2021年3月26日金曜日

星空の下で     22

 「本当に来月の10日に、こっちへ来るの?」

と電話の中のシュリー・セッパーが尋ねた。彼女の背後には何やら恐ろしげな機械が見えている。屋内で放電実験をする器具だが、尖った先端が武器を連想させるので、ケンウッドは好きではない。どうして彼女は別の場所から電話をかけないのだろう。実験室からかけなくても良いのに。

「10日を空けてあるんだよ。13日迄有給休暇だ。行っちゃいけないのかい?」
「来て欲しいのよ。でも、今こっちの地域ではインフルエンザが流行しているの。感染したら暫くはドームに帰れなくなるわ。」
「ちゃんと消毒するよ。ドーム・ゲイトの消毒は君も経験しただろう?」
「子供の時にね。」

 彼女が言う子供の時は6、7年前だ。ケンウッドはまだ地球の感冒もインフルエンザも経験したことがない。だが空中の埃を吸ってクシャミをしたり、咳き込んだり、鼻水が出た経験はある。風邪による発熱はまだないが、銃創に機縁する発熱は体験した。あの苦痛と悪寒は2度と味わいたくなかった。あれはシュリーが生まれる前の話だ。

「ちゃんと出かける前にワクチン接種を済ませておくさ。」
「貴方は良くても、局長は駄目よ。」

 そう言えば、彼女にハイネを連れて行くと言った覚えがあった。確かに、ハイネの肺にとって感冒もインフルエンザも命取りになるだろう。それに来月はまだ彼の脚の骨は治りきっていない。ケンウッドはシュリーに同意した。

「ハイネは連れて行かない。ちょっとした風邪でも彼には危険だからね。それに脚の怪我もある。」
「脚の怪我?」
「うん。事情は会った時に話すよ。兎に角、今の局長は普段の生活は支障ないが走ることは出来ない状態なんだ。運動も控えている。」

 そして彼は彼女に要請した。

「彼が怪我をしたことは、キーラとヘンリーには内緒にしてくれないか。ハイネの沽券に関わるからね。」
「わかってるわ。」

 シュリーが母親の性格を思い出して笑った。

「局長がどんな状況で怪我をしたのか知らないけど、ママがそれを知ったら局長をからかうネタにしちゃうのね?」
「そう言うことさ。」

 そう言うところは、ローガン・ハイネとキーラ・セドウィックは似ている。血は争えない、とケンウッドは胸の内で笑った。
 
「それじゃ、来月は貴方一人でこっちへ来るのね?」
「うん。ひょっとするとピッツバーグ博士か他のドーマーを同伴するかも知れないが、局長は行かない。」
「がっかりしているでしょうね。」
「彼には計画を話していなかったから、黙っていれば大丈だよ。」

 では来月に、と挨拶して、シュリーが通信を閉じた。
 ケンウッドはふーっと息を吐いて椅子の上で脱力した。親友夫妻の長女と交際するようになって3年だ。最初は娘として見ていた。彼女が研究の為に単身地球へ降りてきて、父親がわりに見守るつもりでサンダーハウスに通ううちに、彼女の方がどんどん大胆になってきた。幼い頃から「ニコ小父さんの奥さんになるの」と言っていたシュラミスだ。小父さんを慕うのと恋愛を勘違いしているのだ、とケンウッドは思っていた。彼女が可愛くて、愛おしかったが、年齢差が彼に二の足を踏ませていた。だが、思いがけぬ方向から、シュリーに援護射撃があった。彼女の祖父、ローガン・ハイネだ。

「シュラミスを女として見てやっていただけませんか?」

と彼に言われた時は、心底驚いた。それも、男2人、裸になってジャグジーに浸かっていた時だ。しかもハイネはその時既に外堀を埋めていた。シュラミスの両親、ヘンリー・パーシバルとキーラ・セドウィックに孫娘の恋が真剣で本物であると説得済みだったのだ。母親のキーラはずっと以前から勘付いていた。ケンウッドが小娘を相手にしてくれるのかと、それが心配だったのだ。パーシバルもケンウッドなら娘を託すのに申し分ないと信じていたが、年齢差が大きいので親友が彼女を素直に受け入れるか疑わしかったのだ。
 途方に暮れたケンウッドがヤマザキ・ケンタロウに相談すると、プレイボーイの医者は笑って言った。

「素直に諦めて若い嫁さんをもらってしまえよ。最後のチャンスかも知れないし、グズグズしていると一緒にいられる時間がどんどん短くなるぞ。」

 随分失礼な物言いに、ケンウッドは腹を立てながらも、その背中を押してくれる言葉に感謝した。
 だから、ケンウッドは現在シュラミス・セドウィック・パーシバル、つまりシュリー・セッパーと交際している。まだ正式なプロポーズはしていないが。それでも微かに不安があった。

 いつか彼女は目が覚めて本当の愛を別の男に見つけるのではないだろうか。

 その考えが恐いと思うのは、やはり彼女を愛しているからなのか。ケンウッドは答えを見つけられずにいた。