2017年1月3日火曜日

誘拐 24

 その日の午後、事務仕事を終えたダリルとポールはいつもの様にジムへ行った。それぞれ好きなトレーニングをしていたが、ダリルがふと見ると、ポールは運動を中断してベンチで休んでいた。

「なんだ、もう息が上がったのか?」
「なに、気分が乗らないだけだ。」

 と彼は言ったが、ダリルは敏感に彼の表情が冴えないことを見て取った。体調がすぐれないんだ、とわかったが、意地っ張りのポールにそれを認めさせるのは難しい。

「夕べ遅くまで外に居たから、疲れが残っているんだろう。アパートで夕食迄休めよ。君さえ良ければ、私が料理を作ってもかまわない。」

 しかし、ポールは端末を見るふりをして、JJの所へちょっと行ってくる、と言って立ち上がった。JJがデートの誘いをメールして来るのは大抵夕方だ。彼女は新しいプログラムの構築で忙しい。昼間は真面目に仕事をしているのだ。ダリルはポールが嘘をついたことを知っていたが、黙って行かせた。行き先が中央研究所ならば、隣は医療区だ。それに、夜間業務に就くファンクラブのメンバーが2,3人、ポールを見つけてついて行くのが見えた。ドームの中のポール・レイン・ドーマーは常に監視され警護されているも同然だった。
 それから1時間ばかりダリルが運動をした後、ジムの休憩所で水分補給していると、端末の緊急信号が点滅した。上司からの呼び出しかと思って画面を見ると、JJからだった。

「どうした、JJ?」

 すると電話の向こうでJJの翻訳機の声が叫んだ。

「ダリル父さん、早く来て! Pちゃんが大変なの!!!」

 機械の声が割れて聞き取りにくかったが、少女は確かにそう言った。
 ダリルは水のボトルをカウンターに置くと、運動着のままジムから飛びだした。

 ドームの中を全力疾走する人間など滅多にいない。たまに事故が起きて救護班か保安課が走る程度だし、彼等は本当の緊急時にはコロニーの低空飛行艇を使う。ダリルが駆け抜けると、人々は驚いて立ち止まり、彼を見送った。
 中央研究所の前でダリルは立ち止まった。息を弾ませながら、JJに電話を掛けた。

「JJ、今何処だ? 君の研究室か?」
「医療区よ!」

 また走った。医療区の入り口に駆け込むと、すぐ保安課に捕まった。ダリルは大声を出すまいと努力しながらも抵抗しながら尋ねた。

「ポール・レイン・ドーマーは何処だ?」
「落ち着いて・・・」

 保安課は彼が来るのを見越していた様だ。

「すぐ執政官が来る。ロビーで待っていろ!」

 ダリルは周囲を見回した。外の世界の病院と違って患者が歩き回っていると言う訳ではないが、スタッフ達がこちらを見ているのが目に入った。慌ただしい様子はなさそうだ。
ダリルは体の力を抜き、保安課の手から解放された。
 奥からJJと彼女が仲良くしているメイと言う女性執政官が現れた。JJはダリルを見つけると駆け寄って来た。彼に抱きつき、泣きだしたので、ダリルはメイを見た。メイがそばに来た。

「驚かせたみたいね。」

とメイがダリルに言った。

「JJが取り乱したので、私が貴方に連絡するのを忘れてしまったの。謝るわ。」
「レインが倒れたのですか?」
「ええ・・・抗原注射の飽和を起こしたのよ。」

 ああ、とダリルは納得した。もうそろそろだ、と長官も局長も言っていたのだ。

「本人はまだ大丈夫と自分に言い聞かせていたのね。JJに会って気分転換しようと思ったらしいわ。だけど、限界に来ていた・・・中央研究所の私達の研究室で意識が混濁してしまったの。」
「私は飽和の経験がありませんが・・・この後、どうなるのですか?」
「半日ほど寝ているでしょう。それから目覚めるとちょっと理性を失って暴れ始めます。」
「禁断症状ですか?」
「そうですね・・・苦しいでしょうけど、3日ばかり耐えてもらわないと、これ以上薬は与えられませんから。ですから、彼を特別室に軟禁しました。薬剤が抜ける迄、面会謝絶です。抜けたら・・・」
「抜けたら?」
「『通過』をさせます。最低10日は、彼を仲間から隔離しますから・・・」

 メイはハイネ局長にも同じ説明をしなければならないと気が付いた。

「セイヤーズ・ドーマー、貴方からハイネ局長に連絡して戴けると助かるんですけど?」
「わかりました。」

 ダリルは、彼女に確認をしてみた。

「ケンウッド長官には連絡済みなのですね?」

 メイは「アッ」と口に手を当てた。

「忘れてた! 副長官にも言わなきゃ・・・」