2021年3月17日水曜日

星空の下で     9

 「そもそも、どうして局長をサンダーハウスへ連れて行こうと考えられたんですか?」

とゴールドスミスが尋ねた。夕食は既にデザートの段階に進んでいた。ケンウッドはカフェイン入りのコーヒーを選んでいた。 苦味を味わいながら彼は答えた。

「マスクなしで大気を呼吸させてやりたいのだよ。」

 セイヤーズがちょっと不安げな表情を見せた。

「それって、局長の体で人体実験することになるんじゃないですか?」

 ケンウッドは気が進まなかったが、認めた。

「そうだよ。彼の様な肺に問題を抱える人間でも呼吸が出来る空気が造れているか、確認しないといけないんだ。」
「何も局長の肺で・・・」
「これはハイネ自身が以前から希望していたことでもあるんだ。」

 サンダーハウス・プロジェクトに参加しているコロニー人の科学者の一人、シュリー・セッパー博士は、キーラ・セドウィック博士とヘンリー・パーシバル博士の娘だ。キーラはハイネの隠し子で、だからシュリーはハイネの孫娘になる。ハイネは孫の研究成果を確認する実験に自ら志願したのだ。だがサンダーハウスへ行く迄に体を外気に慣らさなければならず、時間がかかっている。もっともサンダーハウスの方でも実験の成功を公表するにはまだ慎重を要して時間をかけたがっているのも事実だ。
 セイヤーズは渋々ながら、納得した、と呟いた。

「では来月あたりでサンダーハウス・プロジェクトの研究に一区切りつけそうだと言うことなのですね?」
「その予定だ。しかし、ハイネの体調は兎に角、あちらの研究の進み具合でまた延期になるかも知れないがね。」
「それじゃ、僕のフライトは?」

 ゴールドスミスが自身のスケジュールの心配をしたので、ケンウッドは微笑んだ。

「それは大丈夫だ。恐らくピッツバーグ博士か私のどちらかが行くことになっている。それは変わらないよ。」

 食事を終えると、図書館で映画を見ると言うセイヤーズとゴールドスミスと別れ、ケンウッド長官は庭園に向かって歩き出した。少し休憩してからジムで運動するつもりだった。しかし途中で気が変わって、アパートで本でも読もうと思い立った。普段ならハイネと一緒に運動するのだが、一人ではつまらない。ヤマザキも今夜は当直だ。
 中央研究所前の広場へ来ると、噴水の池の縁にローガン・ハイネが一人で座っているのが見えた。休日なので普段着姿で夜空をぼーっと眺めている。妻のアイダ・サヤカ博士と食事をした後で彼女が仕事に戻ってしまったのだろう。
 ケンウッドは近づいて行った。

「ヤァ、ハイネ。休憩かい?」

 声をかけると、ハイネがゆっくり振り返り、微笑みを返した。

「こんばんは、長官。」

 見るまいと思ったのだが、ケンウッドの視線はどうしても彼の脚に向けられてしまった。ハイネも気が付いて、先手を打ってきた。

「ドクターの報告を聞かれましたね。」
「うん。驚いたよ。」

 ケンウッドは彼の隣に座った。

「痛むかい?」
「いいえ、薬が効いていますから。でもギプスが気になって、アパートまでの途中で休憩していました。」

 ゆったりめのズボンでギプスの存在は上手に隠されていた。

「サヤカには言ったかい?」
「ええ・・・叱られました。一人でいる時は余計なことはするな、と。」

 ハイネが自分で笑ったので、ケンウッドも笑った。笑いながらケンウッドは彼等が現在いる場所が、ハイネにとって特別な場所であったことに気が付いた。この場所の写真を見たことがある。80数年前に撮影された古い写真だ。それを見たのは、ドームの外の高齢者介護施設の一室だった。ケンウッドはその写真を大切に守って来た男の顔を思い浮かべた。

 ダニエル・オライオン、君の兄貴の側には今彼を大事に思う人々が大勢集まっているんだよ。安心して眠っていておくれ。