火曜日は打ち合わせ会の日ではなかったが、生死リストデータ移動の最終チェックを終えたネピア副長官が局長執務室にやって来たのは、ハイネ局長が長官執務室での打ち合わせ会に出かけるつもりで机上の書類を片付け始めた頃だった。
何も見つかりませんでした、とネピアはクロエルの予想通りに告げて、チーム・リーダー以上の職員の口座を調査します、と言った。ハイネが質問した。
「調査範囲は?」
「現役・引退組、元ドーマーを含めて凡そ80名です。」
「遺伝子管理局関係のみ、と言うことだな?」
「ドーマーで遺伝子情報を扱えるのは遺伝子管理局だけですから。怪しい口座がなければ、ドーム内の調査は打ち切りにします。支局と元ドーマーに取り掛かるのはその後とします。外の銀行に口座を開いている人間の調査は慎重にならざるを得ません。外の捜査機関との折り合いもありますから。」
「口座の入金状況で嫌疑の有無がわかるか?」
「実際に事件が発生しているかどうかもわからない状況です。こちらの腑に落ちない入金がある口座だけでもマークしておきます。現場を抑えるための捜査はそれからになるでしょう。」
ネピアは付け加えた。
「内務捜査班の協力は必要ないかも知れません。」
「わかった。ご苦労。」
副長官は軽く会釈して退室した。
セイヤーズはキンスキーを見た。キンスキーは無表情、無言で自分のコンピューターで自分の仕事を続けていた。セイヤーズは思い切って局長に声をかけた。
「局長、コロニー人の先生の誰かが情報を売ることも考えられますよね?」
紙の書類を書類パックに入れていたハイネ局長が顔を上げた。
「だろうな。」
と彼が答えたので、セイヤーズは肩の力を抜いた。執政官と呼ばれるコロニー人学者は地球人の子供達の遺伝子情報を覗くことが出来る。ただ研究の為なので、覗く時は申告が必要だ。自由に覗ける遺伝子管理局幹部とは違う。そして両者共に情報を覗けば、マザーコンピューターに「足跡」が残る。
「もしかすると、中央アジア・ドームが疑惑を秘密にしているのは、事件がなかった可能性もありますが、コロニー人が絡んでいる可能性もあって調査に時間がかかっているんじゃないですか?」
「そうかもな。」
ハイネ局長は他人事のように呟いた。彼にとって全てのドーマーは「我が子」だ。疑いたくない。そしてコロニー人達は「親」だ。年下でも「親」として敬えと教えられて生きて来た。「親」として信用して来たから、一つのドームの中で一緒に暮らせるのだ。
「君はこのアメリカ大陸で遺伝子情報の売買が行われていると思っているのかね?」
「それは・・・外は広いですから、宇宙からいつ誰が降りて来るか、私達が全て把握することは不可能です。人間は誘惑に弱い生き物です。家や車を買える金額を提示されたら、ちょっと端末を操作して情報を引き出しても地球に害を与えることはないと思ってしまう人も出て来るでしょう。」
するとキンスキーが言った。
「いかにも外の世界で長く暮らした君らしい意見だ。」
セイヤーズは若い時分にドームを脱走して18年間山の中に隠れ住んでいた。極力人前に出ずに慎ましく貧しく暮らしていたのだ。それでもドームの外の世界がお金で動いていることを十分理解出来た。
キンスキーは局長に意見を述べた。
「中央アジアで情報を売っているのは、元ドーマーかコロニー人の研究者でしょう。現役ドーマーは遺伝子管理局であれ維持班であれ、例の件に関わっていると思えません。」
ハイネが溜め息をついた。
「他にも仕事が山積しているのに、どうして遠い外国の問題をここで論じなければならんのだ? レインは問題に決着が着いてから報告すれば良いのだ。」
珍しく彼が愚痴ったので、セイヤーズもキンスキーもびっくりした。
ハイネ局長は書類入れを抱え、秘書達に打ち合わせ会に行ってくると告げ、部屋を出て行った。
「局長はご機嫌斜めですね。」
セイヤーズが感想を述べると、キンスキーは苦笑した。
「無理もない、局長は私達『ドームの子供達』の父親だ。息子を疑うのはどんな親でも嫌だろう。しかし、レインの報告書を見てこの問題をドームに持ち込んだのは局長ご自身だからな。」
そして彼は珍しく冗談を口にしてセイヤーズを驚かせた。
「支局長達全員がリュック・ニュカネンだったら、掛け値無しに信頼出来るのにな。」