2018年12月26日水曜日

新生活 2 1 - 3

 セイヤーズが退室すると、ハイネ局長も急いで机を片付けて執務室を出た。足早に遺伝子管理局本部を出ると、中央研究所の食堂へ向かった。彼がそちらの食堂を利用する時は、執政官と話がある時だ。但し、その執政官の中にケンウッド長官は含まれない。ケンウッドは一般食堂派で、時間がない時にしか中央研究所の側を使わないからだ。
 席に着いて待っていたのは、出産管理区長アイダ・サヤカ博士だった。彼女も中央より一般の方が好みだが、仕事上、ガラス壁の向こうを観察しながら食事することが多い。その夜も半分仕事でのデートだった。
 ドーマー達も執政官達も、既にハイネとアイダの仲が親密だと気が付いていた。ただ両人とも人前では節度を守り、地球人保護法に触れるようなことはしなかったので(アイダは度々素手で彼に触れたが、出産管理区の人間は殆ど同様の行為をしていたので誰も気にしなかった)、批判する者はいなかった。
 ハイネが料理を載せたトレイをテーブルに置いて、こんばんはと挨拶すると、彼女は彼を見上げて微笑んだ。

「ドーマーの坊や達は全員無事に帰投しましたのね。」
「ええ、クロエルが手際良く処理してくれましたから。それに、外にいるリュック・ニュカネンもかなりの戦力になってくれた様です。」

 ハイネは椅子に腰を下ろして、彼女が見ているガラスの向こうを覗いた。出産管理区側の食堂ではその夜3度目の夕食のピーク時で、盛大に混雑していた。ドームが巨大だと言っても収容者全員を一度に食事させるスペースはないので、出産管理区では女性達が宿泊しているブロック毎に分けて時間を割り当てている。それでも厳密に分けている訳ではないので、仲良くなった人々はブロックが違っても交流するし、一緒に食べたりする。だから食事時は毎日大騒ぎだ。
 ガラス壁がなければあちらの女性達とドーマー達が交流できて楽しいだろうに、とハイネが思っていると、アイダが話題を変えた。

「レインが連れて帰って来たJJと言う女の子ですけど・・・」
「はい?」
「染色体の内容が見えるとかで、ラナが見えているものの分析を試みています。」
「その様ですな・・・」
「毎日染色体やDNAの配列を見ている人に、すぐにわかるものでしょうか?」
「どう言う意味です?」
「全く同じ塩基配列を持つ他人などいないでしょう? 一卵性双生児ですら個性があってそれを作る配列があります。大勢の染色体を並べて観察しても、私たちにはわからないと思うのです。」
「それで?」
「毎日一人一人の遺伝子を調べている人より、長い間遺伝子を観察したことがない人が見た方が何か違いがわかるのではないかしら?」

 ハイネはアイダが何を言いたいのか直ぐには把握出来なかった。ちょっと考えて、確認してみた。

「貴女は、JJの研究に、素人を使えと仰るのですか?」
「いいえ、素人ではなく、本業から長期間離れている人が研究に参加してみては、と言っているのです。」
「本業から・・・?」

 ドームで働く執政官はほぼ皆遺伝子学者だ。そうでない者はそれぞれの専門職に就いている。本業の遺伝子研究から長期間離れている人間など・・・ハイネは妻の顔を見つめた。

「ケンウッドにJJの研究をさせろと?」

 アイダが観音菩薩とあだ名される卵型の顔にニッコリと優しい微笑を浮かべた。

「あの方は皮膚が専門でしょう? 外気が皮膚を通して遺伝子に与える変化の研究をされていた筈です。JJと呼ばれる女の子がコロニー人と地球の女性を区別出来ると言うことは、地球がコロニー人の卵子に何らかの外的影響を与えているからでしょう?」