2017年1月7日土曜日

誘拐 29

 セント・アイブス出張所所長リュック・ニュカネンは卓上テレビでミナ・アン・ダウン教授の保釈が認められたニュースを見ていた。教授とは彼がドームを出て出張所を構えて以来の長い付き合いだ。彼女はニュカネンがドーマーだと知ると急速に接近してきた。ニュカネンは堅物だ。女性に親切にされても嬉しくない。彼は妻を深く愛していたし、己が妻以外の女性に関心を持たれる容姿だとも思っていなかった。だから教授の接近は初めから胡散臭く感じていた。しかし遺伝子実験の許可申請に便宜を図って欲しいと言う類の接近だと思っていた。

 ドーマーを誘拐するなんて・・・クローンを創って自分の脳を若い肉体に移植するなんて・・・人間の考えることじゃない!

 もしかすると自分も狙われていたかも知れない、と想像すると気分が悪い。妻子に危害が及ぶ危険性も考えねばならない。ダウン教授夫妻には、監視を付けることにした。既に部下が拘置所へ出かけている。保釈されれば警護を理由についていくのだ。
 電話が掛かってきた。何気なく出ると、スカボロ刑事だった。

「所長、セイヤーズはあんたの所に来ているのかい?」

 この男はいつも無礼だ。ニュカネンは元ドーマーのプライドで一般警察を見下しているので、不快に思ったが、地元警察と仲良くしておくに越したことはない。
 彼はチラリと2階へ上がる階段を見た。

「ああ、来ているが?」

 2階には、セイヤーズに化けたロイ・ヒギンズ捜査官と、彼と組むことになったジョン・ケリー・ドーマーが居て、これからケン・ビューフォード判事に会いに行く打ち合わせをしていた。
 スカボロが尋ねた。

「まだそこに居るんだな?」
「ああ、居る。」
「良かった・・・」

 スカボロが安堵の声を出した。

「夕べの情報なんだが、ガセの可能性が高くなった。リトル・セーラムは2年前に廃村になっているんだ。食堂なんか誰も経営しちゃいねぇ。つまり、尋ね人の女もいないって訳だ。セイヤーズが行く必要はなくなったのさ。」

 ニュカネンはスカボロが言っている意味がわからなかったが、「わかった、伝えておく」と答えた。
 スカボロ刑事が話を終えて電話を切ると、ニュカネンは直ぐにドームに電話を掛けた。セイヤーズに掛けたのだが、先方が不在の場合、ドームのコンピュータは「登録代理人」に電話を廻す。そして第1登録代理人のレインも不在だったので、コンピュータは第2登録代理人に廻した。

「ワグナー・・・」

 気の好いクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが電話口に出た。ニュカネンは自身の端末を見てセイヤーズに掛けたことを確認して、相手が不在だと知った。

「セント・アイブス出張所のニュカネンだ。」
「先輩、おはようございます。」
「おはよう・・・セイヤーズは留守なのか?」
「ええ、早朝から出かけています。彼は直通番号に出ないのですか?」
「掛けたが、君に廻されたのだ。レインも留守だな?」
「彼は医療区に入院中です。10日は出て来ません。」
「10日・・・?」

 ニュカネンはハッとした。

「飽和を起こしたのか?」
「ええ・・・ドームの中で幸いでした。」
「全くだ・・・それで、セイヤーズは付き添っている訳ではないだろう? 何処へ行った? 直通番号に掛けられると都合が悪い場所か?」
「そんなはずはありませんが・・・先輩、ダリル兄は個人用と仕事用、どっちの番号を先輩に教えたんです?」
「仕事用だと思うが・・・」

 ニュカネンは今掛けている番号を読み上げた。「ああ」とクラウスが声を出した。

「それ、仕事用内線です。ドームの中にしか掛かりません。外線を教えましょうか? それとも僕から伝言しますか?」
「外線を教えてくれ。急ぐんだ。」

 ニュカネンはイライラした。ダリル・セイヤーズ・ドーマーには本当にいつもイラッとさせられる・・・。もっとも、ドーマーが持つ電話番号が1人4種類あることを失念していた自身にもイラッときていたのだが。