内容に違いない。ケンウッドは声を掛けた。

「医療区からだろう?」
「そうです。」

 ハイネが体を起こした。端末をポケットにしまって、両腕を伸ばし、伸びをした。

「ドームの中に居る時で良かったじゃないか。」
「確かに。」

 レインは一昨日外の勤務から戻って来た。そして前日には注射なしで外出した。彼の体は疲労で限界に来ていたのだ。体内の薬剤が上手く分解されないで血液中に溜まってしまった。
 ハイネは部下の体調の変化に関する報告に慣れていたので、医療区に「部下をよろしく」と返信しただけだった。ケンウッドも飽和に達するドーマーの報告を年に何度も受けるので、慌てなかった。レインが実家で倒れなくて良かったと思っただけだ。大統領はドームの取替え子の秘密を知っているが、ドーマーが抗原注射が必要だとは知らないだろう。彼の父親は対外交渉をする庶務班出身で、若いうちに「通過」を済ませてしまっていた。だから接触テレパスで妻や息子に情報を読まれたとしても、抗原注射に関する思考は殆どなかっただろう。もしレインが実家で倒れたら、地球人は「飽和」の治療方法を知らないから大騒ぎになった筈だ。
 ハイネが立ち上がった。

「北米南部班はチーフが動けなくなるので、少し業務のローテーションに変更が生じるでしょう。秘書のセイヤーズと副官のワグナーと打ち合わせをします。」
「ああ、そうしたまえ。」

 ケンウッドは、このところ北米南部班はチーフに振り回されっぱなしだな、と密かに思った。



2019年4月13日土曜日

誘拐 2 3 - 7

 ケンウッドは久しぶりに時間が余っていた。アメリカ・ドームのマザーコンピュータのデータ書き換えの準備は整い、後は他のドームからの連絡を待つだけだった。地球上の全てのドームで一斉に書き換えを行うので、早く準備が出来たドームは楽が出来る。だから彼は昼食後、庭園でハイネ局長の昼寝に付き合った。柔らかな芝生の上にゴロリと寝転がり、高い天井の、さらに高く流れる雲と青空を眺めた。地球に居る者だけが目にすることが出来る贅沢な風景だ。
 隣でハイネが気持ち良さそうに眠っている。ケンウッドはその寝顔を眺め、養育係もこうやって子供達に添い寝して眺めていたのだろうな、と思った。養育係は子供達に別れを言わずに退職する。子供達が幼児から少年へ成長して行く過程で、新しいことを学ぶのに夢中になっている時期に、そっと静かに去って行くのだ。少年達は世話係のドーマー達がいるので、すぐには気がつかない。だが、母であり父であった人がいつの間にかいなくなっていることに気が付いた時は、やはり大騒ぎになる。部屋兄弟達が多ければまだましだ。年長者は来るべき時が来たのだと悟り、泣きじゃくる弟達を宥め励まし、自分達が親代わりになって幼い者達を守ることを学んで行く。
 ローガン・ハイネとダニエル・オライオン、たった2人きりの部屋兄弟の部屋ではどうだったのだろう。クリステル・ヴィダンは何時頃にドームを去ったのか。彼女の退所を知った時、兄弟はどうしたのだろう。ケンウッドはヴィダンがどんな人物なのか全く知らない。だが、ローガン・ハイネが今でも母親として慕っているとほんの1、2時間前に告白した相手だ。きっと優しく聡明で親身になってドーマー達の世話をしたのだろう。しかし、子供の一人は、ドーム全体からも委員会本部からも未来のドーマーのリーダーとして期待されている特別な子だった。彼女はかなりのプレッシャーを感じていたとケンウッドは想像した。甘やかさず、厳し過ぎず、怪我をさせないように、日々体調の変化に神経を尖らせて観察して・・・。

 もしかすると、ヴィダンはそのプレッシャーに耐えられなくなる前に、早めに退職したのではないだろうか。本部からの指示が来る前に、自分から去ることで、別れの辛さを和らげようとしたかも知れない。

 なんとなく、ケンウッドはそのクリステル・ヴィダンが、片恋の辛さから逃げる目的で退職願いを出してしまったアイダ・サヤカと重ね合わせて空想してしまっていた。

2019年4月11日木曜日

誘拐 2 3 - 6

「ポール・レイン・ドーマーのことがあったから、こう言う話題を話しているのだが・・・」

とケンウッドは料理を選びながら言った。その日のランチは5種類の鶏肉料理がメインで、彼はトマト煮込みを、ハイネはクリーム煮込みを選んだ。これはいつものパターンだ。

「ドーマーは実の親が誰か知った時、会いたいと思うのかね? その死を知ったら悲しいだろうか?」
「他のドーマーがどんな気持ちを抱くのか、私は知りません。」

とクールにハイネが応じた。

「私は実の親のことなど全く知りませんし、興味もありません。私自身の年齢を考えれば、私の親は当然ながら、兄弟もその子供も歳を取って旅立った後ではないでしょうか。」

 そして彼はケンウッドに逆に尋ねた。

「外へ出た元ドーマーが親を訪ねたと言う報告はありましたか? レイン以外に。」
「あー、否・・・」

 ケンウッドは自分が愚かな質問をしている気分になってきた。

「レインが父親の逝去に関して全く無感動に振る舞うので、気になってね。委員会は君たちドーマーの情緒教育を間違えたのではないか、と疑問を抱いているのだ。」

 彼等はそれぞれ副菜を選び、テーブルに向かった。

「人間は、地球人でもコロニー人でも親を懐かしむものなのだよ。親から虐待された子供でも親を慕うことがあるし、生まれてすぐに親と生き別れた子供は親を知りたいと思い、会いたいと希望する・・・」

 ケンウッドは、ハイネが椅子に腰を下ろしながら彼を珍しいものを見る様な目付きで見返したことに気が付いた。
 ハイネは椅子の上に落ち着くと、クリームスープを一口味わってから、ケンウッドに言った。

「私は親を懐かしいと思ったことはありませんが、養育係のクリステル・ヴィダンにはもう一度会いたいと思い続けていますよ。彼女の胸に抱かれていた幼い日々が懐かしいです。」

