2018年6月13日水曜日

待機者 2 - 6

 誰からも愛され、それを素直に受け入れるハイネ局長に、アレクサンドル・キエフ・ドーマーの捻じ曲がった偏愛主義など理解出来ないだろう、とポール・レイン・ドーマーは思った。レインも人気者だが、彼は自身の人気と局長の人気の違いを十分に理解していた。ハイネ局長は生まれ持った風貌の美しさで人々の関心を集め、彼と接した人々は彼の性格の良さに惹かれ、彼を愛す。レインは局長も人間らしく心の奥底にドロドロした物を溜めて苦悩することもあると理解していたが、それを決して外部に出さない局長の精神力の強さに尊敬を覚えている。そしてレイン自身は、彼の類稀なる美貌に惹かれて集まってくる人々の欲望の強さにウンザリしながら、それを上手く捌けないでいる。出来る限り冷たく振舞って彼等を追い払いたいのだが、生来の優しさがつい出てしまい、その僅かな心の隙を目敏く見つけたキエフやギルの様な偏執的なファンが彼につきまとうのだ。彼の愛情が己だけに向けられていると大きな勘違いをして・・・。
 局長に、キエフも同道させます、と言ってレインは病室を退出した。ロビーまで出てくると、午後の業務に一区切りつけたケンウッド長官が入って来るのに出会った。長官は元気そうなので、診察を受けに来たのではなく、強制入院中のハイネ局長に面会に来たのだとレインは察しがついた。すれ違う時に軽く会釈して、彼は医療区を出た。
 ケンウッド長官は受付を通さずに自動ゲイトにIDを翳して病棟に入った。執政官は事前登録なしでも面会者として通ることが出来る。遺伝子管理局長の部屋は知っている。前回も同じ部屋だった。ハイネはあまり部屋を変わることを好まない。それは養育棟を卒業した時に充てがわれたアパートの最上階のスイートルームに80年住み続けていることからもわかる。若いドーマー達の様に頻繁に部屋を変えたり内装をリフォームすることもない。だから、ケンウッドは迷うことなくハイネの部屋に到着した。
 ネピア・ドーマーが通路に自身のコンピュータを置いて仕事をしていた。ハイネが部屋に入るように言ったのだが、ネピアは部屋が広くないので通路で十分です、と言って聞かなかった。本音は部屋を出入りする度に消毒されるのが面倒臭いのだ。
 ケンウッドは彼に「ヤァ!」と声をかけてから、消毒スペースに入り、薬剤ミストを浴びて室内に入った。ハイネは午後の日課を終えて、リハビリコーナーへ出かけるには少し早いので、2度目の昼寝をするつもりでベッドに座った所だった。そこへ話し相手が現れたので、彼は微笑んだ。

「わざわざお見舞いですか?」
「花がないが、勘弁してくれ。」

 ドーマーには花を他人に贈る習慣がない。ハイネは気にしなかった。自身が先刻迄座っていた机の椅子を手で示して長官に勧めた。 ケンウッドは椅子に腰を下ろすと、局長を眺めた。

「気分はどうだね? 闘技場で保安課長相手に大暴れしたそうじゃないか。」
「大暴れしたつもりはありませんが、保安課長はコロニー人にしてはかなり手強いです、手こずりました。」
「特殊部隊の精鋭だった男だからね。」
「ベックマンとどちらが強いでしょうか?」

 と尋ねてから、ハイネは何かを思い出して悔しそうな顔をした。

「ベックマンとも組み合ってみるべきでしたな。」
「おいおい、保安課長に片っ端から挑戦するつもりになったのか?」
「そんなことはしません。しかし、ベックマンとゴメスは仲が良いのですから、互いに試合をしたことがあるかも知れませんな。」
 
 ゴメス少佐と対戦して自信がついたのか、ハイネは自分の力を試してみたいのかも知れない。しかしヤマザキが聞いたら絶対に「駄目だ!」と言うに決まっている。ケンウッドは笑って聞き流すしかなかった。
 それから大事な要件を思い出した。これは笑えない話だ。

「ハイネ、実は半時間前にアイダ博士から通信が入った。」

 ハイネの顔から笑みが消えた。ちょっと緊張した様だ。ケンウッドは続けた。

「とうとう御母堂が旅立たれたそうだ。今日の打ち合わせ会の直前にゴーン副長官と話た時は、彼女は後10時間保たないかも知れないと言っていたそうだが、結局はそれより短かった。」

 ハイネは寝巻きの着崩れを整え、きちんと座り直して長官に言った。

「アイダ・サヤカ博士に、御母堂様の逝去に対しお悔やみ申し上げます、とお伝え下さい。但し、これは非公式な挨拶です。」

 ケンウッドは頷いた。地球圏外で起きた事柄に関し、ドーマーはドームの外の地球人と同じ量の情報しか受け取ってはならないと地球人類復活委員会の会則は定めている。だからドーマーは宇宙に帰ってしまった執政官や他のコロニー人達と個人的な連絡を取ることすら許可されない。ケンウッドが告げたアイダ・サヤカの母親の逝去の知らせも、本当はハイネが知ってはいけない事案なのだ。だから、アイダが地球に戻ってきても彼女は夫にコロニーで起きたことを告げられないし、ハイネも妻がどんな悲しい思いをしてきたか悟っていても言葉にして励ますことが出来ない。それ故に、ハイネは長官を通して弔辞を述べた。

「彼女が葬儀の後の予定を連絡してきたら伝えておく。」

 ハイネは黙って頭を下げた。