2021年3月14日日曜日

星空の下で     6

  夕方、ピーター・ゴールドスミスはドームの一般食堂で友人のダリル・セイヤーズと夕食を取っていた。セイヤーズは年上で遺伝子管理局の局長第2秘書だ。一般のドーマーから見れば雲の上のお偉いさんになるのだが、セイヤーズは平の局員時代と全く変わらない気さくな人柄のままで、執政官やその他のコロニー人、ドーマー幹部達が主に使う中央研究所の食堂には行かずに一般食堂でしか食事をしない。彼は8年前、FOKの幹部と銃撃戦で負傷した折にゴールドスミスの機転で救われた。以来、この静音ヘリのパイロットに友情を抱いている。それにセイヤーズの一人息子ライサンダーも偶然の出会いでゴールドスミスと親友になった。
 航空班の人間は普段ドームの外にある空港ビルの寮で寝泊まりしているので、2人は滅多に会えない。だからパイロットがドームの中に戻って来たと連絡を受けると、セイヤーズは恋人のゴーン副長官とのデートをキャンセルして(彼女はちょっと怒って見せたが、許してくれた。)男同士のデートとなったのだ。
 ゴールドスミスはドームと支局を往来する物資・資料運搬の仕事が主だ。人間の輸送は緊急の場合か特別な要人の場合のみだ。その日は早朝に首都へ飛んで国防相の役人を迎えに行き、昼前はその人をまた首都へ送った。執政官ピッツバーグが犬に追いかけられたのを助けたのは、その帰りだった。
 セイヤーズはピッツバーグの災難を聞かされて涙が出るほど笑い転げた。周囲のテーブルの人々が振り返ったので、彼はナプキンで涙を抑えて、「面白いジョークだね」と誤魔化した。執政官に恥をかかせては気の毒だ。日頃上から目線でドーマー達、あるいは地球人を見ているコロニー人が些細なことで失敗する話は愉快だ。勿論、笑って良いのはそのコロニー人の身に危害が及ばなかった場合に限る。そして著しく名誉を傷つけられないことだ。小犬に追いかけられた程度なら笑える。噛まれていないのだ。

「でもピッツバーグ博士は良い人だからね。犬だって吠えただけだろ?」
「犬にそんなことはわからないだろうけど、噛みつかなかったから、博士が悪い人だとは思わなかった筈だ。」

 その時、ゴールドスミスは食堂にケンウッド長官が入って来るのを見た。長官は中央研究所の食堂より一般食堂の方が好きなので、時間が許す限りこちらで食事をする。大概はハイネ局長かヤマザキ医療区長が同伴している。今日はヤマザキは午後も当直で夕食は遅くなる。ハイネ局長は怪我をしたが、恐らく食事はアパートに近い中央研究所の方だろう。アイダ博士が当直なので落ち合って食事をする時は向こうの食堂だ。
 だからその夜ケンウッド長官は一人だった。ドーマー達はこの優しい長官が大好きなのだが、流石にドームのトップに手招きして同席させるのは気が引ける。目が合うと好意的な微笑みを浮かべて軽く挨拶する程度だ。長官も慣れているので空いたテーブルを見つけると一人で食事を始めた。

「仕事の話になるけど・・・」

とセイヤーズが言った。

「長官の次のサンダーハウス行きが来月の10日に決まった。チャーリー・チャンから静音ヘリの手配を頼まれた。君の都合はどうだろう?」

 チャーリー・チャンは長官の第1秘書だ。コロニー人で遺伝子学者ではなく火星の金融会社で働いていた男で、ただ面白いことに眼科医の資格を持っているので地球人類復活委員会に採用されたのだ。秘書として働き始めてからは医療活動は一切しておらず、勿論、そんな暇はないので、ドーム行政の一端を担って活躍している。ドームでは「秘書会議」と呼ばれる会合が月に数回開かれる。以前は遺伝子管理局の秘書達だけの会議だったが、ケンウッド長官が自分の二人の秘書を参加させたところ、地球の社会情勢がわかりやすいと好評だった。それを聞いた他の執政官達の秘書達も希望して参加が増えて、今では大きな会合となっている。セイヤーズは局長秘書なので会議の運営委員をしているのだ。そんな訳で、長官のスケジュールもしっかり把握していた。
 ゴールドスミスは端末のスケジュール表を眺めた。

「10日は空いている。でも11日は予約が入っているから、もしお泊まりなら迎えを別のパイロットに頼んでくれないか。」
「13日はどうだい? 多分、長官は3泊される。いつものパターンだ。1日目と2日目は研究、3日目はシュリー・セッパー博士とデートだ。」

 最後の部分をセイヤーズは小声で言った。長官のプライバシーだ。あまり大声で話せなかった。ゴールドスミスはニヤリとした。ケンウッド長官と54歳も年下のセッパー博士の交際は、地球人同士ならスキャンダルになるだろうが、宇宙では珍しくないそうだ。その証拠にサンダーハウスでは誰も問題にしていない。ドームで秘密にされているのは、ドーマーに知られたくないのではなく、執政官に知られたくないからだが、それはセッパー博士の両親が地球人類復活委員会の本部に務める委員であって、ケンウッド長官とヤマザキ博士の大親友だからだ。彼等を知るドーム勤務者の中には、友人の娘と交際する長官に意見したがる者もいるので、出来るだけ話題にしないように心がけなければならなかった。
 ゴールドスミスは何度かサンダーハウスへ執政官や長官の送り迎えに飛んだことがある。あちらでは待ち時間に実験農場の中を散歩したり、宿舎の娯楽施設でゲームをして過ごす。セッパー博士は時々ドーマーのパイロット達の相手をしてくれる。まだ24歳になったばかりで少女の様に瑞々しい美しい女性だ。ゴールドスミスは彼女の母親のキーラ・セドウィック博士をあまりよく記憶していないが、彼をドーマーに選んでくれた人だと知っている。つまり、彼が誕生した時に取り上げてくれた人だ。ドーマーにとっては「母」になる。だからゴールドスミスはセッパー博士を妹の様に感じていた。彼女が父親と同年齢の男性、パーシバル博士は晩婚だったから、地球人の尺度で見れば祖父と変わらない年上の男性を愛しているのがちょっと不思議なのだが、ケンウッド博士の人柄を知っているので、それも無理からぬことだと納得もしている。

「長官もそろそろ覚悟を決めて、彼女を妻に迎えれば良いのにな・・・」