2021年3月3日水曜日

ブラコフの報告     4

  次も訃報で、悲しい報告はこれで終わり。

マーサ・セドウィック    107歳。

 遺伝子学者として南北アメリカ大陸ドームに着任したのは20代前半。そして、当時の女性執政官たちに下された指示・・・ローガン・ハイネ・ドーマーを部屋兄弟を失った悲しみから立ち直らせよ・・・に従った一人だ。
 今思えば・・・いや。当時だって、それは馬鹿げた指示だった。愛情を向ける対象が急に転換される筈がないだろう。だけど女性執政官達は、美しい若いドーマーの関心を惹こうとあの手のこの手で彼を誘惑したんだ。地球人保護法に平気で違反してね。

 そして、マーサはハイネを夢中にさせることに成功した。ローガン・ハイネはドームを出て行った部屋兄弟ダニエル・オライオンを忘れた訳ではなかったけれど、女性に恋することを止めることは出来なかった。普通の男だから。
 彼は本気になってしまった。相手が数年で宇宙に帰ってしまうコロニー人だと承知しながらも、真剣に彼女に恋をしてしまったんだ。そしてマズイことに、マーサ自身も彼を好きになってしまった。愛してしまった。当然、逢瀬の回数が増えて、他の女性達に知られることになってしまったのさ。

 マーサ・セドウィックはある日突然地球人類復活委員会の本部に呼ばれて、月へ行った。そこで待っていたのは執行部による諮問会だった。彼女は「必要以上」に特定のドーマーと親しくなった事実を追求された。同僚からの密告情報が次々と曝され、彼女は否定出来ず、その日のうちに委員会を罷免された。

 妊娠が判明したのはいつのことだったのだろう。僕は聞いていないけど、多分諮問会の前後だった筈だ。彼女は子供の父親が誰かわかっていた。だからこそ、父親が経営する病院で出産して、父親不明の子供として届け出た。子供の遺伝子検査を拒否して、出産したことを委員会にも報告しなかった。罷免されたのだから、その義務もなかったしね。
 遺伝子学者としての名に傷は付いたが、彼女は婦人科の医師として父親の病院で働き、娘キーラを育てた。二回結婚して、二回離婚した。二人目の夫との間にロナルドをもうけ、二人の子供達は仲良く育ったんだ。
 マーサは子供達に「地球の囚われの身の王子様」の話を語って聞かせた。どうしても白い髪のドーマーを忘れられなかったんだ。娘のキーラは地球人に固執する母親にうんざりして、反発で警察官になったけど、ある時捜査で地球に行って、戻って来た時に「産科医になる」と言い出した。白い髪のドーマーに出会ってしまったんだ。多分、マーサは運命と言うものを感じただろうな。息子のロナルドは僕の大学の先輩で、と言っても歳が離れていたから実際に付き合うようになったのは僕がドームの副長官になってからなんだけど。お姉さんのキーラは医師免許を取るとすぐに地球人類復活委員会に採用されて南北アメリカ大陸ドームに勤務することになったし、兎に角、マーサ・セドウィックの周囲の人間は皆吸い寄せられるように白い髪のドーマーのいる場所へ集まって行った。
 ロナルドとキーラが言うには、マーサは次々と男友達を取り替えて、ハイネと比較して彼氏に逃げられると云う男性遍歴を繰り返していたそうだ。白い髪のドーマーの呪縛から逃れられない気の毒な人と言うか、それとも彼女なりに波乱の人生を楽しんだのか。

 晩年のマーサは引退した弁護士と結婚して、やっと落ち着いた生活を手に入れた。ドームを退官して火星に戻って来たキーラとヘンリー・パーシバル博士夫妻の子育てを助けて(だって、キーラは三つ子を産んだからね!)、ロナルドの家族とも仲良く余生を楽しんだ。キーラが退官する時に、ハイネが「マーサによろしく」と言ったことが彼女の心の中の痼りを融かしたんだ。

 マーサ・セドウィックは息子が経営する病院で静かにこの世を去った。最期は、最後の夫の手をしっかり握っていたそうだ。本当の愛を人生の一番最後に見つけたんだね。

 マーサが亡くなったことをローガン・ハイネはキーラ・セドウィックから知らされた。キーラは自分で地球に降りて、ドームに訪問者として入って、面会室で父親に母親の訃報を伝えたんだ。ハイネは彼女をそっと抱きしめて、「彼女はここにいる」と囁いたのだった。だから、キーラは両親が愛し合って生まれた子供なのだと信じることが出来たんだ。