2021年3月2日火曜日

ブラコフの報告     3

  次も訃報だ。

 ジャン=カルロス・ロッシーニ。享年94歳。

 南北アメリカ大陸・ドーム第24代長官ユリアン・リプリーがまだ一遺伝子学者だった時代から彼の秘書として働き、やがてリプリーが副長官、長官と出世していく間も影のように寄り添い、支え続けた。そしてケンウッド先生が長官に就任した時、リプリー博士の強い推薦で長官秘書を続けることになった稀有なドーマー・・・その正体は遺伝子管理局内務捜査班チーフだった人。

 若い頃はきっと孤独だったに違いない。無口で人付き合いの下手なリプリー博士の研究室で、助手として黙々と働いていたそうだ。同年代の遺伝子管理局の男たちが外勤務局員として外の世界に出て行ったり、内勤職員として大部屋で大勢の仲間と教えあったり話し合ったりして仕事をしていた時に、彼は中央研究所の研究室でコロニー人の研究員たちに使われていたんだ。
 だけど、きめ細やかな注意力と室内の人々をハッとさせる提案を適宜に出せる才能にリプリー博士は早くから気が付いていた。ドーマーはどんなに優秀でも執政官と同等の立場に立てない。それならいっそのこと秘書としてコロニー人の研究員たちに指図出来る立場に慣れば良い。リプリー博士は目立つことの嫌いな事なかれ主義の人として知られていたが、人を見る目は優れていたんだ。ロッシーニは博士直属の秘書に採用され、そのまま副長官秘書に、そして長官秘書にまで昇った。流石に月の地球人類復活委員会と直接交信する権利は持たされなかったけれど、ほとんどのドームの中の采配は任された。もしかすると遺伝子管理局長より強い立場だったかも知れない。
 でもロッシーニは、誰が本当のボスなのか、ちゃんと弁えていた。ハイネ局長から内務捜査班だけに理解出来る暗号の指図が送られてくれば、それに従って執政官の動向を調査したし、部下に指図して情報収集させた。
 リプリー博士は結局最後まで最も信頼する秘書の正体を知らぬまま退官して宇宙へ去ったんだ。

 ケンウッド先生は副長官になる直前にひょんなことからロッシーニの正体を知ってしまっていた。先生は僕がドーム在勤中は僕に打ち明けてくれなかったけど、秘書が内務捜査班だと承知の上で使っていたんだ。そしてロッシーニの偉いところは、正体を知られているとわかっていても、ケンウッド先生の前では長官付き秘書以外の何者でもない態度で働いていたことさ。実際、ケンウッド先生はロッシーニがいなければ長官職を務めることは出来なかったと仰っていた。

 歳をとって、ロッシーニは遺伝子管理局を退職して、長官秘書も退職した。但し、「黄昏の家」に入ることは拒んで、養育棟で子供のドーマーに英語を教える教師になった。晩年は一人の女性ドーマーを一人前の保安課員に育て上げることに情熱を注いでいたそうだ。

 内臓の機能が低下して老衰で彼は旅立った。亡くなる2ヶ月ほど前から、彼はしきりにリプリー博士にもう一度会いたいと呟くようになった。彼の看護をしていたドーマー・・・彼が最後に育てた女性ドーマーのべサニーが、ケンウッド先生にリプリー博士を探してくれと頼み込んだ。探す必要はなかったんだ。ドーム長官を務めた人は、地球人類復活委員会がしっかり引退後の消息を把握していたからね。リプリー博士は退官後は一度も地球に戻らなかったんだが、ロッシーニがもう永くないと聞いて、取るものも取り敢えずに駆けつけてくれたそうだ。そしてロッシーニが亡くなる迄の5日間、「黄昏の家」に泊まり込んでくれたとケンウッド先生が感激していた。

 多分、ユリアン・リプリーとジャン=カルロス・ロッシーニは静かに心の深いところで繋がっていたんだろうな。リプリー博士はやっぱり最後までロッシーニがドーマー側のスパイだと知らずに、ロッシーニも博士を騙していたと打ち明けずに、ただ互いの手を握り合ってこの世とあの世に別れて行った。浮世の身分なんて、二人には関係なかったのかも知れない。地球人とコロニー人、ドーマーと執政官、そんなことは二人にはどうでも良かったのかも知れない。

 リプリー博士は葬儀には出席せずにドームから去った。送迎フロアにローガン・ハイネがいて、黙って博士を見送ったとゲイト係が言っていたそうだ。ハイネは思ったんじゃないかな。

 ジャン=カルロス・ロッシーニの本当のボスはユリアン・リプリーだ・・・って。