2018年6月3日日曜日

待機者 1 - 1

 大富豪の視察団が5日後に地球へ降りて来ると告げた時、遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーは一言「そうですか」と言ったきり黙り込んでしまった。視察団が来るとドームは局長を医療区に強制入院させて視察団と接触しないように計らう。局長がまだ少年期の時、視察団との間でトラブルがあり、2度と繰り返さないように、それ以来ずっとその措置を取っている。だからハイネは慣れている筈だ。

 そう言えば、この数日ハイネは大人しい・・・

 南北アメリカ大陸ドーム長官のニコラス・ケンウッドは親友の様子がおかしいことに気が付いていた。局長は日常業務を普通にこなしているが、オフの時間はあまり動かない。食堂でポツンと1人で座っているか、図書館の個別ブースでじっとしているかだ。運動施設に行っても1時間もすれば帰ってしまう。
 昼前の打ち合わせ会の後で長官と局長は一緒に昼食を取ったが、局長はあまり食べず、珍しく残して「お先に失礼します」と言った。ケンウッドは思わず声を掛けた。

「体調が悪いのか?  庭園の昼寝は止めてアパートで横になったらどうだ?」

 いつものハイネだったら鼻で笑い飛ばすのに、その日、彼は

「そうします。」

と呟いて歩き去った。
 ケンウッドは医療区長のヤマザキ・ケンタロウに電話を掛けた。ハイネの様子がおかしいと懸念を伝えると、けしからんことにヤマザキに笑い飛ばされた。

「ハイネは寂しいんだよ。サヤカが重力休暇を取ってもう2週間留守にしているから。」
「2週間だって?」

 ケンウッドは思わず眉を顰めた。執政官は重力休暇を最低年2ヶ月取ることを義務付けられている。しかしアイダ・サヤカ出産管理区長は毎月3日、定期的に取っているだけだ。月へ行って、子供や孫達と会って、また戻って来る。それなのに、今回は違った。
アイダは、年老いた母親が長くないと連絡を受けて看病の為に火星へ帰ったのだ。火星の姉からの連絡では、今日明日にも危ないとのことだったが・・・。

「しぶとい年寄りで、持ち直しました。ですが、いつ容体が急変するとも限りません。そばについてやって欲しいと病院に言われまして・・・」

 最後の連絡で、アイダはケンウッドにそう告げた。彼女は地球勤務が長い。ずっと母親から離れて暮らしてきた。最後の数日だけでもそばに居てやりたいと思ったのだ。医師から長く持って4、5日と言われたのに、まだ戻って来ないところを考えると、母親はかなり強い心臓を持っていると思える。
 宇宙からドーマーに直接連絡を取ることは許可されていない。それにハイネとアイダが夫婦であることはケンウッドとヤマザキしか知らない秘密なのだ。だから、アイダは母親の容態を夫に教えることが出来ない。まだ帰れないと謝ることも出来ないし、ハイネが妻を励ますことも出来ない。
 ドーマーだって人間だ。肉親を知らず、肉親を失う悲しみに無縁だと考えられているが、それは間違いだ。彼等は部屋兄弟を肉親以上に愛しているし、友人や部屋兄弟を失う悲しみも辛さも知っている。ハイネは妻の帰りが遅いことが不安で辛いのだ。彼女がきっと死に行く母親の元で辛い悲しい思いをしているのだろうと想像して、彼も悲しいのだ。

 彼女が戻って来る迄、こっちは黙って彼を見守るしかないのか・・・

 ケンウッドは溜め息をついた。アイダに早く帰れと言うことは、母親が早く永眠してくれと言うことになってしまう。だからハイネは一言もそれに触れないのだ。

「ハイネに元気がないのなら・・・」

とヤマザキが提案した。

「今夜にでも彼を捕獲してしまおう。視察団が来る迄まだ5日あるが、今夜緊急入院してそのまま、と言う方が視察団にも説得力があるだろう?」

 ケンウッドはその必要はないのに、思わず食堂内を見回して誰かに聞かれていないか確認してしまった。

「もしもし、ケンさん?」
「ああ・・・聞こえてる。うん、その案で良い。私からネピア・ドーマーに連絡して病室業務の準備をさせておくよ。」