 ドーマーにとっては、養育係が親だ。ケンウッドはその事実を思い出し、自分が本当に愚かな悩みを抱えていた気分になった。ドーマーも普通の人間なのだ。

「それでは、レインも養育係には会いたいと思っているのか・・・」
「普通に考えれば、その様でしょうな。」

 ハイネはスプーンに大きな鶏肉の塊を載せ、数秒間迷ってから、口を大きく開けて一口で食べた。それをゆっくり噛み締め、味わってから、ポツンと言った。

「何故ドーマーは養育係との再会を許されないのでしょう。」



2019年4月10日水曜日

誘拐 2 3 - 5

 昼前の打ち合わせ会が終わると、ケンウッドはいつもの様に副長官と遺伝子管理局長に昼食の誘いをかけ、いつもの様にゴーン副長官は女性同士で食べますと断り、ハイネ局長は時間があるので誘いに乗ってくれた。
 2人は食堂に向かって歩きながらドーマーの家族観について語り合った。ハイネはドーマーにも肉親に対する愛憎があるのだと言った。

「名前も顔も在所も知らずとも、親の存在は意識していますよ。毎日ガラス越しに母親達を見ているのですから、出産管理区で働いていなくても母親が子に寄せる愛情は感じています。」
「母親の愛情を知らずに育ったことを哀しく思わないのかね?」
「養育係に愛されて育ちましたし、部屋兄弟と毎日遊んでいました。周囲も同じでしたから、自分が何を知らなかったのか、自覚はないですね。」

 確かに養育係として部屋毎にいる執政官とその助手で子供の数だけ配属される年配のドーマー達が一人一人の子供のドーマーを慈しんで育てる。外の世界の養父母と養子の関係に似た状況だ。子供達は大人から与えられる愛情にどっぷり浸かって育つのだ。
 ケンウッドは養育係の経験はなかった。教官として勉強を教えただけだ。それも養育棟から卒業間近の少年達を教えたので、幼いドーマー達の生活は知らなかった。

「母親の愛情の代替を養育係から与えられることはわかった。では、父親の愛情はどうだろう?」
「父親の愛情ですか?」

 全ての年下のドーマー達の父親であると自負しているハイネはケンウッドを横目で見た。

「養育係は母であり父でもありますが?」

 ケンウッドは養育係の半数は男性だと言う事実を思い出した。己の迂闊さに、彼は気まずくなって手で自身の額をピシャリと打った。

「そうだね! その事実をすっかり失念していたよ。

2019年4月8日月曜日

誘拐 2 3 - 4

 翌日、ハイネ局長は日課を早々に終えるとポール・レイン・ドーマーを呼び出した。セイヤーズにはお呼びがないので、「注射無しで外出したのでお小言じゃないか」とセイヤーズがレインをからかった。
 局長の用件は、当然ながら、大統領からもらった不穏分子リストの件だった。局員のパトリック・タン・ドーマー誘拐事件に関与が考えられるトーラス野生動物保護団体の会員を特定出来るが、そのリストに書かれている人物の中に名前があると言うのだった。

「この、ケイン・ビューフォードと言う判事だが・・・」
「トーラスの理事ですね。ラムゼイ殺害事件にも関係していると思われますが・・・」
「こいつはパトリックを暴行している。」
「・・・」

 レインは局長を見つめた。ハイネが、タンの体から採取された誘拐犯達の痕跡のDNA分析結果をテーブルの画像に出して、彼に見るように促した。

「パトリックは目隠しされていたので、相手の顔を見ていない。見ていたら、今頃は生きていなかっただろう。彼の体に残っていた犯人の体液が、ドームに登録されているDNAデータと一致した。ケイン・ビューフォードに間違いない。」
「しかし、当事者であるドームは警察に報告は出来ないのでしょう?」
「報告は出来る。裁判には使えないのだ。」

 局長は溜息をついた。

「君達はビューフォードがラムゼイから盗んだデータを押収した。ビューフォードはその報復の意味も込めて、誘拐したパトリックを陵辱したのだろう。この判事は厄介者だな。」
「大統領が、政府で対処すると言っていましたが?」
「裏で処分するのだな。」

 恐ろしいことをさらりとハイネは言ってのけた。ドームの秘密を守ろうとすれば、公平な裁判で悪人を裁くのは困難だ。ドームはドーマーを証人に出したがらない。取り替え子の事実を公表する危険を冒せないし、女性誕生がなくなってしまった地球の真実を公表することは絶対に避けたい。だから、真実を知らされている歴代大統領は、ドームに裁判沙汰の事件が発生する気配があれば、早急に裏で手を打つ。ドームの公式記録には載せられないが、過去にも何度か同様の出来事があったのだ。
 100歳を越えるローガン・ハイネ・ドーマーにとって、これは「日常茶飯事」の出来事に過ぎなかった。
 ポール・レイン・ドーマーは局長を眺めた。白髪の美しい男性だ。顔には流石に皺が目立ってきたが、まだ充分魅力的な中年に見える。きちんと着こなしたスーツの下の肉体も鍛え上げられた筋肉と張りのある肌で若者達をも魅了する。

 ポール・フラネリーはこの人に憧れていたんだ・・・

 フラネリーはドーム維持班の庶務課だった。年齢もハイネより20歳は下だった。仕事の上では殆ど接点はなかっただろう。 きっと、食堂やジムで顔を合わせる程度の付き合いだったはずだ。しかし、白い髪のハイネは、緑の髪のフラネリーを魅了したのだ。
 今際の際に、フラネリーは接触テレパスでハイネに対する彼の長年の想いを息子に伝えてしまった。故意なのか死に際で情報をセーブ出来なかったのか・・・。
 そう言えば、とハイネ局長が思い出したように言った。

「君の父上が亡くなったそうだな。お悔やみ申し上げる。」
「有り難うございます。」

 レインは試しに尋ねてみた。

「彼と何か接点はありましたか?」
「フラネリーと私が?」

 局長は考えた。考えなきゃいけないほど、稀薄な関係なんだ、とレインは思った。

「彼は私から見れば、親子ほどの差がある若いドーマーだったからなぁ・・・」

 ハイネは遠くを見る目になった。

「だが、よく覚えているさ。君は好きではないようだが、葉緑体毛髪の緑色に輝く綺麗な黒髪の若者だった。容姿も美しかった。君と同じで、当時のドームの中ではかなり人気が高かった。人当たりも良かったし、陽気な男で食堂ではいつも取り巻きを連れていたよ。
維持班であれだけ目立った男も珍しかった。だから、彼が外の世界の女性に心を奪われたとわかった時は、ドームの中に激震が走った。」

 彼は面白そうに笑った。

「私は、失恋して泣く若者達を大勢慰めるはめになったんだよ。フラネリーは全然気にしていなかったのに。」
「貴方とは個人的に接点はなかったのですね?」
「なかった。只、一つだけ・・・」

 ハイネは意味深な笑みを浮かべた。

「食堂などで私が彼がいる方向を見ると、どう言う訳か、必ず彼と目が合った。いつも彼の方が慌てて目を逸らしたがね。不思議だなと思っていたら、彼がある日、私の所へやって来た。」

 レインはどきりとした。父親が告白でもしたのだろうか?

