2019年5月3日金曜日

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 ケンウッドはヤマザキを裏切ることにした。視察団訪米の前日、打ち合わせ会を早々に切り上げてゴーン副長官を彼女の執務室に帰らせた後、彼は足止めしたハイネと共に月のベルトリッチ委員長に通信を送って画面で面会した。委員長が画面に現れる前に、彼はハイネにオヤツを食べないようにと忠告した。

「ケンタロウが君の捕獲に下剤を使うつもりだ。」

 ハイネが笑った。

「ご忠告有り難うございます。腹痛は嫌ですからね。オヤツの前に医療区に出頭しますよ。」

 ベルトリッチが画面に現れた。ケンウッドとハイネが揃っているのを確認してから、彼女は固い表情で告げた。

「個人的にダリル・セイヤーズと会いたがっている出資者がいます。」
「個人的にですか?」
「貴方は一度会ったことがあります。火星第2コロニーの行政長官でスパイラル工業のCEO、アリス・ローズマリー・セイヤーズです。」

 宇宙では知らない人がいない程の有名な女性だ。地球人には馴染みが無い筈だったが、ハイネが反応した。

「セイヤーズ? ダリル・セイヤーズの母親のオリジナルですか?」

 ケンウッドはハッとした。と言うより、頭を後ろからポカリと殴られた気分だ。そうか、そうだったのか、と思った。数年前に月で顔を見た時、何処かで会ったことがあるとぼんやり感じた。その時は有名人だからメディアで見た彼女を、会ったことがあると錯覚したのだと思った。だがメディアで見たのではなかった。当時脱走中だったダリル・セイヤーズの少年時代の顔が記憶の底にあったからだ。セイヤーズは母親似だったのだろう。だから、母親のオリジナルにも似ているのだ。
 ハイネはコロニー人の情報など知らない。だが遺伝子管理局長なので、ドーマー達の母親のオリジナルに関する情報は得られる。進化型1級遺伝子で危険値S1保有者であり、脱走者だったダリル・セイヤーズの情報はしっかりと覚えていた。
 ベルトリッチ委員長が頷いた。ハイネがアリス・ローズマリー・セイヤーズを知っていたので説明が省けたと思ったのだろう。

「セイヤーズ女史がセイヤーズ・ドーマーと個人的に面会したいそうです。」
「ドーマーの母親のオリジナルがドーマーに面会を希望するのは異例ではありませんか?」

 ケンウッドはまた不安になった。オリジナルのコロニー人は自らのクローンやクローンの家族に関心を持たない約束だ。地球人がコロニー人のオリジナルの遺産相続権を持たないのと同様に、コロニー人は地球人の子孫を自身の子孫扱いしてはいけない契約だ。互いの人生に干渉してはいけない。それを前提に遺伝子を分けてもらうのだ。
 それなのに、自身のクローンが産んだドーマーに会いたいとは、どう言う了見だろう。
 ベルトリッチが言った。

「スパイラル工業は宇宙連邦の政治と経済に大きな影響力を持つ企業です。ある意味、陰の支配者と言っても良いわね。ただ、経営者一族は分別を持っているので、傲慢な振る舞いはしないし、金に明かした派手な生活もしていません。でも彼等に逆らうと得なことは何も無いと言うのも事実です。」
「それで、セイヤーズを彼女に会わせてどうせよと?」

 色々考えることがあるケンウッドに代わってハイネが質問した。

「今はただ会わせてくれと彼女は言っているだけです。」

とベルトリッチ。本当は全て知っているのに持ち札を見せない魂胆だ。

「会わせてこちらに何か得なことでも?」
「会わせたくない理由でもあるの?」
「ドーマーを執政官でないコロニー人に近づかせたくないだけです。」

 ハイネの言葉に委員長は少しだけ餌をちらつかせた。

「スパイラル工業は高額の寄付をしてくれました。」
「セイヤーズに会うためにですか?」
「そうです。」

 ベルトリッチはそれ以上は語らずに、ケンウッドに言った。

「本当は貴方だけにこの件を告げるよう、委員会は決めたのです。でも、貴方はきっとハイネに教えるでしょう。私達がこれから法律を曲げようとしていることを。」