2019年5月11日土曜日

訪問者 2 3 - 1

 翌朝、ローガン・ハイネ・ドーマーはいつもの時刻に起床すると運動着に着替え、ジョギングに出かけた。軽く走り、運動施設に到着し、今度は闘技場へ入った。道着には着替えず、そのまま利用手続きを済ませて、一人闘技場のリングに立った。演武の練習だ。早朝なので運動施設を利用しているのは夜勤帰りのドーマーか、夜通し研究室で働いていたコロニー人ぐらいだ。日勤の者達が出てくるのはまだ早過ぎる時刻だった。
 ハイネはリング周りに数人の男達が来て彼の練習風景を見物しているのを意識した。普段は気に留めないのだが、この日は違った。彼は人を待っていた。昨夜、長官執務室を出たところで出会った執政官に頼みごとをした。彼が闘技場で練習をすることを、視察団にそれとなく伝えて欲しい頼んだのだ。執政官は人々の注目を集めることを避けているハイネがそんな頼みごとをしたので、訝しがったが、そのうち彼の意図を察した。

「局長、危険なことは止めて下さいよ。」

とその執政官は忠告した。

「貴方はこのドームにとって重要な人だ。相手は貴方のお歳を信じていない。無茶を仕掛けてくるでしょう。」
「お気遣い有り難うございます。しかし、私は勝ち負けを問題にしていません。相手に恥をかかせたいだけなのです。適当に手を抜きますよ。」

 ケンウッド長官に知れたら、絶対に止められるので、ハイネもその執政官も黙っていた。幸い、ケンウッドは2人のセイヤーズの問題で頭がいっぱいだったので、晩餐会の会場で白いドーマーが現れる場所が判明したと囁かれるのを聞き逃した。
 リング周辺の見物人の輪が崩れ始めた。保安課のドーマー達が出勤する為にロッカールームへ移動始めたのだ。その人の流れの向こうに、こちらへ近づいて来る男の姿があった。運動着を着ているが、その服の下の筋肉のつき方が半端でない。事務方で仕事をしていると聞いていたが、普段から鍛錬を欠かさないのだろう。上手く餌に食いついたな、とハイネが思った直後、思わぬ声が接近する男の背後から聞こえた。

「おはようございます、局長。お早いですね!」

 接近しつつあった男が立ち止まって、後ろを振り返った。ハイネも動きを止めて、声の主を見た。

「おはよう、レイン。もう君が走る時刻なのか。」

 何故お前がここにいるのだ? とハイネは内心苦々しく思った。ポール・レイン・ドーマーはまだアパートにいなければならない。中央研究所から戻った筈のダリル・セイヤーズ・ドーマーが休息する間、そばに付き添ってやって欲しかった。それなのに、この瞬間、レインはハイネが打ちのめそうと狙っているコロニー人の軍人の後ろに立っていた。

「レイン?」

 ハイネの声を聞いて、アンリ・クロワゼット大尉が目を見張った。

「あのスキンヘッドの『美人』なのか?!」

 髪の毛があるレインを見て、驚いていた。ポール・レイン・ドーマーは最近髪を伸ばし始めた。恋人セイヤーズを取り戻し、ドームの行政府に対する反抗心が和らいだのだ。それに彼は自身の緑色に輝く黒髪が、セイヤーズが作り育てたクローンの息子のもう一人の親がレインなのだと周知させたかったのだ。
 レインが闘技場に現れたのは偶然だった。この男は子供時代から生活習慣を変えずに生きてきた。早朝ジョギングは彼の生活になくてはならない一行事だ。だから眠るセイヤーズをアパートに置いて、彼は出かけた。そしてクロワゼット大尉が闘技場に向かっているのを発見した。そして闘技場のリング上には、ローガン・ハイネが純白の髪を波打たせながら、素晴らしい筋肉美を披露しながら演武の練習に励んでいた。
 クロワゼットは真っ直ぐリングに向かって歩いていた。この軍人は以前の訪米の折にもハイネとの格闘を希望した。しかしヤマザキ医療区長が反対し、ハイネも体調不良を理由に断った。勿論、ハイネは無駄な闘いを避けたのだ。レインは聡い男だったので、それを理解出来た。しかし今回、ハイネは前夜退院して、早朝から運動に励んでいる。クロワゼットが模擬試合を申し込んでくれば拒否出来ないだろう。
 レインはクロワゼットが自分に注意を向けた隙に局長に消えてもらいたかった。クロワゼットごときくだらぬ男に、ドームのスターが相手をする必要はない。それがレインの持論だ。しかし、ハイネは複雑な表情を一瞬浮かべ、レインに言った。

「そろそろ打ち合わせの時間だろう、レイン。」
「局長も・・・」

 ドーマー達に無視されていることも気にせずに、クロワゼット大尉はレインに近づこうとした。2年前にキスを奪ったドーマーが髪を伸ばして美しさを増している。
 その時だった。

「ポール、情報管理室から緊急の呼び出しだ!」