「彼は私に、結婚するので外に出されることになった、と告げた。自由との交換条件に子供を1人ドームに取り替え子で渡すことになったので、もしその子供が遺伝子管理局に入ることになったら、しっかり教育して欲しい、と言ったのだ。
 取り替え子の予約なんて、そう滅多にあることではない。だから私は彼に、子供は特殊な遺伝子を持って生まれてくるのかと尋ねた。彼は、子供は妻の遺伝子を受け継ぐはずだから、確実に特殊な能力を持って生まれてくる、と断言した。」

 ハイネ局長は、レインに片眼を瞑って見せた。

「ドーマーは親子の情が稀薄だから、君にはピンとこないだろうが、フラネリーは彼なりに子供のことを気に掛けていた。最期に君に会えて、彼も喜んでいただろう。」
「ええ・・・」

 いいえ、違うんです、局長、親父は貴方の近況を知りたがっていたんですよ

 レインは心の中でそっと言った。父親の片恋は、片恋のままで終わったのだ。

2019年4月7日日曜日

誘拐 2 3 - 3

  日付が変わってからポール・レイン・ドーマーとダリル・セイヤーズ・ドーマーはドームに帰投した。ケンウッドはまだ起きていて、2人が帰還して消毒が済んだら直ぐに長官執務室へ来るようにとゲートに伝言を入れておいた。それで2人は言いつけ通りに寄り道もせず、真っ直ぐ中央研究所にやって来た。
 彼等が入室した時、ケンウッドはまだコンピュータで仕事をしていた。この人は何時眠るのだろうとセイヤーズはちょっと不思議に思った。

「お帰り」

とケンウッドは顔を上げて言った。そしてレインに

「注射がなくても平気だったろう?」

と声を掛けた。レインは「ええ」と曖昧に答えた。短時間なので雑菌に触れる時間が短かったのだ、と彼は思った。彼の表情が何時もと変わらないので、ケンウッドはセイヤーズを見て、目で問いかけた。フラネリー家では何も変わったことはなかったのか、と。
 セイヤーズはヘリの中で受けたアメリア・ドッティからの連絡内容を告げた。

「23時07分にポール・フラネリー氏は逝去されました。」

 ケンウッドは頷き、レインに向き直ると、「お悔やみ申し上げる」と挨拶した。レインは何と答えれば良いのかわからず、取り敢えず「有り難うございます」と言った。長官が何も言わないので、それが正しかったのかどうかわからなかった。
 ケンウッドも、悲しみを見せないレインに何を言えば良いのか、わからない。するとセイヤーズが、アーシュラにライサンダー・セイヤーズの存在がばれたことを告げた。

「アーシュラが、私達の息子の存在を知ってしまいました。恐らく、私がドッティ夫妻と子供の話をして間なしに、彼女が私に触れ、伝わってしまったのだと思います。アーシュラは動揺したと思いますが、その気配は微塵も見せませんでした。ですが、息子が違法製造のクローンだと知ってしまったはずです。」

 レインがちょっと驚いた。彼は母にキスをされた時、父は彼を愛していたと伝えられ、少し困惑して、彼女がセイヤーズに何を言ったのか気が付かなかったのだ。
 ケンウッドは、セイヤーズの報告をさほど深刻に受け止めなかった。彼は尋ねた。

「アーシュラは君達に何か、息子の件で言ったのかね?」
「一言、『孫をよろしく』と・・・」
「ああ、それなら、安心だ。」

と長官は言った。

「彼女は身内を困った立場に追い込んだりはしない。次男を盗られたと騒ぎはしたが、それも夫とドームに対して言い立てたに過ぎない。もっとも・・・」

 彼はセイヤーズとレインを見比べて、ニヤリと笑った。

「次は孫に会わせろと騒ぐかも知れないがね。」

 レインが少し赤くなった。彼の実家は、ドームを困らせる一族らしい。彼は真面目な話題を思い出した。ポケットから大統領から渡された紙を出した。

「長官、大統領が、ドームと現政府に反感を抱くグループのリストをくれました。ドームをコロニーからの侵略だと考える人々です。」
「ふむ・・・」

 ケンウッドはその紙を受け取った。不穏分子の存在は既に情報を得ていたので、驚きはなかったが、不愉快極まりない話題には違いない。

「政財界の実力者ばかりだな・・・」
「大統領は、我々に手出し無用と言っています。」

 ケンウッドは紙面から目を上げて、レインを見た。

「地球人の問題は地球政府で解決すると言うのだな?」
「そうです。」
「我々はこれらの人々に繋がる人間に用心せよと言う忠告か。ゴメス少佐とハイネ局長に伝えておこう。」

 彼は溜息をついた。

「フラネリーがドームを出たのは46年前、当然のことながら、私も他の執政官も当時は誰もここにいなかった。だが当時のドーム長官は、フラネリーの政治に対する野心を知って、ドーマーから政治家を出せば何時かドームの為に役立つだろうと期待して、彼を外に出した。それが、彼の息子の代になって、ドームの内と外で連携して働いてくれていると解釈しても良いのかな。」

 レインが苦笑した。

「しかし、上院議員や大統領に迄昇り詰めるとは予想していなかったでしょうね。」
「確かに・・・恐らく、アーシュラが大いに働いてくれたのだろうよ。」
「彼女は恐いです。」

とセイヤーズが口をはさんだので、ケンウッドとレインは顔を見合わせ、笑った。

誘拐 2 3 - 2

 ケンウッドは遅い昼食を摂りに一般食堂へ行った。既にその日の特別メニューだったデザートは完売しており、オブライアン司厨長は気の毒がってアイスクリームを後でお持ちしますと言ってくれた。ハイネはもう食べたのかと訊くと、局長は特別メニューがある日は打ち合わせ会が終わるや否や駆けつけるので、とっくに召し上がってお昼寝に行かれたと言う答えだった。
 なんだか可笑しい気分になって、ケンウッドはゆっくりと食べ物を口に運んだ。食堂は利用者が減って空いていた。ドーマー達は午後の勤務に戻って行った。
 ケンウッドが何気なく入り口に目をやると、出産管理区長アイダ・サヤカが入って来るところだった。彼女が一般食堂に来るのは勤務明けか夫とデートする時だ。ハイネが昼寝に行ってしまっているのだから、勤務明けだろう。彼女も司厨長からアイスクリームの約束を取り付けて、ケンウッドの所にやって来た。

