2021年3月19日金曜日

星空の下で     10

  暫くケンウッド長官とハイネ局長は並んで夜空を眺めていた。ドームの壁越しの夜空だから風に吹かれて体が冷える心配はなかった。羽虫が飛んでくることもない。もしサンダーハウスにハイネを連れて行くことが出来たら、シュリーも一緒に3人で夜空を見上げてみようとケンウッドは思った。ハイネは羽虫に驚くかも知れないが。
 するとハイネがふと何かを思い出して言った。

「中央アジア・ドームに滞在しているポール・レインから報告が届いていましたが、長官は目を通されましたか?」
「いや、今初めて聞いた。」

 レインは妻のJJ・ベーリングと共に世界のドームを巡っている。JJが新しい人工羊水で育つクローンの遺伝子が正常に保たれているか検査して回る仕事に同行しているのだ。名目はJJの護衛だが、ハネムーンでもある。報告を送ってくるのは、真面目なレインらしい所業だ。まさか楽しい旅行の報告ではあるまい。ケンウッドは質問した。

「どんな内容だね?」
「それがちょっと不穏な話でして。」

 ハイネは端末を出した。レインの報告書を開いて見せた。そこには、地球が宇宙連邦の一員として再加入する時期を待ちきれない人々が地球資源の密貿易をしている噂を聞いた、というものだった。不愉快な話だが、宇宙では手に入らない地球のレアな資源をコロニーで闇市場で売買する組織があることは事実だ。しかし・・・

「これは、ドームの管轄じゃない。外の警察組織の縄張りだよ。」
「それはレインも承知しています。しかし、進化型遺伝子の売買は問題です。」
「なんだって?!」

 ケンウッドはびっくりした。ハイネの端末を取り上げるようにして、画面をじっくり読んだ。レインの報告書には、中央アジアでどこかの支局から流出したらしい住民の遺伝子情報がコロニーに売られ、進化型遺伝子を持つ地球人の住む所に奇妙なバイヤーが訪問する事例が数件、中央アジア・ドーム遺伝子管理局に報告されていると書かれていた。
 進化型遺伝子と言うのは、遺伝子操作された遺伝子と言う意味で、現在太陽系の内外のコロニーで暮らしている人類は全員進化型遺伝子保有者だ。つまり、地球の重力と異なる重力圏で暮らしていけるよう遺伝子操作されて宇宙に飛び出した人々の子孫になる。これは進化型5級遺伝子と呼ばれ、全然特別でもなんでもない、「普通」の遺伝子と見做されている。そして現在の地球人は女性が生まれなかった為にコロニー人の卵子を用いたクローン女性から生まれているので、彼等も進化型5級遺伝子保有者なのだが、地球で誕生した為に、進化型遺伝子は「進化」して地球の重力に適合したものに変化と言うか退化して安定している。その為、地球人の遺伝子は「オリジナル」と呼ばれる。コロニー人の子孫でない唯一人の地球人ジェリー・パーカーだけは「オリジン」と呼ばれているが。
 5級からさらに操作されて移住や職業に適した能力を発揮出来るように開発された遺伝子が4級から1級だ。但し、1級は「それ以上操作すると人間の定義から外れる恐れがある」とされ、人口を増やすことを警戒されている。ヘテロで生まれれば問題視されないが、ホモで1級遺伝子を持って生まれてしまうと、その生涯を追跡記録されることになる。ローガン・ハイネとダリル・セイヤーズが一生をドームで暮らすように監視されているのは、その為だ。
 進化型1級遺伝子保有者の人口は地球人類復活委員会が完全に把握しているし、管理している。しかし、4級から2級は外野で育っている人々なので、遺伝子管理局が婚姻許可不許可で人口を調整しているのだ。これが遺伝子管理局の本来の役目だ。進化型と言われるだけあって、これらの遺伝子はどんな組み合わせで次の段階に発展するかわからないからだ。
 ポール・レインが集めた情報では、主に3級遺伝子を持っている家族を正体不明のコロニー人と思われるバイヤーが訪問して、男性達に精子を売らないかと持ちかける、と言うものだった。
 身元不明者の遺体を調べる警察関係の検視局や監察医に遺伝子管理局は情報提供することがあるが、進化型遺伝子の情報は渡さない。法律で禁じられているし、身元判定に必要がないからだ。しかし、コロニー人と思われるバイヤー達はその進化型遺伝子のリストを持っている。

「どこから入手したのだろう。」
「それがわかれば当該地区の行政組織に伝えて住民に注意を与えてもらえるのですが、情報の流出元を調査している最中ですから。」
「中央アジア・ドームは調べているのだね。」
「そのようです。まだあちらの遺伝子管理局からは何も連絡はありませんが。」

 ハイネはポケットに端末をしまった。

「明日、ネピア副局長に伝えて、中央アジアから何か言ってきたら私にも知らせて欲しいと言っておきます。」