ダリル・セイヤーズは朝寝坊で知られていたが、恋人のポール・レインが結婚して旅に出てしまって独り暮らしになってからは早起き出来る様になった。それも少しずつ起床時間が早くなり、とうとう日が昇る前に起き出して運動に出るレインの昔の習慣に馴染んでしまった。
ポールが乗り移ったかな・・・
などと自分で自分に冗談を噛ませながら、彼は火曜日の朝、ジョギングに出かけた。運動場に出ると、ローガン・ハイネ局長がトラックに沿って歩いているのが見えた。その後ろをべサニー・ロッシーニがついて歩いている。
局長は走れないので散歩しておられるのだ。べサニーは彼を観察しているつもりだろうが、きっと局長は尾行されていることをご存知だ。
セイヤーズがトラックに出て走りかけると、後ろから軽やかな足音が追いかけて来て、彼に並んだ。
「おっはっよーっす! セイヤーズ・ドーマー!」
いつも陽気な中米班チーフ、クロエル・ドーマーだ。ハイネと身長が同じで足が早い。しかしセイヤーズに合わせて速度を落とした。この週、クロエルは中米には飛ばずにドームにいる。中南米担当の2班は任地が遠いので、週休2日制とはいかず、3週間現地で働き、1週間ドームで休息と内勤に充てている。クロエルはチーフなので、現地で問題が発生すれば休暇中でも飛んで行くことがある。のんびりしていられないのは、幹部の宿命だ。
「おはよう、クロエル。今日は休業日かい、それとも内勤?」
「ドラムの日っす。」
「つまり、内勤か。」
セイヤーズは思わず笑った。クロエルは事務仕事に疲れるとオフィスに置いてあるドラムを叩いてストレス発散をするのだ。
クロエルがセイヤーズの腕を突いた。
「ねぇ、局長の後ろを歩いている子、可愛いっすね!」
「べサニー・ロッシーニだよ。」
「ああ・・・あの子があの伝説の秘書の娘・・・」
ドーマー達の間では、もうべサニーはジャン=カルロス・ロッシーニの娘として認知されている。血縁関係は全くないのに、そしてロッシーニは彼女を養女にしたつもりもなかっただろうに、みんなが彼と彼女の絆の強さを知っているのだ。そしてべサニーはそれを否定しない。養育係の思い出を語る時、彼女は「父さんは・・・」とうっかり口に出してしまうことが多々あった。
「それにしても・・・」
クロエルは何か言いたかったのだろうが、彼等は走っていたのでべサニーに追いついてしまった。「おはよう、べサニー!」とセイヤーズが挨拶したので、クロエルも「おっはっよー!」と声をかけた。べサニーは局長を尾行している最中だったので、ビクッとして思わず立ち止まった。彼女の横を2人の男が走り抜けた。クロエルは追い抜きざま彼女の顔をしっかりと見た。
「ワオ! タイプっす!」
いつも女性に大もてなのに、女性に殆ど興味を示さなかったクロエルが珍しく感嘆の声を上げた。セイヤーズが笑った。
「クロエル、ライバルはドーム中至る所にいるぞ。」
「そんじゃ本気にならんといかんですね!」
彼等は前を行く御大に近づいた。賑やかな声が近づいてくるので、ハイネには彼等が誰かとっくにわかっていた。クロエルはハイネの負傷を知らない。しかし、ドーム一の局長のファンを自認する彼は、ボスのそばまで近づくと走る速度を落とした。
「おはようございます、局長。左脚、どうされたんですかぁ?」
ハイネが触れて欲しくないところへ見事に言及した。セイヤーズは前もって彼に注意すべきだったと後悔した。クロエルはハイネを敬愛する余り、ハイネの弱点も誰かを持ち上げるためのパフォーマンスだと称える妙な癖がある。ハイネは歩きながら横に並んだ部下を横目で見た。
「減らず口を叩く部下を蹴飛ばす練習をしていて、骨が割れたんだよ。」
クロエルが目を丸くしてセイヤーズを振り返ったので、セイヤーズは思わず吹き出してしまった。彼はさっさとクロエルを連れ去るべきだと判断した。
「おはようございます、局長。ジムが空いているうちにトレーニングしたいのでお先に失礼します。」
そして「来い!」とクロエルの腕を掴んでその場を離れた。
もっと局長やべサニーのそばにいたいクロエルは、ちょっと唇を尖らせて見せたが、素直にセイヤーズについて走った。
「僕ちゃん、何かマズイこと言っちゃいました?」
「局長の怪我に気が付いただろ?」
「だって・・・」
「局長は怪我や病気のことを余り他人に触れて欲しくないんだ。」
「ああ・・・僕ちゃん、チョンボ・・・」