「同席許可願えますか、長官?」
「勿論、喜んで。」

 アイダはトレイを置いて椅子に腰を下ろしながら言い訳した。

「同じテーブルに居る方が、厨房係がデザートを持って来てくれる時に手間が省けますでしょう?」
「その通りですな。」

 ドーマー達から陰で「ママ」と呼ばれているアイダは、彼等の仕事が少しでも楽になるよう、いつも心配りしている。ケンウッドはふと思う所があって、彼女に尋ねた。

「アイダ博士、出産管理区のドーマー達は収容されている女性達と赤ん坊の親子の情愛をどう感じているのだろうね? 父性を感じたり、或いは自身の親を思ったりすることはあるのだろうか?」

 アイダが手を止めた。何を藪から棒に、と言いたげに長官を見た。

「親の存在を意識しないよう、教育棟で躾けるのではないのですか?」
「それはそうだが・・・」
「ドーマー達は一人で複数の親子を担当しますし、自分達でローテーションを組んで同じ女性ばかりを担当しないよう、工夫しています。彼等は忙しくてじっくりと親子の関係を観察する暇はありません。収容者を物として見ている訳ではありませんが、病院の看護師が患者と触れ合う程の余裕はない筈です。自身が子供を持つことを想像したり、親を思うことは、皆無とは言いませんが、とても稀だと思いますわ。」

 そして逆に尋ねた。

「どうして、そんなことをお訊きになるのです?」

 それでケンウッドは、ポール・レイン・ドーマーの実父が危篤なので面会に行かせたことを打ち明けた。

「元ドーマーの父親が息子に会いたいと思うのは不自然ではない。だが、現役のドーマーである息子が親をどう考えているか、想像出来ない筈はないと思う。ポール・フラネリーは何か目的があるのだろうか、と疑ってしまったのだよ。実際、レインは父親が死にかけていると聞いても無関心だったからね。」
「無理に行かせたのですね?」
「セイヤーズを付き添わせた。彼は父親として子供を育てた経験があるから、親の気持ちがわかる。彼と一緒だから、レインも仕方なく出かけた。」

 アイダはちょっと考えた。

「ローガン・ハイネが以前ちょっとだけフラネリー家の話題を口にしたことがありましたわ。奥方がレインに会いたがっているので困ると・・・もしかすると、ポール・フラネリーは最後の奥さん孝行をしたかったのではありませんこと? もう一度奥方を息子に会わせてやりたかったのでは?」
「ああ・・・」

 ケンウッドは合点が行った。

誘拐 2 3 - 1

 ケンウッドは昼食前だったが、ポール・レイン・ドーマーに電話をかけた。ドーマー達は昼食中だったらしく、電話の背後から大勢の人々の騒めきが聞こえてきた。効力切れ休暇中であることを確認した上で長官執務室に来るようにと告げると、レインは長官直々の要請に不審なものを感じたのか、気が進まなさそうな声で、了解と答えた。ケンウッドはふと思いついて、付け加えた。

「セイヤーズも連れて来てくれないかね?」
「・・・?  わかりました・・・」

 時刻は特に指定しなかったが、レインとセイヤーズは食事を済ませるとすぐに中央研究所の長官執務室にやって来た。ケンウッドはヤマザキにレインが感冒や破傷風に罹る可能性を考えて待機してくれるよう、大急ぎで文書を作成して送信した。
 秘書が2人の来訪を告げた時、送信が終わった直後で、ケンウッドはそれらの下書を脇にどけて、机の上に両肘を付いた。
 セイヤーズとレインは来訪者用の椅子に座るようにと秘書に言われ、座った。秘書が昼食に出て行く迄ケンウッドは黙っていた。何から切り出すか、考えた。
 やがて・・・

「ポール・レイン・ドーマー、今日は効力切れ休暇中だね?」

 電話でも確認したことを、また確認だ。レインは「はい」と答えたが、それ以上は言うことがないので、次の言葉を待った。
 ケンウッドはまた数十秒考えた。そして・・・

「効力切れの日は、抗原注射は打てない。明日も駄目だ。しかし、時間がない。」
「何ですか?」

 レインはじれったくなった。長官らしくない歯切れの悪さだ。

「外に出なければならない用件が発生したのですか?」

 ケンウッドは彼を見て、セイヤーズを見て、また彼に視線を戻した。そして重々しく告げた。

「ポール・フラネリーが危篤状態だ。」

 レインの実父だ。セイヤーズはすぐ気が付いたが、肝心のレインはピンと来なかった。暫く長官を見返してから、ようやく「ああ」と呟いた。

「病気なんですね?」

 ケンウッド長官は彼のそんな反応を予想していた。レインは肉親への愛情は皆無の、典型的なドーマーなのだから。だから、ケンウッドはセイヤーズの援護を必要としていた。長官はレインにではなく、セイヤーズの方へ視線を向けて言った。

「フラネリーは老衰と内臓の機能低下だ。外の世界では60代と言うことになっているが、実際は80歳だ。外に出た元ドーマーとしては長く生きた方だ。」
「それで?」

とレイン。俺に関係ないだろう、と言う表情だ。ケンウッドは小さく溜息をついて、レインに向き直った。

「彼は死ぬ前に君に会いたいそうだ。」

 レインは、とても困ったと言う顔をした。

「どんな用件でしょう? 今日は出られないし、明日も無理です・・・」

 セイヤーズが彼に言った。

「君の顔を見たいんだよ。それだけだ。父親だから・・・」
「どうして?」

 レインが抗議した。

「元ドーマーなら、俺がいつでもドームから出られる体じゃないって、知ってるだろうが!」
「ポール!」

 ケンウッドは思わず、姓ではなく、名でレインを呼んだ。レインはビクッとして長官を振り返った。ケンウッドがドーマー達を名前で呼ぶなど、滅多にないことだ。

「注射は出来ないが、時間がない、行ってこい。セイヤーズ、付き添ってやれ。緊急の場合の薬を持たせる。空気感染で今日明日に倒れることはないが、怪我をした時の細菌感染予防の薬だ。」
「どうして爺さんに会いに行かなきゃならんのです?」

 レインはまだ抵抗した。

「俺はあの人と『こんにちは』程度の口しか利いたことがないんですよ!」

 ケンウッドは、レインの石頭に親子の情を解説するつもりはなかった。20年以上前に親切に研究に協力してくれた元ドーマーへの、唯一度の恩返しだ。

「行けと言ったら、行ってこい! 命令だ!」

誘拐 2 2 - 10

 アルジャーノン・キンスキー・ドーマーは、ハロルド・フラネリー大統領からの伝言をケンウッドに告げた。それはケンウッド長官を大いに戸惑わせた。ケンウッドはキンスキーからハイネに電話を代わってもらった。

