2021年3月23日火曜日

星空の下で     16

  セイヤーズは内務捜査班のオフィスを出ると一旦局長執務室に戻った。誰もいない室内で先刻のエストラーベンとのやりとりを思い出しながら、報告書を書き、局長とキンスキーのコンピュータに送った。副局長にも必要か?と一瞬迷ったが、局長秘書が副局長に報告する義務はない。秘書はあくまで直属の上司の為に働くのだ。それで副局長への連絡は局長に任せることにして、少し遅くなったが昼休み入った。
 一般食堂に行くと、まだ少し混み合っていた。なんとか空席を見つけて食事を始めて間も無く、女性の声が話しかけてきた。

「正面の席に座っても良いですか?」

 セイヤーズが顔を上げると、あまり見覚えのない若い女性がトレイを手に立っていた。栗色の髪をひっつめて、化粧も抑え気味の地味なものだが、素材が整った美しい顔だ。少しアフリカ系が入っている。服装は保安課のツナギを着ていた。それで、セイヤーズは彼女の名前を思い出した。

「ああ、いいよ、べサニー・ロッシーニ。」

 女性ドーマーには姓がない。クローンなのでオリジナルのコロニー人卵子の母親の名前だけをもらう。姓は彼女達が成長したら自分で好みのものをつけられるのだ。養育係の姓を自身の姓につけた保安課のべサニーは、ちょっと首を振って礼を示すとセイヤーズの正面に座った。他に空席が見つからないので、渋々なのだろうが、セイヤーズの方は悪い気がしなかった。
 べサニーの方はセイヤーズが彼女の名前を知っていても驚かなかった。女性ドーマーは人数が少ないので、男のドーマー達は常にチェックしているのだ。
 少し前まで内務捜査班の部屋にいたセイヤーズは、ちょっとこの事態を偶然だろうか、と考えながら食べ物を口に運んだ。彼はジャン=カルロス・ロッシーニを晩年しか知らなかったが、彼が伝説の内務捜査官であることは遺伝子管理局内では有名だった。亡くなるまでコロニー人に正体を知られることがなかった潜入捜査官。ロッシーニはケンウッド長官には正体を知られていたが、それも偶然だったのだ。彼が局長執務室で業務している時に、たまたままだ平の学者だったケンウッドが来合わせて、出会ってしまった・・・それだけだった。
しかし局長がケンウッドを信頼していたし、ケンウッドが局長の命を救ったことはドーマー社会に広く知れ渡っていたので、ロッシーニは口止めを要請する必要もなく、ケンウッドも自然に彼の秘密を守った。
 ロッシーニはべサニーを厳しく、しかし愛情深く育てたとセイヤーズは聞いている。彼女は養父からどんなことを学んだのだろう。
 べサニーはセイヤーズが何者か全く気にせずに、食べることに集中していた。セイヤーズは彼女に自然に聞こえるように努力しながら話しかけてみた。

「保安課員がここにいると言うことは、誰か監視対象がいるのかな?」

 べサニーが手を止めて彼を見た。

「ドーム内ではいません・・・ドーマー・・・」
「セイヤーズ。」

とセイヤーズは名乗った。

「ダリル・セイヤーズ、遺伝子管理局の局長秘書をしている。」
「べサニー・ロッシーニです。」

 よろしく、とべサニーが手を差し伸べたので、セイヤーズは握手に応じた。女性らしい柔らかさはあるが、武道を嗜む力強さも持つ手だ、と感じた。

「貴方が局長秘書のセイヤーズ・ドーマーですね?」

 べサニーが声のトーンを落とした。

「今日はゴメス少佐の言いつけで、局長を見に来ました。」
「?」

 セイヤーズが怪訝そうな表情をしたので、彼女は慌てて説明した。

「局長が脚を怪我されたと聞いた少佐が、怪我をしている人としていない人の歩き方の違いを研究するように、と私と3名の若い同僚に命じられたのです。恐らく局長は周囲に怪我を悟られないように歩かれるだろうが、健全な状態の時とはどこか違いがあるはずだ、と。」

 ああ、とセイヤーズは得心した。護衛対象が負傷したら、護衛する人間は注意しなければならない項目が増える。避難行動に支障が出たり、時間がかかるのだ。ゴメス少佐は医療区から局長負傷の情報をもらって、生きた教材として局長の観察を思いついたのだ。
 ちょっと愉快な気分になって、セイヤーズはべサニーに尋ねた。

「局長を見たかい?」
「まだです。食堂2箇所を廻って見ましたが、お姿が見えません。」
「局長は長官執務室で長官と副長官を交えて打ち合わせ会だ。そろそろ終わる頃だから、中央研究所の近くにいれば出会えるよ。」
「情報、有り難うございます!」

 べサニーは食べるスピードを速めた。セイヤーズはその可愛らしい慌てぶりに、思わず微笑んだ。

「急がなくても大丈夫だ。今日の局長は速く歩けない。普段でもゆっくり歩く方だ。歩幅が広いので速いだけで、足の運びが速い訳じゃない。本気で局長が走ったら、私達は到底追いつけないよ。」

 べサニーは最後の食べ物をお茶で飲み下して、セイヤーズに尋ねた。

「今日はどちらの食堂に行かれるのでしょう?」
「さぁ・・・どっちかな。普通はこっちだけど、ギプスが邪魔だと仰っていたから、中央の方かも知れない。」
「私は平の保安課員なので、中央の食堂には入れません。」

 中央研究所の食堂は、出産管理区の食堂に接している。マジックミラーで地球人女性達の食事風景を観察して健康状態などを見るので、あちらの食堂を利用出来るのはコロニー人とドーマーの幹部だけと限られている。
 セイヤーズはちょっとだけ若い保安課員を助けてやることにした。端末を出して、ボスの位置情報を拾った。

「局長はまだ長官の部屋だ。動き出した・・・今から行けば広場で長官と局長に出会えるぞ。」
「有り難うございます!」

 べサニーは空の食器が載ったトレイを掴み席を発つと、トレイを返却して慌ただしく食堂を出て行った。
 セイヤーズは時計を見て、まだ業務に戻るのは早いな、と思った。あまり早く部屋に戻ると、早食いで有名なアナトリー・キンスキーの昼寝の邪魔をしてしまう。図書館にでも行って読書でもするか・・・彼も席を発った。古巣の遺伝子管理局北米南部班の連中が1チーム、離れたテーブルを占領していたが、そちらへは行かずに食堂を出た。チームの仲間は出世したセイヤーズを今でも歓迎してくれるが、今日は内務捜査の事案を抱えてしまった。セイヤーズは自身が仲間に嘘をつけない性格であることを承知している。この手の仕事を持つと仲間とのコミュニケーションがぎこちなくなってしまい、却って秘密を持っていることがバレてしまうのだ。

 ああ、早く捜査が終わって、結局このドーム管内では情報漏洩がなかったって判明しないかな・・・