2018年6月16日土曜日

待機者 3 - 2

 作戦本部に改装した局員待機室では、衛星データ分析官アレクサンドル・キエフ・ドーマーが局員パトリック・タン・ドーマーと険悪な状況になっていた。キエフはコンピュータが置かれた机の前に陣取り、早速本部から転送されて来る衛星データの解析に取り組んでいた。街から南へ車で3時間程行った砂漠の中にあるベーリングの研究所の観察だ。画面と睨めっこして研究施設に出入りする車を分析して所有者を割り出す。タンが偶然後ろを通りかかった時、キエフは画面を見たまま言った。

「ハンバーガー買って来て。」

 タンが足を止めた。美しい中国系のドーマーだ。小柄だが格闘技の腕はかなりのもので、レインは彼と頻繁に稽古をする。キエフは日頃からそれが気に入らなかった。彼の命令口調にタンが言った。

「人にものを頼む時は、お願いします、と言うもんだぞ、ロシア人。」

 キエフはロシア人と呼ばれるのが嫌いだった。ドーマー達は互いの出身民族や人種をニックネームの様に使うことがある。決して蔑みやからかいの意味で使っているのではない。しかしキエフは自身がよそのドーム出身であることに少し引け目を感じていた。それも西ユーラシア・ドームではなく、シベリア分室だ。西ユーラシア・ドームでも田舎者扱いされているとわかっていた。アメリカへ来てまで差別されるとは予想外で理不尽だと彼は思った。だから、彼は聞こえよがしに呟いてみた。

「黄色いチビが何か言ったか?」

 室内が静まり返った。タンが平静を装って聞き返した。

「今何て?」

 キエフはさらに何か言って彼を怒らせようと思ったが、室内の静寂に気が付いた。他の局員達が皆こちらを見ている。全員タンと同じアメリカ・ドームで生まれ育った男達だ。そして彼が唯一味方だと信じているチーフ・レインはいなかった。雑用で外に出かけていた。キエフは馬鹿ではない。彼は不利な状況だと即座に判断した。

「何も言ってない。」

と彼は言った。

「君に言ったんじゃない。独り言だ。」

 そこへ、支局長秘書のナタリー・リーランドがお茶の用意を整えてワゴンに載せて室内に入って来た。キエフがいきなり立ち上がった。

「おい、局員以外の人間はこの部屋に立ち入り禁止だ!」

 するとタンが言った。

「彼女は良いんだ。ここに長いし、僕等のことをよく知っているし、僕等も彼女をよく知っている。」
「だろうね。」

 キエフは言った。

「彼女の遺伝子も管理しているし・・・」

 タンの表情が硬化した。

「それ以上余計なことを言うな!」

 キエフはハッとした。遺伝子管理局の人間としての最低限の約束事は世界共通だ。破れば、一生観察棟幽閉だ。しかしボスのお気に入り(とキエフは思い込んでいた)のタンから指摘されたのは癪だった。

「遺伝子管理局なんだから、管理するのは当たり前さ。」

 彼はそう言って、席を立つとトイレに行くふりをして部屋を出て行った。
 ナタリー・リーランドが申し訳なさそうに尋ねた。

「私のせいで彼が腹を立てたのですね?」
「違いますよ。」

と第3チームのリーダーが苦笑しながら説明した。

「あの男はなんでもかんでも気に入らないんです。気にしないで下さい。お茶をご馳走になりますね。」
 
 局員達がワゴンに集まった。コーヒーとお茶、好きな方をそれぞれが手に取った。
リーランドは一度お茶を出した客の好みを覚えているので、残ったのはキエフが取らねばならないお茶だけだった。ジャムが入った小皿が親切にも添えてあった。

「彼にお茶を用意されたのですね?」
「ロシア系と聞きましたので、知り合いのロシア系の人の好みを用意しました。」
「貴女は本当によく気が利く方だ。」
「女性は大概がこうですよ。」

 リーランドは無邪気に尋ねた。

「本部の女性職員もそうでしょ?」
「そうですね。」

 リーダーは微笑んだ。ドーマーは男世界なので女性局員は1人もいないとは言えない。それに総括的にお茶の準備はロボットが行なって、各部屋の秘書が淹れてくれる。
ふとリーランドが何かを思い出した。

「そうそう、私、今年いっぱいで引退することにしました。」
「えっ?!」

 局員達は衝撃を受けた。リーランドは歳を取っているが、彼等にとって優しいお姉さんだった。今この室内にいる殆どの局員が初めて外勤務に就いた時に彼女は既にここで働いていた。彼女がいない中西部支局なんて!
 リーランドが優しい笑みを浮かべた。

「後任はもう決まっていますのよ。まだ学校に行っているので、彼女が卒業するのを待っているのです。落第しないで卒業して欲しいわ。」
「成績が良くないのですか?」
「いいえ、優秀です。ちょっとおっちょこちょいな子なの。彼女の代になったら、優しくしてあげてね。」