「ポール・フラネリーが危篤なのだね?」
「そのようですな。」

 死者と触れ合ってはいけないことになっている遺伝子管理局長は他人事だ。フラネリーはハイネより20歳近く若いが、30年以上同じドームに居た。どこかで接点はあった筈だが、薬剤管理室と庶務ではあまり繋がりはなかったのか。少なくとも、ハイネの口ぶりでは友達ではなかったようだ。フラネリーの方は息子のポールがハイネの部下になると言って喜んでいたとケンウッドは記憶していた。しかしハイネには、大勢の元ドーマーの一人でしかないのだろう。
 ケンウッドは彼に電話した目的を告げた。

「ポール・レイン・ドーマーに面会に行かせたいのだが?」

 ハイネが数秒間黙してから尋ねた。

「何が目的ですか?」

 ドーマーらしい反応だ。親の最期に会うと言う、人として普通の行動が、ドーマーには珍しいことに思えるのだろう。

「生きているうちに、父親と会わせたい、それだけだよ。フラネリーも希望しているそうだし・・・。」
「レインは希望しているのですか?」
「否、彼にはまだ言っていない。」
「そうでしょうね。彼は昨日外から戻ったところです。今日は抗原注射の効力切れ休暇中ですよ。」

 そうだった・・・ケンウッドは心に苦いものを感じた。レインは昨日の朝、危険な任務を無事に終えて窮地に陥った部下を救出し、外の警察、捜査機関と事態の収拾に当って疲れている。いつものケンウッドだったら、本人が外に出たいと言っても反対する。だが、今回は・・・

「フラネリーには時間がないんだよ、ハイネ。」

 君もダニエル・オライオンが会いたいと言っていたら、外に出たいと思った筈だ。ケンウッドはその言葉をグッと奥歯を噛み締めて堪えた。ハイネには絶対に言ってはいけない言葉だ。
 ローガン・ハイネが溜め息をついた。元ドーマーの最後の希望に折れたのではなく、ケンウッドの人情の深さに負けたのだ。

「わかりました。レインの外出を許可します。しかし、指図は長官、貴方からお願いします。私には維持班出身の元ドーマーとの職務外の関係がないのです。私的な外出となりますから、執政官からの指図としてレインに許可を与えて下さい。執政官なら、効力切れ休暇中の外出の対処方法もご存知でしょう?」



2019年4月6日土曜日

誘拐 2 2 - 9

  FOKとトーラス野生動物保護団体の両方に繋がりを持つ、セント・アイブス・メディカル・カレッジの医学部長ミナ・アン・ダウンは、取り調べ中だ。彼女は一貫してライサンダー・セイヤーズを名乗る若者に騙され、セイヤーズ誘拐計画に荷担させられたと主張している。
 トーラス野生動物保護団体は、パトリック・タン・ドーマー誘拐に関与したことを認めようとしない。遺伝子管理局がタン救出の際に撮影した画像を提示されても、知らぬ存ぜぬを貫いている。
 もっとも、この件に関しては、遺伝子管理局がタンの体に残された人間の体液や皮膚に残った指紋を提出したので、これから容疑者の特定に入るところだ。遺伝子管理局は当事者になるので、DNA鑑定が出来ない。ドーム内では既にしてしまったのだが、裁判には使えないのだ。だから、タンを暴行した犯人も判明しているのに、警察にも連邦捜査局にもその名前を教えることが出来ないし、捜査当局も尋ねることが出来ない。
 トーラス・野生動物保護団体ビルに侵入して、遺伝子管理局の3人に銃撃したジョン・モアとガブリエル・モア兄弟は黙秘している。ガラス壁に残った銃弾とジョンが所持していた銃は照合され、その銃から発射された弾丸だと鑑定された。銃にはジョンの指紋が残っている。
 献体保管室にあった2少年の遺体は遺伝子管理局によって保護されたクローンで、FOKに誘拐され行方不明となっていた子供達だと判明した。死因は窒息死だが、扼殺ではなく、酸素供給を絶たれたからだろう。彼等を運び込んだ人物や日時は不明だが、大学の記録では、3日前は献体は一体もなかったことになっている。
 警察ではビルの警備システム室の映像を押収して調べているところだ。
   ケンウッドは遺伝子管理局に警察の捜査に口出しするなとはっきりと命じた。ドームは捜査機関ではなく、メーカーの摘発以外の警察活動はしない。北米南部班チーフ、ポール・レイン・ドーマーもそこのところは理解しており、部下を傷つけられて不満はあるが命令に逆らうつもりはなかった。上層部が気がかりなのはレインの秘書ダリル・セイヤーズ・ドーマーで、彼は多くの点で事件に関わっていたので、外部の捜査機関と行動を共にしたい様子だ。保安課がセイヤーズがセント・アイブス出張所で待機している囮捜査官ロイ・ヒギンズと数回連絡を取り合っていることをハイネ局長に報告したが、ハイネは「そうか」と言っただけだった。セイヤーズが具体的な行動を起こさない限りは見守る魂胆だ。
 ハイネと何とか仲直りしたケンウッドは、気分的にやっと研究に戻れると思った。ところが、遺伝子管理局長第2秘書アルジャーノン・キンスキーから緊急連絡が入り、彼の心は再びドームの外の世界に引き込まれた。
 ドームを去って外で生活している元ドーマー達の動向をモニターしているキンスキーの連絡内容は深刻なものだった。

「ポール・フラネリー元ドーマーが、危篤状態です。」

 危篤状態の元ドーマーが自身で連絡を寄越す筈がないから、これはフラネリーがドームと関係が深いことを知っている長男で現職アメリカ合衆国大統領のハロルド・フラネリーが内密に連絡してくれたのだ。
 ケンウッドはびっくりした。フラネリーとは20年近く昔に一度会ったきりだが、面倒見の良い好感が持てる男だった。そして上院議員と言う立場をフルに活かしてドームに便宜を図ってくれた。息子のハロルドもそれを踏襲している。さらに、フラネリーはポール・レイン・ドーマーの実父だ。

「病気だったのか?」
「老衰と内臓の機能低下です。恐らく二日と保たないかと・・・」

 フラネリーは外の世界では60代か70代で通しているが、実際は80歳だ。大異変の後で短くなった地球人の寿命では長生きした部類に入る。ドームに残っていれば、もっと長生き出来ただろうが、これが彼の選択した人生だった。

2019年4月4日木曜日

誘拐 2 2 - 8

 入院した遺伝子管理局員の見舞いをしても良いかとケンウッドが尋ねようとした時、食堂の入り口にハイネ局長が現れた。目敏く見つけたヤマザキが手を挙げて合図したので、ハイネは、そのつもりはなかったのかも知れないが、ケンウッドとヤマザキのテーブルにやって来た。ドーマーは執政官に逆らわないのだ。
 トレイをテーブルに置いて着席したハイネに、ヤマザキが言った。

「患者の見舞いに来たのはネピアだったな。」
「私が動くと、騒ぐ方がいらっしゃいますので。」

 ハイネが皮肉を言う時は機嫌が悪い時だ。ケンウッドは溜め息をついた。

「君は目立つからね。髪の毛が黒か茶色なら、お忍びも出来るだろうけど。」

 ヤマザキがケンウッドの下手な冗談を笑ってくれた。そしてハイネに言った。

「患者は神経質になっているので、暫く面会謝絶にする。精神的に落ち着くのを待つだけだから、身体的には危険はないと安心してくれ。面会は長官も駄目だぞ。」
「えっ! 私も駄目なのか?」

 ケンウッドは少々がっかりした。死にそうな程恐怖体験をした若いドーマーを励ましてやりたかったのに。ハイネは黙って首を振っただけだった。
 パトリック・タンの身体的な傷の状態は既にヤマザキから所見が届いていたので、ハイネもケンウッドもそれを読んでいた。タンは殴られ、随所に内出血が見られたが骨折はなかった。一晩暖房のない部屋で半裸のまま放置されていたので体が冷え切っていた。救出されてセント・アイブスの出張所からヘリコプターで運ばれる間、彼はリュック・ニュカネンが気を利かせて全身を包んでくれたヒートテックの毛布で命を繋いだのだ。
 だがタンを苦しめたのは身体的苦痛ではなく、精神的な傷だった。彼を誘拐した人物は彼を強姦した。欲望を満たす目的もあったが、拷問も兼ねていた。タンはマザーコンピュータのアクセスコードを尋問されたのだ。しかし、平の遺伝子管理局員であるタンはアクセスコードを知らなかった。どんな酷い目に合わされても、彼はコードを言えなかったし、また知っていたとしても言うつもりはなかった。言ってしまえば殺されると思ったのだ。彼は耐え抜き、心身の苦痛に耐えきれずに気絶した。そして目が覚めた時は静音ヘリで運ばれる最中だった。彼は混乱し、同僚のケリーさえ識別出来ずに錯乱して麻酔を打たれた。次に目覚めた時はドームの医療区の病室だった。処置を施されている途中で、彼は再び錯乱に陥りかけて軽い鎮静剤を打たれた。ようやく落ち着きを取り戻した彼は、ヤマザキに敵から受けた仕打ちを語ったのだ。

「今パットに必要なのは、ひたすら眠ることだ。体の疲労を取る。それから心の治療だ。彼の身に起きたことは、出来るだけ情報拡散を抑えて欲しい。彼は敵に捕まったことを己のミスとして悔やんでいるから。」

 ハイネが低い声でヤマザキに言った。

「タンの現場復帰の時期は、貴方に任せます、ドクター。彼自身が仕事に戻れると判断したら、本部に来させて下さい。彼にどんな仕事をさせるか、それは直属の上司であるレインに任せます。」
「うん、それが良いと僕も思う。今まで通りに扱ってやる方が彼は気が楽だろう。」

 2人の会話を聞いて、ケンウッドはパトリック・タンは長官の見舞いを必要としていないだろうと考え直した。ハイネ局長が見舞わないのに長官が見舞えば、タンは気が重いだけだ。
 それより、今は別の人間の心の傷を何とかしなければ。
 ケンウッドは局長に向き直った。

「ハイネ、君の隠し事を叱ったことを私は後悔していない。だが、君が昨日から部下達を心配して落ち着かなかったことに気が付かなかったのは、私の落ち度だ。君が部下を見舞って大騒ぎする筈の私が、肝心の君が元気がないのに気にしなかった。申し訳ない。」

 ケンウッドの謝罪に、ハイネはこう応えた。

「ただ待つ為だけの遺伝子なんか糞食らえですよ。 はしたない言葉を使って申し訳ありません。」

 ヤマザキが笑い、ケンウッドは腕を伸ばしてハイネの手を軽く叩いて「お仕置き」をした。


2019年4月3日水曜日

誘拐 2 2 - 7

 医療区長ヤマザキ・ケンタロウが一般食堂へ遅い昼食を摂りに行くと、ケンウッド長官が一人ポツンと座っているのが見えた。長官の前のテーブルには空になった食器が並んだトレイが置かれている。近づくとケンウッドは端末で何かの書類を読んでいた。
 ヤマザキはトレイを彼の向かいに置き、故意に音を立てて椅子を引いた。ケンウッドがハッとした様に顔を上げた。ヤマザキが声を掛けた。

「今日は一人かい、ケンさん。ハイネはもう昼寝に行ったのかね?」

 ケンウッドは小さな溜め息をついた。

「ハイネは来ていない。中央へ行ったのかも知れない。」
「珍しいね。今日はサヤカは出産管理区から出てこないのに。」
「そうじゃないんだ・・・」

 ケンウッドは自身の端末をヤマザキの方へ押し出した。

「遺伝子管理局ぐるみで隠し事をしたので、局長を叱ってしまった。彼は気を悪くしたと思う。」

 ヤマザキは長官の端末の画面を見た。それはハイネから送られてきた、昨日から今朝にかけて起きた事件の顛末を詳細に記した報告書だった。ヤマザキはそれをたっぷり10分かけて、但し食事をしながら、読み通した。読み終わって端末をケンウッドに返そうと顔を上げると、長官と目が合った。ケンウッドが尋ねた。

「君は知っていたのだろう? 昨日からハイネと暗号みたいな会話をしていた。」
「僕は、ハイネから救急患者の受け入れの用意が整っていることの確認されただけだよ。」
「救急患者?」
「つまり、外勤務の局員が負傷したか急病に罹ったと言う意味だと捉えた。まさか、こんな・・・」

 ヤマザキは端末の画面を目で示した。周囲にはまだ人がいたので、直接的な表現は避けた。

「緊迫した事態になっていたなんて、想像していなかったさ。」
「私は航空班から遺伝子管理局が静音ヘリを無断使用したと抗議を受けて、初めて事件が起きていることを知った。それも無断使用の理由をハイネに問い詰めて、質問責めにしてしまったのだ。」

 フッとヤマザキが苦笑した。

「執政官に知られたくなかったんだよ、彼は。特にケンさん、君にね。君はドーマーが傷つくと自分の身を傷つけられたみたいに苦しむから。」
「わかっている。」

 ケンウッドは己に腹を立てていた。

「最初は隠し事をされて腹が立った。だから局長を叱ってしまった。ハイネは言い訳一つしなかった。ただ報告を忘れていました、の一点張りで・・・セイヤーズを危険な任務に出したことすら黙っていたんだ。私に心配をかけまいとして。」
「君は彼を叱ったことを後悔しているのかね?」

 ヤマザキは最後の食べ物を水と一緒に流し込んだ。

「ハイネは昨夜から様子がおかしかっただろう?君も気が付いた筈だよ。」
「ああ・・・そう言えば・・・」

 ケンウッドは昨夜の夕食の席を思い出した。

「どうしたのかと尋ねたところへ、君が来て邪魔をしたんだ!」
「僕のせいかい?」

 ヤマザキが吹き出した。夕食の席でハイネは患者を医療区へ届けると断言した。ケンウッドは聞いていた筈だ。しかしツッコミを入れなかった。

「君は上司として当然の叱責をしたんだ。ハイネは叱られることを覚悟していたさ。だから君がクヨクヨする必要はない。ハイネだって根に持ったりしていないよ。」

 そして医療区長としてヤマザキは報告した。

「患者は無事到着して、傷の処置も上手く行った。後は本人の精神力の問題だ。同じく帰還した2名のドーマーはどちらも異常なし。これから帰って来る連中からも医療関係の報告はないから、大丈夫だ。残るは・・・まぁ、昼飯に来ない局長の胃の調子がどんなものか、それが気掛かりだな。」


誘拐 2 2 - 6

 若くて経験の浅い局員には叱責よりも励ます方が堪える。それにハイネの言葉はジョン・ケリーの心中をズバリと言い当てた。ケリーはタンと逸れたことをずっと悔やんでいたのだ。セイヤーズもレインもクロエルも彼の責任ではないと言い聞かせたのだが、若者はずっとクヨクヨ悩んでいた。だから最高責任者である局長から、過去ではなく未来をどうするか指示を与えられ、少し気が楽になった。
 それは、立ったまま局長の言葉を聞いていたダリル・セイヤーズも理解した。

 さあ、次は己の番だ。

 彼は腹をくくって立っていた。
 ローガン・ハイネ遺伝子管理局局長は再びキーを叩きながら言った。

「航空班から君の違反行為に対する苦情が3件届いている。静音ヘリの無断使用、無免許操縦、無許可フライトだ。」

 こんな場合、ひたすら謝ると言うことを、セイヤーズは幼少の頃から実行してきた。

「申し訳ありません、一刻も早くタンを救出しなければと気が逸って、周囲の迷惑を顧みず身勝手な行動を取ってしまいました。チーフ・レインからもきつく叱られました。」
「確かに、レインから『叱っておきました』と報告が来た。」

 ハイネ局長は、幼馴染みで恋人のレインの小言などセイヤーズが屁とも思っていないことを承知していた。この能天気な男をどう諭してやろうか?

「君自身は事の重大さを全く理解しておらんようだ。」
「・・・と仰いますと?」
「ほら、その態度!」

 ハイネは顔をセイヤーズに向けた。

「軽ジェット機より高価な静音ヘリを乗り逃げしたと言う、しょーもない違反では済まないことを君はやったんだぞ!」

 ライサンダー・セイヤーズ製造費より高価なヘリコプターを無断で操縦したことより大きな問題って何だ? セイヤーズはぽかんとして上司を見つめた。
 ハイネ局長は哀しげな顔をした。

「君は何故進化型1級遺伝子保有者がドームから出してもらえないのか、理解していないのか?」
「それは・・・本来地球人にはない遺伝子が拡散するのを防ぐ為で・・・」
「だから、何故そんな遺伝子が地球に存在してはならないと考えられるのか、わからないのか?」
「・・・」

 セイヤーズは今朝トーラス野生動物保護団体ビルに侵入した時にクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが言ったことを思い出した。ビルの厳重なセキュリティシステムをいとも簡単に無力化してしまった彼を見て、ワグナーは「なんで貴方がドームから出してもらえないのか、よ〜くわかりました。」と言ったのだ。

「でも、セキュリティシステムは宇宙にもあるし・・・」
「宇宙船操縦士はな・・・一生宇宙船の中で過ごすんだ。彼等はコロニーには住まないのだ。生まれてから死ぬ迄、機械に囲まれて過ごすのだ。」
「・・・」
「君は人間が好きだろう? 機械相手に一生過ごすより、レインやワグナーと一緒に働いていた方が楽しいだろう?」
「勿論です!」
「だったら、そのずば抜けて優秀な脳をもっと鈍らせておけ。今回の行動が執政官達に知られたら、観察棟に幽閉されて2度と外に出られなくなるぞ。」

 セイヤーズは心から反省した。ローガン・ハイネ・ドーマーが彼のことを心底心配してくれていることを理解したからだ。局長が怒っているのは、彼の違反行為ではなく軽率さに対してだったから。

「本当に申し訳ありませんでした。2度としません。」

 しゅんとしたセイヤーズを数十秒間ハイネは見つめた。
 やがて、彼は口元に優しい微笑を浮かべた。

「これに懲りてくれぐれも自重しろ。タンを無事救出した功績に対して今回のことは不問にする。航空班には私から謝っておくが、君も今からすぐに謝罪文を班長に書いて送れ。さもないと次回から外での移動は動物用貨物室に乗せられるぞ。」

 ドームの航空班の主たる仕事は、全米から妊産婦を無事にドームと居住地の間を送迎することだ。遺伝子管理局の送迎は彼等にとって「ほんの手間仕事」に過ぎない。その「手間」に面倒を掛けられたくないのだ。
 セイヤーズは小さくなったまま、局長執務室を退出し、言われたことをする為にポール・レイン・ドーマーのオフィスに向かった。当分は自粛だ。

2019年4月2日火曜日

誘拐 2 2 - 5

 ハイネは局長執務室に戻ると机の前に座った。早食いでその名を轟かす第2秘書のアルジャーノン・キンスキーは既に昼食から戻っていて、彼は執務室で昼寝をするつもりだったのだが、局長が戻って来てしまったので自分の机の前に座った。部屋から出て行っても昼休みなので上司は文句を言わない筈だが、なんとなく休みを取るのが悪いような気がしたのだ。ハイネの全身から怒りのオーラの様な雰囲気が発せられていたからだ。
 実を言うと、今回の誘拐事件が思いがけない方向からケンウッド長官にバレてしまったのだ。ダリル・セイヤーズ・ドーマーが無断借用した静音ヘリを管理する航空班が長官に遺伝子管理局の「横暴」を訴え出てしまった。ケンウッドは打ち合わせに現れた遺伝子管理局長にヘリコプターの使用目的を尋ね、パイロットを乗せずに飛ばした理由を尋ね、セイヤーズを外に出動させた理由を尋ね、パトリック・タン・ドーマーが何者かに拉致された事実を知ってしまったのだ。
 当然のことながら、ケンウッドはハイネを叱責した。ドーマーが危機に陥った事実を隠していたことを怒ったのだ。ハイネは言い訳をしなかった。地球の再生プロジェクトの大詰めを迎えているケンウッドの心を乱したくなかった、と言えなかった。言えばケンウッドが哀しむとわかっていた。
 黙って叱られているハイネを見ているうちに、ケンウッドは冷静さを取り戻した。ハイネも部下達も執政官に叱られるのが嫌で失敗を隠したのではない。それは彼も理解出来た。コロニー人の手を煩わせたくなくて、自分達だけで解決しようとしただけだ。実際、ハイネは告げたのだ。

「タンは救出され、数分前にゲートに到着しました。」

 ケンウッドは黙り込み、それから命じた。

「事件の経緯を報告書にまとめて提出してくれないか。それを読んでから、君達の処分を決める。」

 だからハイネは昼休み返上で報告書の作成に取り掛かったのだ。
 セイヤーズ・ドーマーとケリー・ドーマーが入室した時も彼はまだ文章を書くことに取り組んでいた。キンスキーが2名の部下を会議テーブルの前で待機させた。若いドーマー達は局長の怒りの雰囲気を感じ取り、大人しく立ったまま声をかけられるのを待った。
 たっぷり5分間待たせてから、やっと局長が声を発した。

「ジョン・ケリー・ドーマー、同僚が災難に遭ったからと言って自身を責める必要はないぞ。」
「えっ?・・・あの・・・」

 ケリーはもじもじした。

「パトリック・タン・ドーマーが攫われたのは、彼自身に油断があったからだ。君が責任を感じていると知ったら、パットの立つ瀬がないだろう。」

 ハイネは顔を上げた。緊張で顔を赤くした若いケリーの目を見た。

「今、医療区から簡単なタンの診療所見が届いた。身体的拷問を受けていた。恐らく、精神的なダメージが残るだろう暴力だ。」

 セイヤーズもケリーも彼が言っている意味を悟った。ケリーが両手をグッと握りしめた。ハイネはまた画面に視線を戻した。

「パットを哀れむな。あれは今混乱しているが、静養すればすぐに立ち直る。君が同情するのは却って迷惑だろう。君がやるべきことは彼の身に起きたことを忘れてFOKを倒すことだ。」

 ケリーは大きく息を吐いた。そうやって感情の爆発を止めた。そしてかすれた声で応えた。

「わかりました。では、これからも囮捜査に協力するのですね?」
「他の局員達は引き揚げさせる。遺伝子管理局の仕事を停滞させる訳にはいかない。しかしヒギンズの捜査にはまだ本物の局員のサポートが要るだろう。君は当分専属で彼について行くが良い。レインには私から話しておく。」
「了解しました。」
「オフィスに戻って報告を作成しろ。終わったら休め。」

 ケリーは「失礼します」と挨拶して、セイヤーズに頷いて挨拶がわりにすると、部屋から出て行った。

2019年4月1日月曜日

誘拐 2 2 - 4

 ハイネ局長が定例の打ち合わせ会で中央研究所の長官執務室に向かった直後に、航空班からセイヤーズが操縦する静音ヘリがドーム空港に戻って来たと連絡が入った。ネピア・ドーマーは第2秘書のキンスキー・ドーマーに留守番と定刻になれば昼休みにして良いと伝えて、局長執務室を出た。
 送迎フロア迄は遠いが、外からドームに戻って来た者は必ずゲートで消毒を受けるので、ネピアが急ぐ必要はなかった。それでも彼は颯爽と歩き、歳を取っても若々しいところを年少の連中に見せつけた。
 送迎フロアに到着すると、彼は係官に帰還者は中に入ってきたかと尋ねた。係官はまだ消毒中です、と答え、局長秘書が出迎える相手は何者だろうと思った。暫くしてセイヤーズとケリーの若い遺伝子管理局員が入って来た。ケリーはまだ若いし平の局員なので、局長秘書に馴染みがなかったが、班チーフ付き秘書のセイヤーズはネピアに気がつくと立ち止まった。
 ネピアがセイヤーズを気に入らないのと同様に、セイヤーズもネピアを苦手に感じていた。秘書会議ではいつも無視されるか意見されるか、叱られるか、なのだ。その上、今回はヘリの無断使用をしてしまったので、叱責されるのは避けられなかった。

「セイヤーズ、ケリー、只今戻りました。」

 セイヤーズの改まった口調で、相手が偉いさんだと気が付いたケリー・ドーマーも立ち止まった。何と言うべきかわからなかったので、取り敢えず名乗った。

「北米南部班第1チーム、ジョン・ケリー、只今戻りました。」

 ネピア・ドーマーは値踏みするかの様に2人をジロジロと眺め、やがて頷いた。

「両名共に怪我はないようだな。」
「はい、お陰様で・・・」

 セイヤーズが何か言いかけたが、ネピアは手の動きで待機を命じた。そして端末を出すと、ハイネにメッセを送った。

ーーセイヤーズとケリーは無事に帰還しました。

 そして顔を上げると、どちらにでもなく尋ねた。

「パトリック・タンはまだ消毒中か?」

 セイヤーズが答えた。

「はい。怪我をしているので、消毒を慎重に行ってもらうよう、消毒班に頼みました。」
「わかった。」

 その時、ハイネから返事が来た。

ーー部屋に戻る。2人を寄越してくれ。

 今日の打ち合わせは短ったのか。ネピアは、了解と返事を返し、セイヤーズとケリーに局長執務室へ出頭せよと命じた。ヘリの無断使用をしたセイヤーズと、同僚と逸れたばかりにその同僚を危機に陥らせてしまったケリーは、表情を硬くして本部に向かって歩き去った。
 ネピアがその後ろ姿を見送りながら溜め息をついた時、医療区から負傷者を迎えに救護係のドーマー達がやって来た。

「患者は急病人ですか? それとも怪我人?」

 ヤマザキがケンウッドを誤魔化す為に遺伝子管理局員に急病人発生などと言ったものだから、情報が混乱している様だ。ネピアは負傷者の受け入れ態勢を要請したのに、と思いつつ、辛抱強く言った。

「怪我人だ。恐らく外の人間から暴力を受けている。」

 救護係達はネピアが局長秘書だと気が付いた。お偉いさんが出迎えると言うことは、負傷者は重い傷を負ったらしい、と彼等は推測した。

「ストレッチャーが出て来たら、大至急医療区へ運ぶぞ。」
「OK!」

 若者達は全身のエンジンを掛けた状態でゲートの扉を見つめた。